チャリティーパーティ 舞台裏 前編

 ヴィアレット家がチャリティパーティを二日後に控えた日、特定の執事とメイドにこのような報告がされた。

『チャリティパーティに不穏な動きがある』


 オペラハウスへと続くマクアリーストリートに立つビルの屋上にふたつの人影があった。6月のシドニーはまだ冬に入りたてとは言え、すでに人々は厚着をするほどには寒く、海は不気味なほどに静かだったがそれでも冷気が流れ込んでくるのが感じられる。

「いやぁ、オーストラリアとはいえ冬はなかなか冷えますね」

 闇夜のなかにぼんぼりのように淡い光を放つ白い貝殻をスコープのレンズ越しに見つめながら、露五は気温10度の寒空に身震いした。

「そうだねぇ。今夜この寒さのなかでじっとしておくのは、なかなか大変そうだ。僕は寒さには強いつもりだけど」

 隣ではグスタフが光学双眼鏡を覗き、露五の見えない広い範囲を目を皿にしながら監視していた。

「やれやれ。パーティへの招待と言うからには、ご馳走にありつけると楽しみにしていたのですが」

 露五ははぁと心底残念そうにため息をひとつ吐いた。まだ息が白くなるほどは空気は乾いていなかった。

「まぁまぁ、パーティの後は演奏会があるらしいからね。軽食くらいは頂けるかもしれないよ」

 グスタフはハハハと軽く笑いながらも、耳に付けた無線越しに聴こえる会場のざわめきと、目に付けたスマートコンタクトレンズから送られてくる情報に集中していた。

 煙草の匂いがふとふたりの鼻孔をくすぐった。

 レンズから一切目を離さずにいる露五の隣には、オペラハウスで警備をしているはずの霧島が足を組んで座り煙草を一本くゆらせていた。

「どうしたんですか霧島さん。中の警備は?」

「いや~、最近どこも禁煙禁煙・・。一服するのも一苦労さ。しかも高ぇし、箱はグロイし」

 露五の問いかけに、霧島は煙をひとつ吐き出すと、懐から煙草の箱を取り出して言った。箱にはアングラサイトの医療写真のような真っ黒になった肺の解剖写真がプリントされていた。

「オーストラリアは健康志向が高いからねぇ」

 グスタフもまた光学双眼鏡を覗いたまま口を挟んだ。

「スモーカーにこんな脅しが効くのかねぇ」

「さぁ、どうですかね」

 霧島の軽口に、露五は素っ気なく返した。「ま、いいか」と霧島は言うと、煙草の箱を露五の手元に置いて、立ち上がった。

「餞別だ。じゃ、頑張ってくんな」

「私は吸いませんよ」

 露五はスコープを覗く方とは逆の目で手元の箱を一瞥して答えたが、もはやそこに気配は無かった。

「まったくあの人は・・」

 露五はぶつくさとそう言いながら、箱のなかからを手探りに煙草を一本取りだして、口にくわえた。

「あ、火がない・・」


 しばらくして、ゆなとゆずるの乗った車がオペラハウスの階段の前に停車した。

「やぁ、我らが主が車から降りられたよ。見たまえ露五くん。なんと堂々としたふる舞いだろうか」

 双眼鏡を覗くグスタフが興奮した様子で言った。

『えぇ、本当に』『ご立派なお姿です』と無線からはオペラハウスの至る所に配置された執事とメイド達の賞賛の声が飛び交った。

 しかし、その観感興起かんかんこうきの瞬間も、次の幕へと移ってしまう。

『外に一人見つけました。左方階段踊り場です』

 無線機から聞こえるカントの声に、聴く者は全員緊張感を覚えた。それと同時に、オペラハウスを空から監視するハチドリたちから送られてくる映像が共有される。群集の中に赤い丸で囲まれた人物。これがターゲットの一人だった。

『ここから狙いますか?』

 露五はそう言って引き金に指をかけたが、ジャンが静かに引き留めた。

『いえ、危険です。弾丸はターゲットに命中しても、衝撃波と音で周囲に勘づかれるかもしれません』

 その言葉にグスタフが『確かにそうだね』と答えた。

『私にお任せ下さい。ミントさん聴こえますか』

 ジャンは通信機に向かってそう言うと、

『はーい。どうなされましたか?』

 全体に共有された通信機から執事の少年の声が聞こえた。

『少し手をお借りできますか?外の階段踊り場に来て頂きたいのですが・・』

『すぐに行きます~』

 オペラハウスの扉付近で待機していたらしく、返事のあとすぐに駆けよってくる姿がカントの目に映った。

「お待たせしました。ジャンさん何かお手伝いしますか?」

 ミントは手に大きな一眼レフカメラを携えており、特に外付けされたフラッシュライトは小柄な身体には不釣り合いに大きく見えた。

「ありがとうございます。実は・・」

 ジャンは一回り背丈が違うミントに屈むようにして耳打ちをした。

「なるほど!承知しました!」

 ミントはジャンの言葉に敬礼のポーズで応えると、何やらカメラのライトの摘まみを最大限まできりきりと回し始めた。ジャンはそれを確認すると、標的の男の背後へと気付かれないように寄り、ミントは男の前方へと位置取った。

『合図と同時にお願いします。・・・3,2,1』

 バシャッと言う音と共に、マグネシウムの発火する閃光にも似た激しい光が階段踊り場に集まる群衆の中から起こった。

「こら!誰だフラッシュなぞ炊いて!」

 主人をエスコートする市長の野太い声が轟いた。周囲の人々もその声の主へと目を奪われてしまった。

「すいません~」

 群集のなかから、青緑色の髪をした少年が慌てた様子でオペラハウスへと駆けていった。少年は市長や主に見えないよう、ジャンに向かって小さくVサインをしていた。先ほどまでジャンとミントの間に挟まれていた男の姿は群集のなかからは忽然と姿を消していた。

「まずは一人目ですね」

 そう言ってヴィアレット家の門番はまるで釣果でも報告するような気安さで言った。オペラハウス東の方に停められた車の中には高いびきをかく男性が後ろ手に縛られて横たわっていた。


『ご主人様がオペラハウス内に入られました。十数メートル前方テーブルに標的が複数名。一人は武器を携帯しています』

 カントの声が無線機に共有される。その声を聴いて、すでに待機していた九や一花といったメイド達が、素早くゆなとゆずるを囲むようにして指定のテーブルまで向かった。

 案の定、途中のテーブル付近の男女がゆなとゆずるの姿を見つけると、わらわらと近寄ってきた。だがそれを双子の周りにメイド達が立ち塞がり、続いて執事とメイドの双子が間に割って入った。

「皆さま、皆さま、主はまだこちらに着いたばかりでございます。どうぞしばらくはご遠慮下さいませ」

「さぁ、当屋敷ラウンジにて好評のカナッペですよ」

 顔には出さないが、全員不承不承といった様子でお盆に載った小さなカナッペを摘まんだ。すると、次第にとろんとした目つきへと変わっていき、どこか陶酔感を感じさせる、だらしない表情へと変わっていった。

「姉さん。本当にこれ食べても大丈夫な物なの?」

 その様子を見て、琥珀は丸い目をしながら姉にひそひそと話しかけた。

「うぅん・・、どうかしら。シルヴィアさんは10分で落ち着くとおっしゃってたけど」

 瑪瑙もまたその効能を間近で見て苦笑を交えつつ答えた。

「あぁ、良い気持ちだ。あまり酒は強くないのだが・・。もうひとつ貰っても良いかな・・」

 客のひとりが琥珀の持つカナッペが並べられたお盆に手を伸ばそうとするが、横から九が制すると、明後日の方向へと身体を向けさせて言った。

「食べ過ぎは良くありませんわ。さぁ、お客様方。パーティを楽しみましょうね」

「どうぞ皆様こちらへ」

 客人の群集は催眠術にかかったように、素直に九や一花たちの誘導に従っていた。

「くっ・・。なんだこれは・・」

 客の一人がその強い酩酊感に頭を抱えていた。足取りは酔っ払いのそれらしく非常におぼつかない。

「大丈夫ですかお客様。肩をお貸ししますわ」

 男の背中を銀色の長い髪を持つメイドが支えた。いや、支えたと言うよりもがっちりと両肩を掴んでおり、今から肩もみでも始めるかのようでもあるが、見方によっては鷲が獲物を爪で掴んだ様にも見える。

「あ、あぁ・・」

 男はしっかりと支えて貰えたことに違和感を覚えつつも、標的を探して顔を左右へと振った。しかし、突如男は視界がふっと電気を消したように暗くなり意識が遠のいていくのを感じた。男がブラックアウトする直前、プシュッという小さな破裂音が鳴ったが、ざわめきと人の往来の中誰もその音に気付いた者はいなかった。

「おっと」

 男はがくんと膝を折ろうとするのを、とっさに玄武が受けとめた。

「おや、それは皮下注射器じゃないのですか?」

 玄武は脱力した男性の身体を周りに怪しまれないように片手で支えながら、シルヴィアの手に持つペンシル型の筒を見て言った。

「試薬をガスで打ち込む無針注射器です。痛みも無くてとても便利なものですわよ」

 シルヴィアはペンライトのようなそれを見せびらかしながら、いかにも得意げな笑みを浮かべて答えた。

「それにしても玄武さんは先ほどからどちらに?ずっと見ませんでしたが」

「今日は裏で力仕事ばかりです。それではこちらはお預かりしますね」

 玄武はそう言って、片腕に抱えた男を引きずって連絡用通路へと消えていった。

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