オーストラリア旅行#7 チャリティパーティ前編

 シドニーのポートジャクソン湾に浮かぶ小島に建てられた白く美しい帆を描くオペラハウスは、デンマーク出身の建築家ヨーン・ウツソンが皮をむいたオレンジから着想を得てデザインしたと言われています。竣工は1973年であり、まだ世界の名だたる遺産に名を連ねて50年という若さであるに関わらず、すでに人々のイメージする「シドニーといえば・・」と想いをはせるような代表的な存在となっているのは驚きです。

 私たちヴィアレット家がシドニー市長主催のパーティにお招きいただいたのは、やや肌寒さも覚える6月中旬の夜でした。昼には青空と太陽のもとに帆を広げたオペラハウスですが、夜ともなればその姿は随分と違って見えます。外からは複数のライトが煌々と照らしながらも、内部から真珠がぽわっと淡く光るような優しく神秘的な色合いがなんともロマンチックな雰囲気を醸し出していました。ここ二週間はホテルの窓からその玉の光を眺めることしかできませんでしたが、今夜は私たちがその真珠となることができるのだと思うと、予定のないお招きというのも悪くはないと思ったものです。

「お嬢様、お坊ちゃま。もうそろそろ到着でございますよ」 

 ホテルからパーティ会場となるオペラハウスへと向かう車中、運転席でハンドルを握るジャンが言いました。ぼんやりと車内からシドニーの街ゆく人々を眺めていた私は、その言葉にはっと現実へと引き戻されると、車内に備え付けられた鏡で慌ててドレスの裾や化粧、髪型を確認致しました。

「大丈夫?ゆな。パーティなんて久しぶりだし、緊張するのかな」

「平気よお兄様。少しぼーっとしてただけ。なんだかこの街を見ていると、変に感傷的な気持ちになるのよ」

「感傷的に?」

「えぇ・・いえ、感傷的ではないかもしれないわ。そうね、歴史というか、人の営みというか。とにかく時の移ろいは止まってはくれないということよ」

 私は心配そうにのぞき込むお兄様をよそに自分のなかで整理をつけると、今度こそ鏡に向かって『令嬢らしい』顔を作るのでした。そして、次にお兄様に鏡を向けて言いました。

「さぁ、お兄様も。私たちの歴史もまた、この街に刻み込もうじゃない。街は移ろうけども、この時だけは永遠よ」

 しばらくして、車は白い貝殻へと続くロータリーへとゆっくりと侵入し、紅い絨毯の敷かれた階段へと横付けされました。


「おぉ、これはヴィアレット家のお坊ちゃまとお嬢様!今宵は私どもパーティにお越し下さいまして、感謝申し上げます」

 すでに待機していたメイドの一花が車のドアを開けてくれると、彼女のそばに立っていた身なりの良い大柄の男性が大仰に出迎えてくれました。

「市長。お招きありがとうございます。改めまして日本のヴィアレット家より参りましたゆずる=ヴィアレット=アタリと申します」

 お兄様は挨拶とともに手を差し出しましたが、市長は私たちのドール特有の手を見て逡巡しておりました。念のために市長の名誉のために申しますが、決して気味悪がってというような悪感情はなく、むしろ壊れやすそうなこの繊細な手を無遠慮に握っても良いものかと躊躇しているようでした。

「同じくゆな=ヴィアレット=アタリですわ。本日はお招きいただき光栄です」

 私は市長の空中に止まった手を両手で取り上げ、卵を包むほどの力加減で握りました。これぐらいの力加減でお願いしますという私の意図を汲んで下さったらしく、市長は私と握手を交わすと、次はお兄様とも握手を交わしました。

「ありがとうございます。さぁ、どうぞこちらへ」

 市長はそう言って紅い階段の方へと誘いました。オペラハウスの入り口への階段は長く、まるで真珠貝の城へと続くようです。そこで私はついいたずら心が沸き起こりました。

「市長。こんな長い階段を歩くのは私のヒールでは心配です。どうぞお手をお貸し下さい」

 身長が倍ほどもある市長を見上げながら私は言いました。市長は両手を挙げて驚いた様子でしたが、私は有無を言う暇を与えず彼の手を握ると、お兄様と挟まれる形になって階段をゆっくりと昇り始めました。

「ふふ・・」

 しばらく、市長は呆気にとられた様子で私に手を引かれていましたが、政治家らしい慇懃な顔に、ぷっと吹き出すような笑みがこぼれました。

「いや失礼・・、私にも娘がおりましてな。小さい頃はこうして手を繋いで階段を上ったものです」

 まじまじと見れば、南部生まれの掘りの深い顔に柔和な表情が浮かんでいました。私とお兄様はそれを見て、ふたりして笑い合いました。

 階段の中腹の踊り場にさしかかると、突然パシャッというシャッター音とともに、真っ白な閃光が輝きました。

「こら!誰だシャッターなど炊いて!」

 市長の野太い声が辺りに響きました。人々を震え上がらすような怒鳴り声ではありませんでしたが、周囲の人々はざわざわと振り向いておりました。雑踏から「も、申し訳ございません~」という声と共に、青緑色の髪の毛の執事がかけていくのが見えました。

「あれは私どもの執事ですわ。ご無礼をお許し下さい」

「あぁ、いえ、あなた方が宜しければ良いのです。今に始まったことではありませんが、パパラッチや不逞な者も後を絶ちませんからな」

「心中お察ししますわ」

 そう私たちは語り合うと、再び階段を昇り始めました。オペラハウスの入り口のガラス窓からは月よりも何倍も輝く光が漏れ出ていました。

 市長とともにオペラハウスのなかへと入ると、そこはいつものやや無機質なロビーではなく、華やかなレセプション式のパーティ会場へと彩られておりました。ドアをくぐってすぐの所には、すでにメイドの九が待機していました。

「お坊ちゃま、お嬢様。お待ちしておりました」

「遅くなったかしらね」

「皆様、お嬢様とお坊ちゃまのお越しを今か今かと心待ちにしておりますわ」

 私たちがこう話していると、市長は咳払いをして言いました。

「それでは、おふた方のエスコートも済みましたので、私はここで一旦失礼を。パーティの挨拶をしなくてはなりませんので」

 市長はそっと私から手を離すとスーツの襟を正し、また政治家らしい覇気ある姿へと戻りました。

「はい。それでは後ほど」

 私たちは心あるお出迎えに感謝をすると、彼はキビキビとした足取りでパーティ会場の中へと消えていきました。彼の背中を見送りながら私たちは「立派な方ね」「そうだね」と囁きあいました。

「お坊ちゃま、お嬢様。こちらの方へどうぞ」

 九はそう言って、まず私たちを人々の集まるテーブルへと案内してくれました。

「おぉ、これはヴィアレットのご令嬢とご子息様!先日はお時間を頂きまして!」

「覚えておいででしょうか。先日ご挨拶をさせていただいた者ですが」

 案の定と言いますか、テーブルへと近づくと、わっと見覚えのある顔ぶれに囲まれてしまいましたが、私の傍に控えるメイドと執事たちがさりげなく壁を作ることで対処してくれました。

「皆さま、皆さま、主はまだこちらに着いたばかりでございます。どうぞしばらくはご遠慮下さいませ」とメイドの瑪瑙がやんわりと集まる人々をなだめると、

「さぁ、当屋敷ラウンジにて好評のカナッペですよ。ひとまずこれで腹ごしらえ!そしてアペリティフといきましょう!」と執事の琥珀が人好きのする笑みを浮かべながら、手にしたお盆に乗る色とりどりの美味しそうな軽食を勧めて回りました。

 こういった催しの場にかけては右に出る者のいない桜井姉弟のおかげで、集まる人々の気も段々と沈静化していくのを感じることができました。私とお兄様はそのすきに、テーブルを離れてあらかじめ執事とメイド達が作ってくれた人目の少ないエリアへと移動しました。

「お疲れさまでございます。お嬢様、お坊ちゃま」

 人気に当てられて、やれやれと私たちは一息ついていると、にゃん太郎がメイドを一人伴ってやってきました。

「はぁ、こんなにも人が多いとさすがに参ってしまうわね」

 ため息をつく私にお兄様は苦笑しつつ、にゃん太郎に言いました。

「そういえば、霧島やシルヴィアたちは見ないね」

 お兄様の言うとおり、こういう場では真っ先に駆けつけてくれそうなものですが、いっかな特にマルチアに所属する執事とメイドは見かけることはありませんでした。

「いるぜ」

 噂をすればと言うものでしょうか。私たちの背後から聞き馴染みのある声がしたと思って振り替えると、桜色の飲み物の入ったグラスを傾けた霧島が壁にもたれかかって寛いでいました。

「あら、他の子たちは?」

「んー、大体は館内に散らばってるぜ。露五さんやグスタフさんは外の警備にいるけど。まぁ、言って今日は特に何もやることはなさそうだけどな」

 霧島は相変わらず、真面目なのかそうでないのか、飄々とした様子でそう答えました。

「あー、でも・・」と言いかけると、瞬間、ふっと館内の照明が落ち辺りは真っ暗闇に包まれました。

「皆様、ようこそお越し下さいました」

 女性のアナウンスが暗闇のなか響き渡り、チャリティーパーティが開催されました。


※小説内における登場人物、事柄は全て架空のお話となっています。


ヴィアレット家豆知識

桜井姉弟=ヴィアレット家に代々仕える一族の双子。主にラウンジやバーを担当しており、接客に関しては最も評判が高い。



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