スキー旅行

 一月も中旬へと差し掛かると、ようやくヴィアレットの面々を屋敷へと閉じ込めていた豪雪も随分と落ち着きを見せ、日常通りの生活を送ることができるようになりました。実に九日間も屋敷に釘付けにされていた身体は、すっかり快適な温室に馴らされてしまっており、窓の外を吹きすさぶ冷たい風は、まさしく身を切られるような鋭さを持っているようでした。それでも、まだ庭や裏の山に残っている白く広がる雪の絨毯や、冷えて浄化された透き通った青空は、何とも非日常を感じてうきうきとした気持ちにさせてくれるのでした。

 しかし、人間-私たちは人形で、従者には半分人間という者もいるのですが-煩わしいと思っていた自然現象でも、いざそれを活用する機会が失われると分かれば未練がましく思うものです。そして、それをただ指をくわえて眺めていられるほど、私たちは物わかりの良い性格はしていないようです。ある夜、雪見をラウンジのなかで楽しんでいたとき、誰かが「スキーに行きたいですね」と何気なく呟きました。年末年始の目の回るような忙しさに加え、一週間以上も筺のなかに閉じこもっていた私たちは枯れ草に火を放つ如く、果てしなく続く雪原に身を投じてみたいという欲求が爆発してしまいました。

 そして言うが早いか、私たちは三日間の休みをとり、ヴィアレット家の所有する雪山へと小旅行を決行することにしました。このフットワークの軽さと行動力は、私たちの美徳としたいところです。

「綺麗に積もったわねぇ」

 自家用ジェットとヘリの行程を経て、雪山のロッジに着いた私は窓から見えるスキー場を見て開口一番そう言いました。思えば何とも月並みな表現しかできませんでしたが、壮大な山の曲線に白く輝く雪のカーペットは、私の乏しい表現では例えようのない優雅さがあるのです。

 ところで私とお兄様の身体は、今更言うまでも無いことですが、球体関節という非常に衝撃に弱い構造でできています。本当はスキー板を履いて格好良く滑走したいところでしたが、雪の斜面でうっかりこけてしまえば、身体がバラバラになって目も当てられない事態になるのは明々白々でした。いくら好奇心旺盛な私といえど、そんなスプラッターはさすがに遠慮したいところなので、私たちはスキー場からほど近い庭園で、かまくらにでも入ろうかと考えていました。

「瑠璃にお任せです!お嬢様お坊ちゃま!」

 ですが、行きしなの飛行機のなかで瑠璃が胸を張ってそう答えました。

「瑠璃はそう言ってたけど、どうしたものかしらね」

 信頼するメイドの一人がそう言ったからには、私たちとしては任せて部屋で大人しく待っているほかありません。メイドと執事たちが元気にスキー場へ遊びに行くのを、私たちは少しだけ羨ましく眺めていました。

「お待たせ致しました。準備が整いましたので、外までどうぞ」

 しばらくして、棗が部屋まで呼びに来てくれたので、私たちは防寒着に着替えて表玄関まで出ました。すると、そこには一匹の大きな狼が訓練されたシェパードのように座っていました。鋭敏そうな緑色の瞳に、黒く艶のある毛皮の下には、力強い肉体が隠れていました。私たちは一瞬ぎょっとしましたが、ぴんと立てた耳に星の装飾をあしらった緑色のリボンが巻かれているのを見て、

「ふふ、なるほど、そういうことね」

 その真意に気付いた私とお兄様は思わず吹き出してしまいました。

 どうやら黒の懐中時計の力を使って狼の姿に変身した瑠璃が、ソリを引っ張ってくれるらしいのです。その証拠に彼女の身体には丈夫そうな赤色のハーネスが着せられており、そばにはやや小ぶりな籠のようになったソリが鎮座していました。

「でも君だけでこのソリは大変じゃないかな」

 お兄様はそう言って、瑠璃のそばにしゃがみ込むと、ふわふわと温かそうな黒い毛皮を軽く撫でてやりました。瑠璃は狼の姿ながら、どこかその愛らしく人好きのする表情を見せると、ふと私の方へと目線を移しました。すると、

「にゃおぅ」

と猫のような可愛らしい、それでいて少し低く唸る声が足下から聞こえました。ふと見ると、いつの間にか瑠璃の狼の姿よりも少し大きくて丸みのある雪豹がやや所在なげに座っていました。瑠璃と並んで現れた彼女にもぴんときました。

「あら、銀雪ね。貴方もソリを引っ張ってくれるのかしら」

 私はしゃがみ込んで、軽く頬を撫でると彼女は目をつぶってされるがままにしていました。彼女の姿は寒冷地特有の小さな耳に、淡い灰色の毛皮に黒い豹柄が点々と美しい模様を描いており、白い雪を背景に立つ姿はなんとも神々しいものを感じさせました。聞けば、雪豹とはかつてインドでは気高い精神の象徴とも呼ばれ、遊牧民には恵みをもたらす氷河の神と崇められた存在なのだそうです。私が撫でるのを止めると、彼女はぺこりと頭をひとつ下げてから、瑠璃の側へと寄っていきました。瑠璃は彼女が来ると、頬を寄せて顔を撫で、ソリの元へと誘っていきました。

「お嬢様、お坊ちゃま。ロッジより半径100mを無人に致しましたので、ごゆっくりお楽しみ下さい。くれぐれも瑠璃を甘やかさないように」

 私たちが早速瑠璃と雪に繋がれたソリに乗り込むと、留守番を任された棗がそう言いました。その声には心配の気配が色濃く見えています。

「ワフッ」

 と瑠璃が一声そう鳴き、じろっと棗を睨み付けました。

「ありがとう。貴方たちの目の届かない場所には行かないし大丈夫だと思うわ」

「瑠璃も雪も心得ているからね」

 私たちがそう言うと、瑠璃はどこか勝ち誇ったように得意げな顔を見せ、べろっと舌を出したのが見えました。その悪態に棗が目をつり上げました。

 これ以上争わせておくと、雪が溶けるまで続きそうな雰囲気だったので、私たちは示し合わせて雪へと合図を出しました。しばらくじっと静観していた雪が一声鳴くと、瑠璃にやや強めに頭突きをしました。思わぬ攻撃にさすがの瑠璃も驚いたようで、目に見えてしおらしくなったのが少し面白く思えました。

「二人とも準備できたようだから行ってくるわね」

 私たちは棗にそう言うと、瑠璃と雪がゆっくりとソリを引っ張りました。ちなみにソリはバスタブのような器型になっており、二人分の腰おきが備え付けられていました。晴れた青空の下、私たちのソリはゆっくりと雪の上を進んでいきました。聞こえるのは雪を滑る音と、二人が雪を踏むたびに鳴る音だけで、周囲には壮大な雪山がそびえ立ち、何とも風情のある光景でした。

「美しい所ね。白と青しかない。まるで止まった世界みたいだわ」

「僕たちみたいだね」

「あら、それでも私たちには心があるわ」

 私がそう答えると、お兄様は優しく抱きしめてくれるのでした。

 しばらくソリの散歩を楽しんでいると、どこからかざわざわと騒がしい音が聞こえてきました。最初は風の音かと思いましたが、どうやら人の声のようだと気付きました。瑠璃と雪に合図を出してその声のする方へと向かいました。

 遠くにそびえる雪山に木霊して聞こえる歓声にふと目を向けてみると、一人のスノーボーダーがスキー場に設置されたハーフパイプを華麗にジャンプしているのが見えました。まるで羽でも生えているのではないかと思うほど、綺麗に身体をひねったりと魅了する姿を披露しており、技を決めるたびに歓声があがりました。

「イヤッハ-!!!」

 耳をすませば、霧島のはしゃぐ声が木霊して聞こえてきました。

「やっぱり、私たちにはこういう世界が似合ってるのよ」

 私とお兄様は苦笑して顔を見合わせるのでした。


ヴィアレット家豆知識

ヴィアレットスキー場=玄武の師匠である桜子がひとりで造設した。玄武は着いて早々に木を(手刀で)伐採するように命じられており、夜には温泉で傷を癒やす姿が見受けられている。

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