チャリティーパーティ 舞台裏 後編

 男が目を覚ました場所は、数時間前とは全く反転していた。

 男が今までいた、煌びやかで豪奢な調度品と、人を落ち着かせるラベンダーや薔薇の調香水が微かに鼻腔をくすぐるような空間とはほど遠い、廃墟に相応しい壊れた家具が散らばった、塵芥と黴の匂いがたちこめる汚くだだっ広い真っ暗な広場だった。

 男は驚いて、その場から駆け出そうとした。

 動かない。

 それどころか、身体は椅子に手足共に固定され、椅子の脚はどうやら地面に溶接されているらしくビクともしない。

『なんだ・・ここはどこだ・・!?』

 男は先ほどまで朦朧としていた頭を覚醒させると、ようやく自らが置かれた状況を飲み込み始めていた。声を出そうとしたが、口に何かを噛まされていて上手く喋れない。

「お、やっとお目覚めかい。いやぁ、思ったより薬が効きすぎて焦ったぜ」

 聞き覚えのある声に、男ははっと頭を上げるが、瞬間激しい閃光は走り、男は目が眩んでしまった。だが、徐々に目が慣れてくると、目の前には男がふたりと女がひとり立っているのが判別できるようになった。そのうちのひとりは、どこかで見覚えがある。

『キサマ・・!!』

 と自分をパーティ会場で気絶させた白髪の青年に向かって、男は叫びたかったが、口には猿ぐつわを噛まされており、上手く話せない。

 そのうち、もうひとりの長髪の男が手帳を手に喋り始めた。

「名前はジョリス・ハンプソン。マフィア御用達の美術品ディーラー。その手腕は高評価で、確実な達成を約束。その手段においては合法・非合法問わず。過去には国宝級の美術品を所有する一族を襲撃。その際、警察組織は賄賂で買収。他にも様々ありますが、こんなところですかね」

 ジョリスと呼ばれた男は、ぎくりと身体をこわらばせ、右左へと視線を泳がせ始めた。

「またたいそれた奴が来たもんだな。っと、そうそう、一応名乗っとくかね」

 白髪の男性はジョリスの顔の正面にかがみ込み言った。

「俺は霧島だ。ヴィアレット家の執事。で、こいつは玄武」

 霧島は親指で自分を指さした後、まるで友人を紹介するような軽さで、玄武を指さした。始終、白髪の青年がへらへらとした軽薄な笑顔を浮かべているのを、ジョリスは癇にさわる気持ちだったが、どうすることもできない。

「おーい、そろそろ準備良いか?」

 霧島はよっこらしょといって立ち上がって言った。

「はーいはい」

 ライトの影に隠れて見えなかったが、もうひとり別の女性が台をひとつ押しながら現れた。他の3人が執事服とメイド服を着ているのに対し、彼女はなぜかレインコートのような物に身を包み、頭にはビニール製の帽子とマスクをしていた。

「ごきげんよう、セニョール。ニーナ=アリエッタっす。普段はヴィアレット家の看護師と精神科医をやらせて頂いてるっす」

 自らをニーナと名乗った褐色の肌を持つ女性は、手術用マスクの下にラテンの太陽のような屈託のない笑顔を見せた。目元しか見えずとも、その笑顔はきっと老若男女問わず、人を温かく魅了するものだったに違いない。

 もちろん、こんな非日常的な場所でなかったらの話だが。

「うぅ・・」

 逆に男はその笑顔にぞっと背筋を冷たいモノが流れるのを感じた。

 なにせ、ニーナがごろごろと押してきたキャスター付きの台には、外科手術で使用されるような、メスやペンチやハンマーやゾンデといった、無機質で冷たい器具の数々が綺麗に並べられているのだから。

「ふっ・・ふっ・・」

 ジョリスはパニックになる自分の心臓と頭を必死に押さえ込んでいた。

「まぁ、これからされることは分かるよな。でも、俺らはあんたの雇い主が分かればいいんだ。早く吐いちまった方が楽だと思うがね」

 霧島はそう言って、ジョリスの猿ぐつわをずらしてやった。

「お前らなんなんだ!」

 堰を切ったようにジョリスが叫んだ。

「おいおい・・さっきも言っただろう。俺たちはヴィアレットの・・」

 霧島がなだめようとするが、すでに興奮状態となったジョリスは聞く耳を持たずに、「ここはどこだ」「部下が黙っていない」とまくし立てるように叫ぶばかりだった。その声は遠く100mは響きそうな勢いだったが、その声が届くことがないと男は気付いていなかった。

 叫ぶだけ叫ばせておけばあとは黙るだろうと3人はしばらく黙っていた。

「あんなガキどもの下で動く貴様らなど・・・」

 ジョリスは勢いに任せて言葉を紡ごうとしたが、パァンという乾いた音が無機質な空間に響き渡り、左頬には鋭い痛みと衝撃が走った。男は突然の出来事に呆気にとられたようだった。

「お嬢様とお坊ちゃまのいらっしゃる場所に貴方たちがいた・・危険にさらした・・。それだけで十二分に万死に値するのよ」

 先ほどまで、じっと冷たい目で見ていた銀色の髪の女性は、まるでネコ科の肉食獣のように目を爛々とさせ、ジョリスの前に仁王立ちして言った。

「でも、それ以上に!お嬢様とお坊ちゃまをガキですって・・?結那お嬢様の愚弄は許さない・・絶対に!!!」

 女性はそう叫ぶと、手術道具の置かれた台からメスを取り上げ、ジョリスの胸をめがけて拳を振り下ろそうとした。だが、メスが刺さる直前、玄武によって腕を押さえられてしまう。

「シルヴィア。もうそこまでに。あとはニーナに任せましょう」

 玄武の言葉に女性は力なく両腕を落とすと、メスもからんという乾いた音を立てて地面へと落ちた。

「お嬢様・・・結那お嬢様・・・」

 シルヴィアと呼ばれた女性は、玄武に肩を支えられ、まるで呪文のようにブツブツと繰り返しながら、光の当たらない影のなかへと消えていった。

「まぁ、そういうこった」

 霧島は暴漢の肩を軽く、しかし少しの絶望を込めて数度叩いた。

「諦めな。せめてヴィアレットを狙わなきゃあ、俺らも興味はないし、雇い主を吐いてくれるだけで良かったんだが・・」

 そう言って、男の耳元に顔を寄せ、ぽつりと囁いた。

「その言葉だけは許さねぇ・・」

 霧島は男にそれだけ呟き、その場を離れた。入れ替わりで、いそいそとニーナが男の右側にしゃがみ込み、先が細いペンチを手に喋り始めた。

「それじゃあ、まずは軽く爪からいくっすよ。手が冷たいっすね・・怖がらなくてだいじょうぶ!人が感じる痛みの最大値は徐々に下がっていくから、少し堪えれば慣れるっすよ」

 ニーナはまるでこれから手術のために患者をなだめるような口調で、ジョリスの手を握りしめ、しばらくして小指の先を捕らえた。

「なので、できればその最大値を超える直前くらいに喋って貰えれば嬉しいっす。セニョールの声、どうぞ聴かせて欲しいっすね」

 その声はまるで獲物を弄ぶ猫のように無邪気なものだった。


 パーティが終わって二日が経つと、すでに帰国を一週間ほどに控えた執事やメイド達が、名残を惜しんでホテルやカフェに入り浸り、街のなんでもない姿を目に焼き付けようとして楽しむ様子が見られた。

「そういえば聞いた?シティにある高層ビルの話」

「うんうん、聞いたよ。ビルのワンフロアに入ってたマフィア組織が壊滅したって話でしょ」

「あと、郊外の工場跡地でもなんか事件があったみたい」

「やだぁ、怖い。お嬢様とお坊ちゃまに何かある前に帰れたらいいけど・・」

 まだあどけない少年と少女たちは、そんなことを話のタネにしながら、紅茶や珈琲を楽しんでいた。

 

ヴィアレット家豆知識

ニーナ=研究者時代の論文テーマ「人の痛みの限界値について」

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