狩猟と研ぎの話
ゆなとゆずるが紅葉狩りに来るに当たって、すでに先遣隊となるメンバーは数日前から現地へと足を運んでいた。秋晴れの少し侘しい青空の下、すでに設置されたグランピングテントのそばで狩猟を担当する棗が、執事ふたりの前に立っていた。
「それではどうぞよろしくお願いいたします。SPのお二方にこのようにお手を煩わせるのは申し訳ないのですが」
普段のメイド服から狩猟に適したあかね色のハンティングウェアに着替えた棗が、玄武と露五に軽く頭を下げた。
「狩猟でしたらお任せ下さい。猟をすると聞いて一応持ってきてたんです。ちょうど、この間新しいライフルを手に入れたばかりで・・」
「いえ、露五さんの銃は登録がされておりませんので使えません。加えて、すでに罠をしかけていますので、今回の猟では銃は使うことはございません」
棗の扉が閉まるかのようにぴしゃっとした答えに、露五は目に見えてしおしおと落ち込んでいく。
「まぁ、今回はわな猟を中心に山を歩きましょう。ですが、もし鹿や猪が歩いているのを見かけたら、投石という手段もありますよ」
「投石ですか?」
法律上、狩猟は銃や罠などを使うには免許が必要なのであるが、パチンコなどの使用や素手での捕獲は免許なしでも行えるとされている。
「えぇ、まぁ手頃な石があれば。仕留めきれなくとも気絶ぐらいはさせられるでしょう」
玄武は軽くボールを投げるようにして腕を回した。
「そんなことができるのはお父さんだけですよ」
(・・ん?お父さん?)
不意に棗が使った呼称に露五は違和感を覚えた。
「そうですか?こう・・フォームをきちんとすることで400㎞は出ると思うのですが」
「よく考えて下さい。野球とスリングショットでの猟は違うんですよ」
ふぅと棗は呆れたようにため息を吐きながら答えた。
ふたりの噛み合っていそうでどこか噛み合っていない会話に、さらに露五は困惑を隠すことができなかった。
(えぇ~・・。まさか玄武さんだけじゃなくて、棗さんまで。これはなかなか疲れるんじゃ)
「露五さんいかがなさいましたか。そろそろ参りましょう」
露五が先行き不安な一日になりそうな気配にぐるぐると頭を悩ませていると、すでに山へと歩き出していた棗と玄武が促した。
「どれくらい捕るつもりなんだい」
「鹿か猪が3頭捕れると上出来かと。あとは鴨や雉も捕れるならば」
「うちは大食漢揃いだからねぇ」
「まぁ、足りなければ最悪お父さんに素手で捕らえて頂きます」
棗と玄武は意外にも和気藹々といった様子でずんずん先へと進んでいく。
(紅葉綺麗だなぁ・・)
露五は内心もういいやと取り直してふたりの後について山の中へと分け入っていった。
3人が狩猟のために山の中へ分け入っていくのを、霧島がハンモックに揺られながら眺めていた。
(あのふたりはなかなかのボケ担当だぜ。露五ひとりで大丈夫か?)
霧島は心のなかで露五の苦労を偲びつつ、先ほどから焚き火の前で何やら作業をしているシルヴィアに声をかけた。
「ところでさっきから何やってんの」
シルヴィアは霧島には背中を向けたまま、角張った煉瓦のような石の前に座り込みながら、愛用しているナイフを擦りつけていた。
「見ての通り、ナイフを研いでいます」
「玄武にやってもらえばいいんじゃね?」
「そうですね。いつもは玄武さんかグスタフさんに手入れをお願いしてるのですが・・。でも意外と面白いものですよ」
シルヴィアは自分で研いでいた刃物に水をかけると、その鈍い波紋に目を這わせた。刃渡りは10cm程度の小さなダガーからは、レプリカとは違う雰囲気が漂っており、それをじっと見つめるロシア系美人の姿もまた、冷たくも人を惹きつけるようだった。
「それ玄武に貰ったんだっけ?」
「ええ、SPとして着任するときに。わざわざ手持ちの匕首から打ち直してくれたそうで」
霧島はシルヴィアの顔に珍しく、何やら哀愁らしい色が浮かぶのを感じた。
「外科は専門ではありませんが、切れ味の良いメスは負担も少ないですからね。役に立つかもと研ぎ方なども教えて貰いました。霧島さんもたまにはナイフの手入れをしてみては?」
シルヴィアはそう言うと、ナイフに付いた汚れなどを綺麗に拭き取り、油の染みこんだ布で磨いていく。
「以前は自分でやってたけどな。でも、できる人にやって貰うのがいいと思うの、俺」
霧島はそう答えると、ごろりとシルヴィアに背を向けて寝返りをうった。冬が近づきつつある、冷たい空気に満ちた山のなかで美しい鳥の音がきこえた。
「まぁ、それにこんな日は何もしないに限るさ」
「風邪引かないでくださいよ。面倒ですから」
シルヴィアはそう言うと、綺麗に磨き終わったナイフをケースへと収めた。
霧島ははいはいと背中越しに手をあげて答えた。
ヴィアレット家豆知識
棗=一回りの年齢差だが、玄武の事をお父さんと呼んでいた。たまにふたりの時はそう呼称している。
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