オーストラリア旅行#5 シドニーへ

 シドニーの6月は、日本の晩秋である11月頃にあたると言われています。

 北半球から南半球へと訪れると季節が反転するのは地球の面白い面であると思うのですが、温暖湿潤気候のシドニーは一年を通してあまり四季の変化が少なく、冬でも快適に過ごせるのだそうです。

 さて、美しい砂浜と穏やかな波の音を存分に堪能した私たちヴィアレット家の面々は、6月の太陽が昇ると同時にシドニー国際空港へと降り立ちました。時間にしておおよそ1時間の旅でしたが、なにせ5時頃には起きて支度をしなくてはなりませんでしたのでまだ頭が覚醒しておらず、体感としては5分もないほど一瞬に感じました。

 空港から降りてすぐに私はジャンの運転する車に乗りこみましたが、私は途中ずっとぼんやりとした眼であくびばかりしていました。

「大きなあくびだね」

 隣に座るお兄様が苦笑しながら言いました。高速道路を走る車窓の向こうには、シドニーの街並みが流れていくのが見えました。

「早起きは苦手だわ。ふだんは8時ぐらいに起きるから、どうも慣れない時間ね。ジャンもレムもしっかりしてるわねぇ」

「恐れ入ります。ですが、お嬢様?あまり夜更かしの習慣を付けられるのは、美容の敵と思いますわ」とレムが言いました。

「そうは言ってもねぇ。あの波の音を聴いていると妙に頭が冴えてくる気がしたのよ。瑠璃は月を見ているとなんだか心がざわめくと言っていたけど、私も同じような気持ちをしたものだわ」

「なるほど、瑠璃さんは狼ですからね」と話を聴いていたジャンが珍しく軽口を挟みました。北欧神話では狼は常に月を狙っており月食は狼に捕食されたからと言われていますので、それを連想させたようです。

「まぁ、ということはお嬢様もいずれは狼に?」

「それは随分可愛らしいね」

 レムが口を当てて面白半分に驚くようにして口元に手を当てると、お兄様も笑いながらそれに同意しました。

「貴方たち、そこまで言うならハロウィンの時は狼になるとするわ。一人ずつ噛みついてあげるから」

 そんなたわいもない話をしているうちに私の目もすっかりと覚めると、ようやく景色を楽しむ余裕も生まれてきました。あまり意識はしていませんでしたが、シドニーの街並みはイギリスの古い街並みの残り香を感じさせる造りが多く、同時に近代的なビルもあちこちに見えるため、伝統とモダンが上手く調和したなんとも美しい場所でした。

「かつて流刑地だったこの土地は、今や人々が自ら望んで訪れる地となった。不思議なものね」

 まだゴールドコーストでの波の音が耳に残っていて、私を感傷的な気持ちにさせるかは分かりませんが、こうして人々の営みの歴史を見つめるとその移り変わりの儚さになんとも心動かされずにはいられませんでした。

 しばらくそうやってぼんやりと景色を眺めていると、車が目的地のホテルの前に横付けされました。すぐにドアが開けられると、メイドの棗が出迎えてくれました

「お嬢様、お坊ちゃま。ようこそいらっしゃいました」

 ゴールドコーストの時と同じように、先に出発していた執事とメイド達によってホテルは私たちが快適に過ごせるように手配がされたありました。今回泊まる場所もヴィアレット家の傘下にあるホテルで、前回と比べるとやや小ぶりなヴィクトリアン様式をしていましたが、港を挟んだ向こうにはなんとあのオペラハウスを一望できる贅沢なロケーションとなっていました。

「今回も良いところねぇ」

 私はシドニー湾へと吹く潮風に身をさらしながら、北岸に続くハーバーブリッジと、青空に映える白い貝殻の劇場を交互に見渡しました。街はすでに冬の装いを見せるシドニーの街ですが、不思議と寒いという感じはしませんでした。

「ゆな、そろそろ行こうか。あとは部屋で見よう」

 いつまでもぼんやりとしているのを見かねて、お兄様は私の手を優しく握るとホテルのなかへと誘ってくれました。ホテルの中はゴールドコーストの時とは趣が違い、英国風のクラシカルな、それでいて鮮やかな色合いの家具や調度品に彩られていました。すぐ傍には道路が伸びているのですが、騒音はほとんど聴こえないほど静かで、なんともゆったりと落ち着いた雰囲気に包まれていました。

 私たちはホテルのなかを素通りして、すぐに部屋へと向かったのですが、そこから見える景色も見事なものでした。

「絵に描いたようにとはよくいったものね。気持ちの良いところだわ」

 私たちの部屋はふたりで過ごすには少し贅沢な広さで、両隣はお付きのメイドたちの部屋と繋がっています。私とお兄様が部屋で使う専用の三面鏡付の化粧台に、薄紫の天蓋付のベッド、ふかふかとしたソファにテーブルなど屋敷で使っていた愛用の家具と同じものがとり揃えてあり、まるで家にいながら景色だけが変わったような安心感がありました。それを確認すると、私はさっそく部屋着に着替えることもせずに、ベッドへと大の字になって寝転びました。思った通り、ベッドは屋敷で使っているのに近く、柔らかくて肌さわりも滑らかなものでした。

「はしたないよ」

 お兄様はそう言って、ベッドの脇へと腰を降ろしました。なんだか最近小言がより増えたような気がします。

 私は天蓋越しに紫に透ける窓の外を見ながらしばらくじっとしていました。

 青い海の向こうにはミニチュアのような街並みと、青い海の上をゆっくりと走る船が見えていました。


ヴィアレット家豆知識

千鳥 一花=海外に行くと高い確率でナンパされるが、睨むだけで返事はしない。言葉は分かるが、内心非常に緊張しておりどうしようとかと困っているだけ。そのクールな対応から、余計に声をかけられる。

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