吸血鬼の店 #1

 一月も終盤に差し掛かり、ようやく凍えそうな寒さのなかにもほんの少しだけ太陽が燦々と輝く冬暖かな日々が続くようになった。あれだけ人々を悩ませた雪も太陽の光を嫌がってか、夜の間に降り積もっても昼になれば日陰に身を寄せ合う程度にしか残らず、春にはまだ少し早い、つかの間の安息の時間が訪れていた。

 街を歩けば、その陽気に浮かれた人々の群れがそこかしこに見られたが、その群れを避けるようにして、ふたりの男性が寂れた石畳の路地を静かに歩いていた。

 大都市圏のなかに埋もれた人気の少ない路地に様々な店が立ち並ぶ中、10坪ほどのこじんまりとした敷地内に、小さな2階建ほどの家屋がぽつんと建っていた。

 ふたりの男性がその店の前に立った。ひとりがいぶかしげにきょろきょろとその店を見渡すが、隣には美術ギャラリーや古書店といったやや古びた外装の店が建ち並び、とりわけその家屋だけが特別と言った風には見えないが、窓は磨りガラスになっており、外からは何を扱っているのかはさっぱり分からない。ただ軒先につられた小さな吊り看板には『Aster』とゴシック文字で刻まれており、文字の下には小さな五芒星のレリーフが彫られていた。

 ふたりが店に入ろうと扉のハンドルに手をかけると、ひとりでに扉が向こう側から開き、一人の少女が店から出てきた。

「おっと、ごめんなさいね」

 金色の髪を持つ美しい少女はそういうと、ふたりの隣をすり抜けるようにして出て行った。

「いらっしゃい。あらあら、おふたり連れなんて珍しい」

 ふたりの入った店内には、ふたりの男性-霧島と露五が務めるヴィアレット家の屋敷にてメイドを務める紫苑ソアラが、小さな椅子に腰掛けていた。

「ここに来るのも久しぶりだな」

「お疲れ様です、ソアラさん」

 霧島と露五はそれぞれ着ていたコートを脱いで挨拶をすると、ソアラは入り口にあるコートかけをすすめた。

「もしやと思って来てみたけど、まだ続けてるなんてな」

「うふふ、お屋敷で働かせて頂く身だけど、やっぱりこのお店を手放すのも惜しくて。昔からのおなじみさんもいらっしゃるしね」

「ということは先の方もその・・魔女か何かなので?」

 露五が先ほどすれ違いになった少女の姿を目で追いかけると、ソアラが答えた。

「えぇ、あの方はルーマニアの生粋の魔女よ。もう500歳を超えていらっしゃるのではなかったかしら」

「500っ・・」

 露五の驚く顔を見てソアラはその美しい顔にいたずらっぽい微笑を覗かせた。

「なんとも景気の良い話なこった」

 霧島はニヒルな苦笑を見せながら肩をすくめた。

「命に長いも短いもないわ。お嬢様とお坊ちゃまを見ていれば分かるのではなくて」

 霧島は「まぁな」と答えると、ソアラはふたりの前で腕を組んで言った。いつものメイド服から、チェック柄の目立つガーリーな服装から覗く白く透き通るような腕が眩しく見える。

「それで?ヴィアレットの腕利きがおふたりで何をお求めになられに来られたのかしら」

「あぁ、ちょっとこれを用意して貰いたくてね」

 霧島は懐から一枚の紙切れを取り出すと、ソアラへと手渡した。そこにはずらりと、あれやこれやと聞き馴染みの無い物が細々と列記されていた。

「銀の弾頭が50に、銀のナイフが3、聖ルカの福音書を溶かした聖水・・銀は全て法儀礼済みの聖カトリック教会十字架製。吸血鬼でも倒しに行くのかしら」

 ソアラはひらひらと紙を指先で弄びながら、どこか冷たさを感じる瞳でふたりを見つめた。その瞳は紅く、ネコ科の猛獣を思わせる獰猛さがあった。

「いえ、今回の相手はその・・」

 露五はソアラの言葉に答えようとするが、霧島が手で制した。ソアラは目をそらしながら、

「あら、それだったらお屋敷でもご都合がつくのではなくて?わざわざ法儀礼までしなくとも銀ならどこでも手に入るじゃない。少なくとも吸血鬼退治の経験がある人がいるのだから」

 表情こそ優しげで言葉も荒げたりはしないが、どこか刺々しい態度でソアラは答えた。

「いやなに、今回はどうも面倒な奴でね。我が家ご自慢の科学者たちも、さすがに銀の弾丸や十字架に弱い連中との戦い方までは埒外なのさ。餅は餅屋っていうだろ?」

 霧島は飄々とした態度でありながら、足は一歩ソアラの方へ出し、手は背中に隠したナイフへと意識が向いている。これは露五も同じだった。ふたりと少女の間に少しの間張り詰めた緊張感が流れている。

「ふぅん。まぁいいわ。報酬はどうするのかしら?」

 その膠着を先にといたのはソアラだった。

「先にキャッシュで20万ユーロ。後払いになっちまうが、Night Walkerの瞳と、牙、それと爪だ。何でも魔女の間では高値で取引されるって聞くぜ」

 報酬と言うには馴染みのない物だったが、それらの名前を聞いてソアラはやや瞳を輝かせながらふたりの方へと振り向いた。

「Night Walker・・ね。それなら、あとは大腿骨か頭蓋骨も欲しいわ」

「善処する」

「Bine(OK)。取引成立ね」

 ソアラは先ほどとはうって変わって、鼻唄を歌いながらうきうきとしながら、店の奥のカウンターへと戻っていった。その様子を見て、露五はふぅと一息をつき、そばの棚に飾られた鉢植えの植物へと目を向けた。

「ところで露五さん、それ、触ると指がなくなっちゃうわよ」

 露五はぎくりと身体を硬直させて、今まさに指先でつつこうとした多肉植物の鉢から手を引っ込めた。

「相変わらずえげつねぇもん扱ってんな」

 霧島は店内に飾られた古書や試験管の薬草や、動物の骨や鉢植えを見てげんなりとした顔で答えた。

「アルラウネの子どもよ。今はやんちゃだけど可愛いわ。お屋敷にも植えたいけどダメかしらね」

 ソアラはカウンター越しに肘をついて愛嬌を見せるが、露五は両手をあげてNOと意思表示を見せた。

「残念」

 ソアラはにっこりと笑うと続けた。

「用意できたらお屋敷に届ける方がいいかしら?それとも取りに来る?」

「取りに来るよ。まぁ、とりあえず頼んま」

 霧島はそれだけ答えると、露五の肩をぽんとひとつ叩いて早々に店を出て行った。

「はぁ~」

 露五は店の外に出た瞬間、まるで酸素の薄い密室から脱出できたような開放感に思わず胸をなで下ろした。

「大丈夫かい?」

「まさかソアラさんからあんな殺気を向けられるとは思いませんでした」

 露五は背中と額から冷や汗が落ちるのを感じ、寒さに身震いをした。

「今回は仕方ないさ。あいつからしたら自分を殺せる道具を用意させられるようなもんだ。あの紙に書いたのは全部、劇物みたいなもんだぜ」

 霧島はそう言うと、口元に手をやり煙草を吸う癖を見せた。

「霧島さん。どこかで一服しませんか」

 露五がそう言うと、霧島が手をあげた答えた。

「お、いいね。お好み焼きでも食いに行くか」

「一服と言ってるのですが・・」

 露五は呆れたようにして手を額へとあてた。


ヴィアレット家豆知識

紫苑ソアラの店=『Aster』とはギリシア語で『星』の意味。花びらが星のように広がることから名前がついた。紫苑の属名は『Tatarian aster』という。

花言葉は忍耐、優美、愛の象徴。

魔術や薬草に関する品を扱っており、古なじみの魔女や吸血鬼が通っている。



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