ヴィアレット家メイド 華火

 平安時代後期に書かれたとされる短編物語集に「虫愛づる姫君」という話がある。その題の通り、虫に愛着を持つ美しい姫が主人公の、時代の常識や慣習に縛られないある種型破りな振る舞いを描いた物語だが、序盤にこのような文章がある。


 人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。

 人々が、花、蝶よとかわいがるのは、愚かで不思議なことだ。人には誠実な心があり、物の正体を突き止めることこそ、心のあり方が優れている。


 これは姫の台詞だが、この後に、姫は化粧もせず、様々な虫を捕らえては観察し、人々に呆れられるような振る舞いを見せるようになる。当時のディレッタント(数寄者)な女性を描いた作品のようにも思えるが、作品の解釈云々についてはまた別に譲るとする。

 さて、ヴィアレット家のメイドを務める椿原華火は、この作品を子どもの時分に目にした時、なんとも不思議な縁をこの姫君に感じずにはいられなかった。

『このお姫様の気持ち、分かるなぁ。私も虫や花を見てたら時間忘れちゃうし』

 華火は、ヴィアレット家で働く同輩たちと同じように、従者として仕えてきた一族の元に生を受けた。北椿家やイリインスキー家のように特別優れた才能を持つ程ではないが、誠実で心優しい両親のもとに育ち、幼少の頃からヴィアレット家に出入りしながら、付属の学校で青春を過ごした。明るく、分け隔ての無い性格の華火の周りには、花に蝶が舞うかのように、多くの友人たちがおり、誰からも愛された少女だった。

 ただひとつ、一見平凡な彼女にも、人とは違う特徴があった。

「今日も綺麗に咲いたねぇ。……うんうん、そっかぁ。蜂が来てくれるようになったんだね」

 彼女は草花や虫の声を聴くことができた。もちろん、会話ができるわけではなく、相手は物言わぬ自然の輩に過ぎないのだが、なぜか華火が話しかければ、花が咲き、虫は空を戯れるのだった。だが、華火自身は友人知己の誰にもそのことを話したことはなかった。華火の日課は、道に咲く花、飛びかう虫の声に耳を傾け、時に話しかけることなのだが、それを彼女は見られないように細心の注意を払っていた。

『花に話しかけてるとこなんて、恥ずかしくて人には言えない・・』

 この頃の華火は思春期の自我発達と社会性から、自分のしていることが『変なこと』であることを強く意識していた。

『虫が好きなお姫様は凄いなぁ。人の目なんか全然気にしなくて・・。私もあんな風に生きられたら・・』

 人は華火を悩みとは無縁の少女として見ていた。だが、彼女の心にはいつも懊悩ともいえるもやもやとしたモノが渦巻いていたのだった。

 学校を卒業し、様々な道を歩む友人たちと同じように、華火もまた大人としての道を歩み始め、両親と同じヴィアレットのメイドを選んだ。幼少から屋敷に出入りしていたため、ほとんど家に帰るのも同然で特に目新しい気持ちはなかったが、屋敷に咲き誇る花々とそこに住まう虫たちと触れあうことができるのが、彼女の楽しみでもあった。

「誰とお話しているの?」

 ある日、いつものように仕事の合間に、庭園の人目につかない場所で花と話していた華火の背後から話しかける声が聞こえた。

「・・!!?」

 華火はまるで心臓を鷲づかみにされたような気持ちだった。誰にも見せたことのない姿を見られてしまった。しゃがみ込んでいた華火は慌てて立ち上がって、振り向いた。そこには紫の薔薇と称された屋敷の主である少女が立っていた。

「貴女、この子たちにお話していたのね」

 少女は立ち尽くす華火の後ろの花々を、顔を傾けてのぞき込むとそう言った。

「何て言ってるのかしら」

 暢気にそういう少女の前で、華火はぐるぐると混乱する頭を必死にならそうとしていた。

『どうしようどうしよう。変な人だと思われた。早く謝って、すぐに立ち去らなくちゃ』

「あ・・今日は晴れなので、陽が浴びれて気持ちが良いようです」

 思わず華火はそう答えた。一刻も早く、立ち去りたい気持ちでいっぱいなのに、なぜか、華火はそう答えた。

「そう」

 少女はうんうんと頷きながら、庭園に咲く紫のアネモネやチューリップを眺めていた。

「申し訳ありません・・」

 華火はしばらくして、消え入るような声でそう言った。

「どうして謝るの?」

「いえ、花に話しかけてるなんて・・その・・変な姿をお見せして・・」

「それを言ったら、私の執事たちは変な人どころじゃないわ」

 紫の薔薇の令嬢はそう言って、鈴が鳴るような声で笑うのだった。

「自然の声が聞こえるなんて素敵よ。私はこの屋敷にいる子たちは皆幸せに生きていて欲しいわ。それはこの子たちだって例外じゃ無いのよ」

 華火は自分の仕える少女が、愛おしげに庭に咲く花の花弁を指で撫でながら言うのを、ただ黙って聞いていた。

「この庭園も管理が大変そうね」

 少女がそう呟くのを聞いて、華火は遠慮がちに言った。

「あ、あのお嬢様・・」

 華火は口から心臓が出てしまうのではないかと思った。本来、人に気後れするような性格ではないのだが、この時ばかりは言葉が出てこない。

「私・・その・・花や虫が好きで・・」

 令嬢は華火を見つめたままだった。無表情にも見えたが、その顔には慈愛に満ちたものだった。


 幾年かの時が経ち、華火には一人上司が就くことになった。聞けば以前は傭兵として渡り歩き、日本に来てからは陶器職人として働いていたという。

 ふたりが初めて邂逅した日、男がやや仰々しく挨拶をすると、華火は持ち前の明るさで返した。

「私は椿原華火と申します!よろしくお願いいたします!早速!お近づきの印をば!」

 華火はそう言うと、突然露五の前に人差し指を立てた。一見すると、少女が大の大人に向かって指さしているようにも見えるが、しばらくするとその爪の先にはひとひらの蝶が止まった。

「このお庭のことなら何でも聞いて下さいね。全部、この子たちが教えてくれますから」

 華火は花が咲くような笑顔で、ぱっと両手を広げた。男は戸惑った様子で、ぺこりと頭を下げた。

 ふたりのいる庭園は、風も無いのに、木々がさわさわと揺れ、美しい青色の蝶が、春の花々の咲き誇る庭を優雅に飛び回っていた。




ヴィアレット家豆知識

 屋敷に仕える従者は代々ヴィアレット家の運営する学校で教育を受ける。

 幼稚舎から高校生までの期間だが、非常にレベルが高いため、一般生徒も多数在籍している。卒業後、大学に進学するための、奨励金の制度も完備されている。屋敷か、ヴィアレット家の系列企業に就職した場合は、返済不要となる。

 屋敷でも奏華と雪はこの制度を利用して、大学で勉強をしている。

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