お花見
三月ともなると、ようやく凍てつくような空にも暖かな太陽の光が元気に輝くようになり、まだ少しだけ残る冷たい空気とともに、何とも穏やかな気候を届けてくれるようになりました。
去年から今年にかけての冬は、珍しく大雪と地面の凍結にみまわれ、また、影響残る流行病の関係もあって、ヴィアレット家もほとんど活動らしい活動はできませんでした。ですが、環境に容易く適応する能力があるものが生き残るという進化論ではありませんが、私や私の住む屋敷の者たちも、そうおめおめと昏い穴蔵で息を潜めるように暮らすことなどはしないのです。
三月三日。世間で言うところの雛祭りの日を迎え、私のお屋敷では昨日の晩から、ラウンジや玄関、庭などにちょっとしたお化粧が施されておりました。まず、露五をはじめとする腕の良い庭師たちの尽力もあり、東の庭園には楓や桃や梅の木が色とりどりの美しさで花をつけております。実のところ、桃にはまだ早い時期なのですが、花の学者でもあるメイドの奏華による品種改良と細やかな管理もあって、少しだけ早く我が家にお披露目と相成ったのでした。
朝の寒さも和らぐ昼前の時刻。私とお兄様は早速に、メイドたちを引き連れてひな祭りを迎えるに相応しい甘美な花々を鑑賞すべく、お屋敷の東側の部屋へと移りました。その部屋は和洋折衷の広間となっており、入ってすぐに目に飛び込んでくる襖を模して造られた大窓からは先の木々が視界いっぱいに広がっております。
「見事な景色ねぇ」
私は思わずそう漏らしました。もう何度もこの部屋を訪れては、悠久とも思える時間を過ごしたにも関わらずに。
「今年も綺麗に咲いて良かったね」
私の腕をとって歩いてくれた愛する兄が、私の方をにこにこと見つめながらそう言いました。
「えぇ。でも、お兄様は花より団子なのではなくて?」
私は目を細めるとわざと意地悪くそう言って、ちらと大窓との間にあるローテーブルとソファに設えられたお茶席に目をやるのでした。
「ふふ、昨日からお茶菓子は楽しみだったんだ。もちろん、花も美しいから好きだよ」
お兄様は少しおどけたようにしてそう返しました。別段、当意即妙なやりとりというわけではなく、兄妹のたわいない戯れに過ぎません。
「お嬢様、お坊ちゃま。こちらへ」
私たちの児戯の合間に隣に控えていた棗が、頃合いを見てソファの席へと誘ってくれました。
「ありがとう棗。それにしてもよく似合ってるわねぇ」
私はベルベット張りのソファに腰掛けつつ、窓の外の花にも劣らない美しい色彩を見て言いました。
「ありがとうございますお嬢様」
私たちの着くソファの隣に立った棗は、やや頬を緩ませて深々と礼をしました。彼女は濃い青色の生地に橘が織り込まれた着物を身につけており、いつもの夜会巻きも艶やかで、彼女の性格にもよく似合ったものでした。
「お嬢様とお坊ちゃまも、よくお似合いでございます」
今度はお兄様の隣の方。棗とは対照的に情熱的な紅色の着物に玉簪を付けた一花が言いました。
「ありがとう一花。一花も綺麗だね」
お兄様がそう彼女ににっこりと微笑むと、一花はぽぽぽと頬を真っ赤にして、「あ、あ、ありがとうございます」とうつむきながら答えました。
ちなみになのですが、私たち兄妹も今日という日に合わせて、和装のおめかしには気合いを入れたものです。生地は紫を基調とし、私は百合と菫の柄を縫い込んだ柄を。帯は花喰鳥文という花をくわえた鳥の柄となっており、色合いは螺鈿のように鮮やかなものを選びました。簪は薔薇に歯車を組み合わせた、少し洒脱なものです。お兄様は薄紫の生地に青海波の模様。帯には百合を描いたものを選びました。
「さてさて、お嬢様お坊ちゃま。お待たせ致しましたですの」
花のなかに蝶がひとひら舞い込んできました。金色のふわふわとした髪を束ね、薄い桃色の着物に身を包んだマリアンヌが菓子を載せた器とお茶を持って、私たちの前へと躍り出ました。
「あら、お待ちかねね。お兄様」
私は両手を打って、彼女を迎えました。私たちの前にはそれぞれ、小さな陶器の皿に載せられた練切りが置かれたのですが、それがなんとも食欲をそそるような甘い香りをしているのです。そして、何より嬉しかったのが、それが薔薇を模したものだったことでした。
「良い香りねぇ。味も素晴らしいわ」
さすがに薔薇の味とまではいかないのですが、餡のほのかな甘みと微かに匂う薔薇の香りがほどよく合わさり、部屋の中にいながらに花の庭園に包まれたように感じるのでした。私たちがさすがマリィと褒めそやそうとすると、彼女はそそと一花の隣へと移動して彼女の腕をとって言いました。
「実は今日はマリーはお菓子当番をお休みして、一花ちゃんが作ってくれたんですの」
内緒にしておくつもりだったのでしょう。一花はマリィの突然の暴露にしどろもどろとしていました。
「あら、一花はこんな綺麗なものが作れたのねぇ。和食が得意とは聞いていたけど」
「はい・・。その・・実は和菓子を作るのを趣味としておりまして・・。お恥ずかしい」
生真面目で控えめな性格の彼女は、まるで子どもが秘密を見られたような気持ちだったらしく、目に涙を浮かべながら顔を赤くして答えました。
「あらあら、一花ちゃん。泣いてしまったのですの?ごめんなさい。でも、こんな素敵なものを作れるのを内緒にしておくのは勿体ないですの」
マリィはそう言って、ハンカチで一花の涙を拭いつつ言いました。
「そうね。これからはお茶の時間のレパートリーに和菓子があってもいいかもしれないわ。どうかしら一花?」
私は温かい緑茶を両手にして言いました。できる限り、彼女のプレッシャーとならないように提案したつもりでしたがどうでしょうか。隣ではお兄様も、私と同じように素知らぬ様子で練切りを楽しんでいました。
しばらく、一花はどう答えたらよいものか考えあぐねたあげくに、棗が隣で肩を抱きながら言いました。
「大丈夫ですよ。貴女は自信を持って、ご主人様にお仕えしていいのですから」
普段、年下ながら棗を姉と慕う一花にとって、その言葉は勇気を奮いたたせてくれたのでしょう。
「承知いたしました。それでは、今後マリアンヌと相談のうえ、ご主人様のお茶の時間にご用意させて頂きます」
一花はまっすぐに私たちの方を向いてそう答えました。目にはいつもと同じ、めらめらと燃えるような炎が浮かぶようでした。
「楽しみだね」
「うふふ、そうね」
私たちは、私たちのメイドの心づくしの奉仕に満ち足りた気持ちでした。
窓の外では、そよそよとまだ少し冷たい風に芳しい花々を付けた枝々が揺らめいていました。
柊 奏華(そうか)メイド兼植物学者
露五の部下。植物の遺伝子学に精通する植物学者。
華火とはルームメイトで親友。
共に植物に造詣が深いが、華火は自然の美しさを愛でる気質であるため、方向性は真逆。
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