夜の散歩 #2

 霧島と露五がソアラの店へ訪れた日からちょうど二週間が経った、満月にはまだ数日を残した冬空の夜。ヴィアレットの屋敷がある地から少し離れた場所に、旧居留地と呼ばれる街があった。

「あ、BURBERRYだ。こちらにも旗艦店ってあったんですねぇ」

「あそこにはARMANI。銀座やパリも良いけど、この辺りも美しいところね」 

 ふたり分の人影が洋風造りの街をのんびりと進んでいく。

 ヨーロッパの古い街並みを意識したような白い石と、近代的なガラス窓によって構成された西洋風建築物が、夜の防犯と景観作りを兼ねて備え付けられたライトに美しく照らされていた。その街並みを東欧の血が流れる美少女と美女が闊歩する姿は、文字通り絵になるというのが相応しい。空高くには真円になりかけの明るい月が、ぼんやりと浮かんでいた。

「そういえばアメリカの北の方では・・」

 その月を見上げながら、はたとシルヴィアが脚を止めて言った。

「二月の月はスノウムーンと言っていたわね。一年のうちで一番雪が降るからって」

 シルヴィアの見る先を目で追って、瑠璃も月を見上げた。

「欧州に居たときも、確かに雪の満月とは聞きましたねぇ。お屋敷に来る前まではあまり月は好きじゃなかったですけど、やはり美しいですね」

 瑠璃がにっこりと人好きのする笑顔を見せるのと対照的に、シルヴィアはどこか浮かない顔で「私もよ」とだけ答えた。シルヴィアのその微妙な感情を知ってか知らずか、しばらくふたりの間に沈黙が流れた。

『おふたりとも・・大丈夫ですか?』

 はっと意識を取り戻させるような声が、ふたりの耳に付けた通信機を兼ねたピアスを通して鼓膜へと届いた。

「あぁ、ジャンさん。えぇ、大丈夫です」

 シルヴィアが歩いてきた道を一瞬振り返るそぶりを見せた。その視線の先には、黒いコートを着た青年の姿が一人柱の陰にあった。

『おいおい、寝てんのか。まだ11時にもなってねぇってのに』

 ジャンの言葉のあとに、霧島の軽口が続いた。

『私はもう寝てますね。昔の癖からか、陽が落ちると自動で睡魔がきます』

 あとには露五の音声が続く。

『ありえねー。夜はこれからだろ』

「どーでもいいです。それよりも、いつになったら現れるんですか?」

 ふたりの世間話をばっさりと切ったシルヴィアが、神経質そうに腕を組んで言った。

「今日で4日目ですよぉ。本当にここにいるんですかぁ?」

 瑠璃はそう言うと、道路に立てられた駐車停めの支柱に座り込んでしまった。この時期は金属部分は氷よりも冷たかったが、尻尾を座布団代わりにしており、むしろ歩き回って疲れた身体にはちょうど良い温度に感じられた。

『うーん・・今のところその周辺でしか目撃情報はないし、他の場所へ移った様子もないんだよねぇ』

 端末からはグスタフの声が続いた。その口調にはどうも煮え切らない様子が見えていた。

『さすがに集中力も切れてくる頃です。今日にでも現れないと、明日以降は対処も難しくなってきますね』

 露五の言葉に、端末同士からは重たい空気感が流れてくる。

 今回、ヴィアレット家の執事とメイドの面々「Marchia」が動く理由は以下にあった。

 ヴィアレット家の所有する船が突如、正体不明の怪物に襲われるという事件が今年の1月の半ば頃に起こった。その怪物は人狼と呼ばれる異形の存在であり、船と港湾には腕に覚えのある者もいたが、恐ろしく発達した筋肉、鋭い爪や牙には歯が立たず、せっかくの船荷もいくつか強奪される目にあっていた。

 去年の暮れには欧州でも怪物による襲撃事件が起きており、おそらくヴィアレットの扱う貨物に紛れ込んできたのだろうという推測だった。犯行は決まって夜の月明かりが出ている間に出ているため、見た目も相まってNightWakerと名付けられたのだった。

「その怪物とやらは、あろうことかヴィアレットの船に潜り込んで、密航してきた上に、荷物まで盗んでどこか快適な場所でいい気になってるってことね」

 シルヴィアは銀髪の輝く頭を抱えながらため息交じりに答えた。

「そういうのは珍しくないですよぉ。瑠璃も何度も船や列車に紛れ込んで移動しましたからね。盗みはしなかったけど」

 瑠璃は手持ち無沙汰なのか、自分の頭の狼耳を梳きながら答えた。

『瑠璃君は平気かい?』

 グスタフがそう尋ねると、瑠璃は両手を開いておどけるようにして言った。

「瑠璃のパパとママは人間ですからね。あまり仲間意識は無いかなぁと言う感じです。それに人と仲良く暮らしたいというなら友だちになれるかもですけど、瑠璃の縄張りを荒らされるなら話は別ですよぉ・・」

 と答えるなか、突如瑠璃はピタッと身を固くしたかと思うと、きょろきょろと辺りを見渡し始め、とある方向を凝視して続けた。

「そういえば、一月は何て言いましたっけ?」

 瑠璃がそう尋ねると、シルヴィアが答えた。

「一月はウルフムーンよ。空腹な狼たちの遠吠えが聴こえるんですって」

「ちょっと遅れましたねぇ。瑠璃にはぴったりな月なのに」

 シルヴィアが瑠璃の視線を追いかけると、彼女たちから二十mほど離れた路地の角にコート姿の男性が一人佇んでいた。顔は見えないが、どこか虚ろな様子で、足取りもおぼつかないように見える。

『来たぜ。あいつだ』

 霧島の言葉に、全員が身構える。シルヴィアは瑠璃を背中に隠すと、懐からナイフをひとつ取り出して構えた。月の明るい光に照らされて、その金属部分は鈍く輝いている。

「ヴゥ・・」

 男はまるで狼のような低い唸り声を発し、苦しそうな様子でその場に膝をついた。

「気をつけてくださいね。変身しますよ」

 瑠璃がそう言うと、男の身体は風船のようにみるみるうちに膨れ上がり、めりめりと音を立てながら服を引き裂いていった。その下には人間の物とは到底思えない灰色の毛皮が覗いていた。

『Werewolf。人狼だ!』

 グスタフの言葉を合図にしたのか、NightWalkerは突如、雄牛のように身を低くしたかと思うと、まるで幅跳びのようなにしてシルヴィアたちへと飛びかかった。

「くっ・・」

 シルヴィアは突然の攻撃に苦い声を出したが、ドォォンという凄まじい爆音にかき消されてしまう。NightWalkerの攻撃による衝撃で、石畳はめくれ返り、傍のガラスにヒビが走った。もうもうと土煙があがったが、何やら人狼は得心のいかないといった様子で佇んでいた。哀れなふたりの女性の身体が転がっていると思われたが、そこには姿形は一切見えず、目に見えるのは地面に突き刺さった自分の爪だけだった。

「でぇい!!」

 その隙を狙いつめ、威勢の良い発声と共に、白刃がNightWalkerの頭上から降ってきた。NightWalkerはその場に座り込んだまま、声のする方向へと目を向けた。その方向には羽織袴姿の玄武が飛び込み選手のようにまっすぐに剣を突き立てんと向かってきていた。

 ガチン!!という金属のぶつかる音が響いた。その剃刀のように鋭い切っ先はNightWalkerの眉間へと突き刺さる直前、もう一本の腕の爪で間一髪のところで捕らえられてしまった。

 玄武の瞳とNightWalkerの金色の目ががっちりと合ってしまう。

「おらっ!」

 間髪入れずに、もうひとつの白刃が玄武とNightWalkerの爪の間に割って入った。その思わぬ攻撃に人狼は掴んだ玄武の刃を離してしまった。

「おい!大丈夫か!」

 体勢を立て直して、人狼から距離をとった位置へと着地した玄武はかろうじて答えた。

「え、えぇ、助かりました・・」

「お前じゃねぇよ。シルヴィアと瑠璃だ」

 同じく人狼を間にして距離をとった霧島はやれやれと肩をすくめると、耳に付けた通信機へ言った。

『えぇ、大丈夫です』

 人狼が少し振り向くと、いつの間にかふたりの姿は真向かいにあるビルの踊り場へと移動していた。彼女たちのそばの壁にはシルヴィアの愛用のナイフが突き刺さっている。

「ウオオォォォォォ!!!!」

「うぉ!」

 NightWalkerは怒り心頭と言った様子で、腕をめちゃくちゃに振り回すと、傍に居た霧島と玄武は間一髪のところで避けた。だが、人狼の鋭い爪がビルの壁に突き刺さると、そのまま大きなブロックとともにシルヴィアと瑠璃の方向へと向かってくる。

 だが、その岩石は人狼とシルヴィアたちの間辺りでなぜか大きくカーブを描いて落下してしまった。

「危ない危ない」

 いつの間にか、向かいのビルの下にはジャンが羽扇を手にして立っていた。

「守りはお任せ下さい。お三方は攻撃を」

 その姿にますますむかっ腹の立ったらしいNightWalkerはさらに攻撃を仕掛けようと、腕を大きく振りかぶった。その威圧感に思わず霧島と玄武は剣を手に身を固くしてしまう。

 カンッという乾いた金属音が響いた。NightWalkerは突然の衝撃に一瞬動きを止め、その間に霧島と玄武は距離をとった。

「やっぱ硬ぇな」

 その衝撃に気付いた霧島が舌打ち交じりに言った。

『通常弾は効きませんね。長年銃を扱ってきましたけど、ライフルで倒れない標的は初めてです・・』

 通信からは露五の嘆声が漏れ聞こえてきた。

『大丈夫そうかい』

 屋敷の研究所にこもるグスタフが脂汗を流しながら言った。NightWalkerを中心に霧島、玄武、ジャンが取り囲み、少し離れたビルの屋上には露五がライフルのスコープを覗いていた。

「どうもこうも。こいつを倒してアイテムゲットしないと、後でえらいめにあうのは俺たちだぜ」

『ソアラさんてそんな怖・・いですね。確かに・・』

 霧島の軽口に露五が通信機越しに答えた。

 月の位置彼らの頭上高く輝き、身を切るような冷たい風が吹きすさんでいた。


ヴィアレット家豆知識

Marchia=今回の武器は全てソアラが用意した銀製。弾丸は聖カトリック教会の十字架を鋳溶かして精製されたもの。刃物はカトリック騎士団兵の鋼の剣に銀を含ませて打ち直された。そのため、日本刀に比べるとやや強度が落ちる。

NightWalker=元は人間だが、はるか祖先に人狼の血を受け継いでおり覚醒。理性はあるが、ほとんど獣と同じ行動をとる。

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