紅葉狩り

 11月も中旬へと差し掛かると、昼夜を問わず冷たく乾いた空気が辺りを包み込んでおり、すでに冬が訪れたのだというのを実感するようになりました。

 さすがにこの時期ともなると、年末へと向けてあれやこれやとまさに目の回るようで、あまりに多事多端な毎日に、時間が光のように過ぎ去ってしまったような錯覚さえ覚えるほどでした。ですが、そんな忙中にも有閑の一時はあるもので、ふと執務室や自室から窓越しに見る我が家の自慢の庭園では、木々から落ちたパステルカラーの落ち葉が色とりどりの美しい模様を描いており、それを見ていると瀑布のように流れる時間がゆっくりとなるような気がするのでした。

 さて、私の住まうヴィアレットの屋敷では、私やお兄様を含めた皆が皆一様によく働きます。掃除や洗濯や食事といった身の回りの生活を整えてくれる者、外部との煩わしい折衝や警護を務めてくれる者、私の家の財産や人員を管理してくれる者などが、日々寸暇を惜しまず働き通しの日々を送ってくれています。

 しかし、人形も人も猫もそんな毎日では気が滅入ってしまうものです。休み上手は働き上手とも言いますが、それは私たちも例外ではないのです。

 そんな張り詰めた気持ちを慰めようと、私と屋敷の面々はヴィアレット家の所有する別宅へと訪れていました。そこは人里からは少し離れた山間に囲まれており、少し行けばやっと住宅街や商業地の見えるような場所なのですが、風光明媚な自然の姿を十二分に残しており、耳を澄ませば鳥の優美な鳴き声が聴こえるだけの静かで空気の澄んだ素晴らしい所でした。

「いつ来てもここは良いところねぇ」

 山の中腹付近にあるコテージの自室で温かな紅茶を手に私は言いました。そばにはメイドのカントと雪が控えており、彼女たちも部屋に置かれたベルベットで布張りされたソファに座って、窓の外に見える真っ赤な紅葉の群生を眺めておりました。

『Si、お嬢様。紅葉も鮮やかに色づいております』

 カントがそう言うと、雪もまた機嫌良さそうに頷いて見せました。もともと繊細な美的感性を持つ雪は、幾何学的な人工の庭園よりも、むしろ自然の作り出す色彩や草花の香りを愛しており、休憩の時間にはよく瑠璃や友人と屋敷の日本庭園を散歩する姿も見受けられます。

「道中の紅葉や清流もとても綺麗でした。みんなでお散歩ができればとても楽しいと思います」

「そうね、もう寒いから清流は難しいかも知れないけど、あとで裏手の山道を歩きに行きましょう。玄武や露五たちが、確かグランピングの用意をしてくれていたはずだわ。少しくらいなら早く行っても邪魔にはならないでしょう」

「嬉しいですお嬢様」

 しばらくして、カントが手を頬に当ててやや俯いて黙り込んでいることに気付きました。

 彼女は屋敷に配備されているシステムと連携されており、誰かから連絡を受ける時に決まってこのような姿勢でいます。その横顔は何とも悩ましげで憂いを帯びており、これはどうやら『アプリオリ』の考え事をするときの癖らしく、その話を聴いたときは親子みたいで微笑ましいと感じたものでした。

『お嬢様。ゆずる坊ちゃまが紅葉を見にお散歩をとおっしゃっておられます』

「あら、ちょうど良いわね。すぐに行くと伝えてちょうだい」

 私はそう言って紅茶のカップをテーブルに置くと、その申し出に答え早速に部屋を出ました。2階建の邸の階段を降りていくと、すでに一階のロビーにはお兄様と『アプリオリ』がコートを手に待っていました。

「やぁ、ゆな。急に呼んで大丈夫だった?」とお兄様が聞きました。

「ええ、構わないわ。それどころか、面白いわね。ちょうど私たちも紅葉を見に行こうと行っていたところだったのよ」

 私はそう言ってお兄様の腕に手を回すと、二人して別邸の庭へと歩き始めました。別荘を取り囲む小さな庭から裏山へと続く道はすぐでした。きちんと舗装された道すがらには微かに木漏れ日の差し込む、美しく紅色の衣を纏う木々が続いていました。その下にはまるで先ほどまでいた屋敷のなかに敷かれていた絨毯がそのまま続いたかのようで、私たちは滑らないように気をつけながら注意深く歩いて行きました。さくさくと小気味よい音が静かな山道に響くようでした。

「お嬢様」と後ろを歩いていた雪が私の隣に並びました。

「雪。ご覧なさい。とても綺麗ねぇ。やっぱり窓から見るだけでは勿体なかったようね」

「はい」と雪は微笑んで返事をしました。

「お嬢様、晩唐の時代に杜牧という詩人がおります。彼が秋の紅葉についての詞を残しておりますのを思い出しました」

 雪は中国美術や詩歌に造詣があり、時折こうして聞かせてくれるのです。

「杜牧・・初めて聞くわね」

「僕も聞いたことないな。ねぇ雪。どんな詩なのかな」

 私たちがそう尋ねると、雪は紅葉の葉がさわさわと揺れる空を見上げて歌いました。


遠く寒山に上れば石径斜なり


白雲生ずる処人家有り


車を停めて坐(そぞろ)に愛す楓林の晩


霜葉は二月の花よりも紅なり


 童女のゆっくりと読み上げる詩が静かに山に聞こえるとは、文字通り絵になるじゃありませんか。私たちは小さな拍手を彼女に送り、頂上までの十数分間。杜牧や中国の詩歌について講義を受けたのでした。


 双子の主人の後ろをゆっくりとした足取りでカントと『アプリオリ』が並んで歩いていた。『アプリオリ』はシャツの上に革のジレと、ウール素材のトレンチコートを羽織っており、ゴシックさのなかに知性を感じさせるスタイルだった。

「お嬢様にはよくお仕えしているかな。カント」と『アプリオリ』が尋ねた。

 カントは手を前で組み、なだらかとはいえ高低差のある道を涼しい顔で歩いていた。

『Si。一生懸命お仕えしておりますマイスター』

「そうか。偉いねカント」と『アプリオリ』は答えたのみだったが、その顔には何か満ちたものが見えた。

『そういえば』とカントは続けた。『お嬢様がおっしゃっておりました』

「何がだい?」

『カントとマイスターはよく似ていると』

 カントのその意外な言葉に『アプリオリ』は一瞬目を伏せて、前を歩く主の少女を見つめたのだった。


ヴィアレット家豆知識

銀雪=美術や詩歌を人前で話すときは少し声が大きくなる。

カント=同僚のメイドたちが色々な知識を教えてくれるが、たまに変な言葉を覚えてくる。

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