ヴィアレット家メイド ニーナ=アンリエッタ

 4月も半ばになり、新年度の浮き立つ様相もややナリを潜めはじめ、みなそれぞれが新たな生活に腰を落ち着けるようになりつつあった。一年のサイクルにそこまで大きな変化のないヴィアレット家でも、桜の咲き始めには張り切った気持ちで仕事に邁進するのだが、ここ数週間はちらほらと体調を崩す者が出始めており、この時期になると医務室に出入りする者が多くなるのもある種風物詩と言えた。

「いやぁ、毎年のことながら初々しいっすねぇ」

 昼頃になり、ラウンジでは棗とニーナが遅い昼食を摂りながら雑談に花を咲かせていた。好物のハンバーガーに舌鼓を打ちながら、ニーナは先ほどからラウンジの一角をちらちらと見ながら言った。

「ニーナ、あまり人のことをじろじろ見るのは・・」

 棗は食事に使うナイフとフォークを神経質そうに置きながら、自分よりも少し大人の同輩を咎めた。

「へへ、棗ちゃんに怒られちゃったっす。でも、あのフレッシュな姿を見て欲しいっす。あのカチコチに緊張した姿。可愛らしいじゃないっすか。愛らしいっす」

 にまにまとした顔でニーナの見つめる先には、まだ16にも満たない少女が、自分の新たな同僚たちに受け入れて貰おうとして一生懸命になる姿があった。その隣の席には、彼女より少し大人びた青年が同じように席に着き、先輩から受けるアドバイスや心構えに懸命に耳を傾ける姿があった。

「それならなおさら、おふたりとも一生懸命なのですから失礼ですよ」

 棗は相変わらずの仏頂面でため息を吐いたが、ニーナは特に気に留める様子はなかった。ニーナはハンバーガーを食べ終わった手を手元のナプキンで拭くと、両手を組んで頬杖をつくった。

「まぁまぁ。でも、この時期に一生懸命なのは分かるんすけど、あとで反動がきついんすよね。あの調子じゃあと半月もしたら医務室ウチの常連さんになっちゃうっす。せめてどんな性格かは把握しときたいんすよ」

 ニーナは飄々とした態度ながらも、その目にはじっと射貫くような真剣さがあった。ラテン系の褐色な肌はラテンの輝く太陽を思わせるが、その黒曜石の目には学者の冷徹さが同居しており、彼女のつかみ所のない内面が垣間見える瞬間だった。

 棗は自分も食事を終えると、ナプキンで口元を拭いながら「そういえば」と切り出した。

「ふたりともご両親は本家に仕えてらしたそうですよ」

「へぇ」

 ニーナは顔を彼女たちに向けながらどこか気のない返事を返した。

「私も少しお話はしましたが、おふたりとも利発で実直そうに思えました。まぁ、確かに気を張りすぎると疲れが出てしまうかも知れませんね」

 そう言う棗のパリッと糊の利いたシャツを見ながら、ニーナは少しだけ苦笑いを浮かべた。

「特にメイドの方は、全国模試でもトップに入るくらい優秀な子らしく」

「そうなんすか・・」

 ニーナはそう言うと、手元に置かれたジュースに浮かぶ氷をころころと弄んだ。


 ニーナ=アンリエッタはアメリカ南部の観光が盛んな地にひとり娘として生を受けた。

 太陽のギラギラと輝く明るく開放的なこの土地で、ニーナは優しい両親と思いやりのある友人に囲まれてすくすくと育ち、彼女にはこの世の不幸や悲しみもなにひとつ縁のないように思えた。ニーナは生まれついて頭が良く、地元の模試ではトップを飾るほど優秀で、学校の先生たちがアメリカ最高峰の大学への進学を勧めるのは当然の流れと言えた。街の小さな雑貨屋を営むニーナの両親は決して裕福とは言えなかったが、彼女の才能を応援したいという愛情に比べれば、金銭などたいして悩む問題ではなかった。彼女は奨学金プログラムを利用して進学し、わずか数年の間に研究生としてとある高名な化学者の研究室へと迎え入れられるほどの才能を発揮し、その界隈では知らぬ者なしと言われる高雅な花と言えた。有頂天とは言わないが、ニーナは自分が天使に愛される祝福されているのだという確信めいたものを感じるほどだった。

 だが、その研究室で2年を過ごすと、ひとりの年端もいかない少女が後輩として所属することになった。彼女は銀色の髪を持ち、スラブ系の容姿の整った美少女だった。

 その日から、ニーナの周囲には少しずつ変化が訪れたといっていい。人から見れば、たいした変化ではなかった。

 しかし、それは、あたかも蘭の花が他の花々を枯らしてしまうように思えた。

 少女は天才だった。科学の幅広い分野に精通し、世界の高名な学者とも交流し、その謎に満ちた出自もミステリアスで、大学と学会からの憧れの存在だった。ニーナと少女の立ち位置は完全に取って代わられたといって良かった。

 ニーナはこれまで人に対し、嫉妬というものを覚えた経験はほとんどなかった。あったとしても自分よりも優れた人物に対してはいつも敬愛の念を持っていたし、自分もかくあらんと発奮するというポジティブな感情を抱くことがほとんどだった。

 しかし、ニーナは少女が来てからというもの、その心にはおぞましい程のどす黒い感情が渦巻くようになった。あたかもエイリアンが産み付けた卵が還って、身体のなかをのたうち回るような、そんな内から沸き起こるどうしようもない嫉妬の感情が彼女を追い詰めた。賢い彼女はそれを人に感づかせまいと必死に取り繕うが、周囲から見て、何かニーナに悪影響を与えているのは明らかだった。

 そして、そんな生活も突然終わりを迎えた。少女は突如学会から姿を消してしまった。周囲の反応は様々だったが、皆一様に残念がったのは共通していた。だが、ニーナは内心ほっとした。これで自分を苦しめる存在はいなくなった。また以前のような明るく祝福されたような日常が戻ってくるのだと。だが、その後に残ったのは、刈り取られた雑草生い茂る荒れ果てた大地だけだった。少なくともニーナにはそう見えた。

 無味乾燥な日々が数年続き、ある日突然、ニーナはかつての同輩から連絡を受けた。

「貴女をぜひヴィアレット家に迎え入れたい」

 かつて少女だった同輩はこう切り出した。

 その言葉を聞いて、ニーナは胸のなかに沸き起こる感情と共に、頭のなかに蠢く言葉の渦に飲み込まれそうになった。だが、ニーナはあるひとつの想いから、言葉を絞り出す。

「もちろんっすよ。貴女と一緒に働けるならこんな光栄なことはないっす」

 ニーナはにかっとひまわりの咲くような笑顔でこう返した。


 ラウンジの一角から笑い声が起こった。 

 ふたりの新人の執事とメイドが、同輩たちとともい笑い合っている姿があった。

 ニーナはその姿を見て、小さく微笑んだ。

「頑張って欲しいっすねぇ・・」

 棗はその言葉を珈琲を飲みながら静かに聴いていた。

 

 貴女はいつも目の上のたんこぶだった。

 貴女は私の輝く場所を奪った。

 貴女が去った後に残ったのは、荒れ果てた大地だけ。

 何もない。何も。

 貴女をいつも目で追っていた。

 研究室でも、学校の外でも。

 貴女を想わない日はなかった。

 いつか追い越してやろうと。

 貴女を超えたいと。

 貴女の存在が疎ましい。

 貴女の存在が羨ましい。

 貴女の曇った瞳には、最早かつての面影がない。

 悔しい。悔しい。

 もうあの頃の貴女はいない。

 だから、私はいつも貴女のそばにいる。

 いつか見せた輝く貴女が戻ってくるまで。

 稲妻の落ちる瞬間を見逃さないために。

 同じご主人様のもとで。

 シルヴィア=アレンスカヤ。

 

 ヴィアレット家豆知識

新人執事=18歳の日本人。高校を卒業してすぐにヴィアレット家へと入った。代々ヴィアレット家の建築に携わった一族。

新人メイド=15歳のアメリカ人。大和撫子に憧れるやや控えめな性格。両親は本家で通訳を務めている。

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