師弟と母娘

 12月も中旬となり、長いようで短い一年という月日が終わりを迎えようとしている。この時期ともなると、家庭も会社もあちらこちらで人々が忙しなく歩き回って目を回し、師走と昔の人が名付けたのを否が応でも実感させられる。

 また、猖獗を極めた流行病も今やすっかりと忘れ去られつつあり、ヴィアレットの本家では会合やパーティも段々と再開されるようになっていた。それにゆなとゆずるも多分に漏れずかり出される羽目になってしまったために、それに付き従うメイドと執事の分、屋敷で家事を行う者の負担も増えてしまっていた。

 昼の日も少し傾き始めた頃、屋敷で出される大量の洗濯物が干された部屋のなかで、ふたりの少女が黙々と働いていた。サンルーフとなった屋根から差し込む冬の弱々しい太陽が僅かに注ぎ込んでいた。

「ママ、こっちは終わった」

 メイドのキッカ=アルベルティが空になった洗濯篭を手に、同じくメイドの松永九まつながここのに話しかけた。

「ご苦労様、キッカちゃん。私ももうすぐ終わりますからねぇ」

 その優しくて面倒見の良い性格から「ママ」と愛称されている姿に相応しい、包み込むような温かさを感じる笑顔を携えて九は答えた。

「結構時間かかっちゃった。ちょっと休憩したい」

 キッカはそう言って、ずらりと並ぶ洗濯紐にかかったタオルや服を眺めた。普段あまり疲労や不満を顔に出さないキッカも、この量にはさすがに辟易としたようだった。

「あとでラウンジでお茶にしましょうね。今日はマリィちゃんがアップルパイを作ってくれたそうですから、一緒に食べましょうね」

「アップルパイ。マリィの作るケーキは美味しいから好き」

 好物のアップルパイと聴いて、キッカの顔が淡く頬紅を差したように紅潮した。


「おや」「あら」

 昼休みには少し遅れた時間。九たちがラウンジへと降りていくと、人もまばらになったテーブル席には、グスタフと【アプリオリ】が紅茶と少し削られたケーキを手元に座っていた。

「グスタフさんと【アプリオリ】さんもご休憩ですか?」

「えぇ、ようやく研究室の方も片付いたところで。すっかり昼食が遅くなってしまいました」

「私たちも同じようなものですわ。この時期は人手がいくらあっても惜しくありませんね」

 グスタフと九がお互いの仕事を労っていると、キッカが【アプリオリ】の隣の椅子を指さして言った。

「お兄様。この席は空いてる?」

 キッカの遠慮無い言葉に、九は少し慌てた様子で言った。

「あら、キッカちゃん。せっかくお休みのところをお邪魔してはいけないわ」

「いえ、構いませんよ。ちょうど話も途切れてきたところです。ねぇ、グスタフさん」

 【アプリオリ】はそう言うと、隣の席の椅子をひき、キッカに座るよう促した。キッカの顔には小さく満足な表情が浮かんでいた。

「ありがとうございます。お言葉に甘えますわ。キッカちゃん、私はアップルパイをとってくるわね。おふたりは?」

 九がそう聞くと、グスタフと【アプリオリ】は小さく顔を横に振った。


「そういえば、おふたりはご師弟の関係と伺いましたわ」

 4人でテーブルを囲む和やかな時間が過ぎていくなか、九がふと尋ねた。

「えぇ、グスタフさんには物理と数学に関して手解きを頂きました。といっても数年ほどでしたが・・」

 【アプリオリ】は目線をラウンジに飾られた花や調度品に向けて、過ぎ去った思い出に浸るように答えた。

「昔のことさ。今では君の成長を見守るばかりになってしまったよ。日本で言うところの出藍の誉れというやつかな」

 その言葉に【アプリオリ】は少しムキになったようにして答えた。

「何を言います。カントのマニピュレータ機構にヒントを頂いたのは忘れていませんよ」

「そのようにお互いを尊敬し合える仲は素敵だと思いますわ」

 九はふたりの様子を微笑ましく眺めながら、くすくすと笑った。その様子を見ていたキッカが、無心で食べていたアップルパイを切る手をとめ、正面に座る九に尋ねた。

「ママはどうしてお屋敷に来たの?」

「私もキッカちゃんと同じですよ」

 九はそう言って紅茶に口を付けた。

「私は元々はフランス分家の方にお仕えしておりましたわ。グスタフさんのお父上様には随分と目をかけて頂きまして。「オーディン」のお噂はかねがね聴いておりましたので、このお屋敷に来たときは驚いたものですわ」

 「オーディン」という懐かしいあだ名に、グスタフと【アプリオリ】は頬を緩ませた。

「私も父と顔を合わせるたびによく聴かされたものです。そうだ、二人とも知ってるかい。彼女はフランスではアテナと呼ばれていたんだ」

 アテナとはギリシャ神話に登場する女神であり、学芸、知恵、そして都市防衛を司るとされている。

「アテナ。なるほどぴったりですね」

 【アプリオリ】が得心がいったように頷いた。親元から離れて暮らすメイドや執事たちには年相応に寂しい想いをする者も多く、甲斐甲斐しく面倒を見てくれる頼れる姿にそう重ねる人はかの国にもいたのだろうと思った。

「ママは強いから良い名前と思う」

 キッカが無邪気に答えたのに、グスタフは意味ありげな含み笑いを浮かべて言った。

「おや、キッカ君。実は彼女にはもうひとつあだ名があるのだよ」

 グスタフの言葉にキッカが少し身を乗り出したが、

「グスタフさん」

 グスタフが続けようとするのを、九は小さく、だが威厳のある口調で遮った。

「女の過去はあまり詮索するものではありませんわ」

 顔こそ、いつもと変わらない優しい笑顔が張り付いているが、まるで重たい城壁の扉を前にしたような重々しさを感じる雰囲気に、その場にいた3人が僅かに萎縮してしまう。

「これは失礼」

 グスタフは珍しく慌てた様子で口をつぐんだ。


ヴィアレット家豆知識

松永九=元フランス分家メイド。軍の特殊部隊に身を置いていた過去があり、額の傷はその時のもの。フランスでは美貌と教養ある姿からアテナとあだ名されたが、戦場を駆け回る姿はアルテミスとも言われていた。このことはMarcia含め一部の人間しか知らない。

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