バレンタインデー

 バレンタインデー。日本では2月14日に行われるチョコレートの祭日だが、その起源は3世紀にローマ皇帝によって迫害・殉教した聖バレンティヌスに由来すると言われている。日本をはじめ、キリスト教圏では恋人や家族に対して感謝や愛情を伝える日であり、ある意味男女とも落ち着かない日でもある。

 そして、ヴィアレット家では毎年のように、主人であるゆなからのプレゼントを巡り、血で血を洗うような戦いが繰り広げられてきた。そのたびに屋敷は半壊・修繕を繰り返し、莫大な資産を持つ屋敷といえど、金庫番の青雪が目を回すほどの費用がかさむ事態にまで発展してしまったのだった。

「・・なんて心配してたけど、今年は至って平和ね」

 屋敷に住する者たちが集う憩いの場。ラウンジ奥に設けられたスペースで、ゆなが紅色のベルベットのうたれた暖かなソファで寛ぎながら、午後のお茶を楽しんでいた。

「そりゃね。いつもいつも屋敷を巻き込んで騒ぐのは疲れるからな。シルヴィアが大人しいのはマジで珍しい気もするが」

 ゆなの両隣の椅子席には、霧島とシルヴィアが向かい合って座っており、霧島の軽口にシルヴィアはその切れ長の目から発する鋭い眼光を浴びせた。

「去年、一昨年は騒ぎすぎましたからね。イベントとはいえ、節度を持って楽しむのは当然でしょう」

 シルヴィアはそう答えると、再び愛用の珈琲カップを両手にしずしずと香り高い味に浸った。

「本来、イベントは忙しい日々に潤いをもたらすために行うものです。ただでさえ業務に忙殺されているのですから、こんな日くらいゆっくりして下さいな」

 給仕に甲斐甲斐しく面倒を見てくれているレムがそう答えて、ゆなの前に一切れのケーキを置いた。同時にジャンも霧島とシルヴィアの前に同じケーキ皿を置いてくれている。

「あら、美味しそうね」

 ゆなが目の前のチョコケーキに目を輝かせると、レムがにこにことした顔で答えた。

「マリアンヌさん特製のフォンダン・オ・ショコラです。Bon appetit(召し上がれ)」

 その言葉を合図にゆなと霧島・シルヴィアはケーキを口へと運ぶが、それはほろ苦くも上品な味で、思わず顔が綻ぶようだった。

「たまにはこんな日もいいわね」

 ゆなが紅茶で口のチョコレートを流し込みながら、満足げに言った。

「まぁ、今年はなんやかんや事前に手を打ったからな。それが多大な功を奏したって感じなんじゃね」

 霧島はぎこぎこと椅子をシーソーのように揺らしながら、ちらりとある方向へと目を走らせた。そこにはぐったりと一人がけのソファにへたり込む猫の執事の姿があった。本来黒猫のはずなのに、頭頂部がやや白んでおり、心なしか全体的に煤けている気もする。

「・・猫にチョコはいけませんが、あとで何か労いの物でも送りましょうか」

 シルヴィアが同情の目を向けていると、ふと後ろから聴き慣れた低い声が響いた。

「おや、随分と楽しそうな催しで」

 シルヴィアが振り向くと、グスタフと玄武、露五が執事服姿で整列していた。見れば、肩や頭が僅かに濡れており、先ほどまで外にいたのが分かる。

「お嬢様、ご機嫌麗しゅうございます」

 玄武が代表してゆなに深々と挨拶をすると、ふたりも同じように頭を下げた。

「あら、おかえり。どうだった?本家の者達は相変わらずかしら」

「はい。本家の方は依然お変わりなく。こちらがサコ様より預かって参りました封書でございます」

 玄武は懐から一通の封筒を取り出すと、ゆなへと手渡した。封書にはヴィアレットの紋章でシーリングされており、表面には狐の可愛らしい絵が手書きされていた。

「ありがとう。また部屋で読むことにするわ。ちょうどいいから、貴方たちもお菓子を食べていくといいわ。疲れたでしょう」

 ゆなはレムに封書を手渡すと、目の前のテーブルに山と積まれた色とりどりのマカロンとトリュフを指さして言った。

「ありがとうございます。そういえば今日はバレンタインデーでしたか」

 グスタフがそう言うと、それぞれが空いている椅子を持ち寄って、ゆなを囲むようにして座った。

「ピエール・エルメのショコラマカロンです。ケーキはマリアンヌ特製ですよ」

 ジャンが小皿に盛り付けた菓子を玄武やグスタフの前へと差し出すと、玄武はチョコでコーティングされた紫のマカロンをひとつ取り上げて物珍しそうに眺めた。

「これがマカロン・・でしたか?初めて見ましたね」

「そうかい?よくラウンジでメイドたちがこれを食べながら女子会をしているのを見るがね」

 レムに温かい珈琲を注いでもらいながら、グスタフが笑って答えた。

「えぇ、遠目に随分とカラフルなものを食べているなとは思っていましたが、まさかこんな菓子だったとは」

「玄武さんはほとんど和菓子ですしね。落雁や、練り切りとか。それにしても、美味しいですね。このマカロン」

 霧島と隣に並んで座った露五がマカロンを頬張りながら答えるが、その手は霧島と並んで、まるで掃除機で吸い込むようだった。

「普段はお茶が多いですからね。あぁ、そういえば何度か、手伝ってくれたメイドたちに落雁をあげたことがありましたね。そのたびに不思議そうな顔をされました」

「十代の子たちに落雁は早いかもしれないねぇ」

「一花は喜んでくれたのですが」

 グスタフは微妙に得心のいっていなさそうな玄武の肩をひとつ叩いて、青色のマカロンをひとつ口に放り込んだ。

「うん!Bkycho(フクースナ)!」

※ロシア語で美味しい。

「レムとジャンも、空いた席に座るといいわ。みんなでお菓子パーティよ」

 ゆなの言葉にレムとジャンは顔を見合わせて笑うと、いそいそと空いた椅子を持ってそばに座った。早速ジャンが灰色のマカロンを口へ放り込んだ。

「맛있어(マシッソ)!」

※韓国語で美味しい。

 ジャンの屈託のない笑顔と言葉にゆなと従者たちはほっこりとした気持ちに包まれた。


ヴィアレット家豆知識

にゃん太郎=バレンタインデー当日の乱闘を避けるため、前日に屋敷中の従者たち(特にメイド)にゆなからとチョコレートを届けた。

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