スキー旅行 温泉

 どこまでも透き通るように見えた青空も、時の経過と共にとっぷりと昏くなり、やや残る橙色と青い闇のなかにぼんやりと月が浮かぶ時刻となった。まだ二十歳にもならないまだ幼さの残る執事やメイドたちは久々のレジャーに存分に身体を動かし、閉じこもりがちで溜まった鬱憤を吐き出したことですっかりと表情や雰囲気に活力を取り戻していた。

 ヴィアレットの面々が訪れた雪山に建つロッジは、千鳥一花の生家である千鳥家が管理する場所であり、優に数百を超える人数を収容できるほど広い敷地を誇っていた。全室には屋敷と同じように生活を送れるよう寝床から着替えまで心づくしに配慮がされており、感じやすい年頃の少年少女達も、部屋に入って数時間もすれば安心した気持ちになり、この非日常を心ゆくまで堪能するのだった。

 さて、この千鳥家の管理するロッジには、ウィンタースポーツが楽しめるほかにも一つ大きな見所があった。それはロッジを正面に左右へと分かたれた温泉だった。どちらも十分に広く露天になっており、高い生け垣の塀に囲まれた頭上には、ただ満天の星空が見えるのみの開放的な空間となっていた。


〈女湯〉

「あぁ~~~~、生きかえるぅですの」

 凍りつくような冷たい空気にさらされた温かく白い湯からもやもやと湯気がたちこめる露天風呂のなかで、金髪碧眼の少女が陶酔した表情を見せていた。その隣では、彼女とは対照的な銀灰色の髪と緑眼を持ち合わせた少女が並んでいた。

「マリィ・・ちょっと年寄りっぽいかも・・」

「え~、キッカちゃんひどいですの~」

 マリアンヌはそう言って膨れた顔を見せた。

「イタリアでもノンナ(おばあちゃん)がよく言ってた。マリィはおばあちゃん」

 キッカは不敵な笑みを浮かべてマリアンヌの腕を指でつついた。

「うぅ~、キッカは意地悪ですの。今夜のデザートは小さくして差し上げますの」

 マリアンヌはぷいと顔を背けると、腰を浮かせてキッカの隣からゆっくりと離れていった。

「それは困る。許して」

 キッカはそう言って、マリアンヌを追いかけて距離を詰めるが、それでもマリアンヌは一定の距離をとり、負けじとキッカも距離を詰めようと追いかけた。湯に溶けた白い濁りが彼女たちが動き回るたびにくるくると渦を巻いていた。

「あらあら、楽しそうね」

 そんなたわいない戯れを一人の女性がくすくすと笑いながら眺めていた。

「まぁ、九さんもいらしたんですの」

 マリアンヌはそう言って逃げるを止めると、後ろからキッカが肩を鷲づかみにした。「ひゃぁっ」とマリアンヌは頓狂な声をあげた。

「私の勝ち・・」

 キッカは勝ち誇った顔でそう答えると、掴んでいた肩を離した。

 マリアンヌは恥ずかしそうに顔を赤らめ「九さん~、キッカちゃんがいじめるんですの」と言って九の方へと逃げていった。

「あらまぁ、ダメよキッカちゃん」

「ごめんなさい・・」

 九がたしなめると、キッカはしゅんと俯いてしまった。

「マリィちゃんも許してあげてね」

「いいですの。許すも何も怒ってないですの。デザートだってちゃんと用意してますのよ」

 マリアンヌはそう言うと、キッカを手招きして隣へと誘った。元々このようなやりとりは珍しいものではなく、むしろ人見知りなキッカから距離を詰めようとしてくれるのをマリアンヌは喜ばしく思っていた。

「ありがとマリィ」

 キッカがそう言って、マリアンヌの隣に座るのを九は微笑ましく見ていた。

「仲直りできて良かったわ」

 九は背もたれにしていた岩に座ると、傍においていたタオルで身体を覆い隠した。ふたりのまだ幼さの残る姿態に比べると、胸や腰回りはふっくらとしているが、それでも腕や脚にはうっすらと筋肉の筋が走っており、よく鍛えられたアスリートのような身体でもあり、均整のとれたルネサンスの彫刻のような美しさも兼ね備えていた。

「ふにゃぁ~。少し暑くなってきましたの」

 マリアンヌはそう言って湯船からあがると、手近な岩へと腰掛けた。元々白く透けるような肌は紅潮し、流れる血潮までも見えてしまうようだった。額にはじっとりと汗をかいており、巻き上げた前髪がぺたりとくっついてしまっている。

「これ以上は湯疲れしちゃうかも・・。そろそろ上がった方がいい」

 キッカの言葉にマリアンヌは頷くと、いそいそと湯からあがっていった。

「ママはどうする?」

「私はまだいるわ。マリィちゃんについていってあげてね」

 「Si」とキッカはそう答えると、少しふらふらとした足取りのマリアンヌを支えて去って行った。


〈男湯〉

「いやぁ、冷えた身体には堪えますね」

「そうですね。寒さには慣れているつもりでしたが、今年はこれほどとは」

 男湯では露五とジャンが肩を並べて談笑していた。二人とも恐ろしいまでに引き絞られた身体をしており、特に露五の全身に走る傷は痛々しく映る。

「それで、今回も玄武君はどうしたんだい。あの有様は?」

 グスタフの視線を追って、ジャンと露五が振り向くと、彼らの背後の打たせ湯ではやや白ボケた様子の玄武が延々と落ちてくる湯に打たれていた。見れば、腕のあちこちは真っ赤に腫れており、所々青たんになっている箇所もある。

「さぁ、私たちも詳しいことは分からないのですが、何やら手刀で大木を切っていたとか」

 ジャンが答えると、グスタフが苦笑した様子で答えた。

「やれやれ、たまには彼もレジャーを楽しんでもいいと思うがね」

 露五とジャンは静かに首をうんうんと頷かせた。

 もうもうと上がる湯気の向こうには丸い月がぼんやりと浮かんでいた。


ヴィアレット家豆知識

棗と一花=性格からか肩こりが酷いので屋敷のスパではマッサージの常連。今回ではマッサージ機で二人並ぶ姿が見られた。


ゆなとゆずる=今回の旅ではふたり用の露天風呂が用意された。約一名のメイドがしつこく温泉に誘ったが、あえなく却下されている。

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