ヴィアレット家執事 ジャン

 ヴィアレット家に身を置く執事とメイドの多くは、代々ヴィアレットの系列に属する一族に仕えてきた者が多い。ゆなとゆずるの屋敷のなかでせっせと働くメイドや執事のほとんどは世襲で何代も仕えてきた者で、特に筆頭格なのは玄武の北椿家とグスタフのイリインスキー家である。

 ヴィアレット家の執事かメイドになるためには、スカウト、世襲、採用試験の3種類がある。採用試験を突破するのは並大抵の実力では通らず、何十何百人が受験をしても一人も採用をしない時も珍しくはない。そして猛者揃いのSPのなかでも採用試験を突破して採用された者は、シルヴィア=アレンスカヤともう一人、「ジャン」である。

 10月のハロウィンも過ぎ去り、11月の侘しい秋空には小さな雲の塊が点々と浮かんでいる。すっかりと緑が抜けてしまった木々の落ち葉がちらちらと落ち始め、その風情ある景色が一年もあと残り少ないことを知らせてくれるようだった。

 昼下がり、すでに冷たくなった風を遮るカフェの窓の向こうに、眼鏡をかけた二人の青年がコーヒーカップを手に向かい合わせに座っていた。

「それにしてもよ、思い出しちまうな」

 どっかりと左腕を椅子の笠木にもたれかからせた霧島が思い出したように口を開いた。

「何がです?」

 向かいに座るジャンはいつもの穏やかな顔で尋ねた。

「俺があんたをスカウトした時の話さ。懐かしいだろ?」

 霧島の不意な軽口に、ジャンは口元に寄せていたコーヒーカップを

のぞき込むようにして一瞬感目を伏せ、「えぇ、覚えていますよ」と答えた。

 ジャンの微妙な反応に霧島は目敏く気付いた。

「と、悪い。俺が言いてぇのはもっと後の話だな。ほら、あんたが晴れてヴィアレットの執事としてうちに来たときの話さ」

「あぁ、あの時は・・」

 霧島が視線をあちこちと動かすのを可笑しく思い、また自分のうっかりとした性分に少し赤面する気持ちだった。

 ジャンはアジアのとある名家の執事として生を受けたが、とある理由から主は霧島からの制裁を受け一家は壊滅。その際に霧島からのスカウトをジャンは受けたのだった。

 霧島には他の執事やメイド達には無い権限が与えられている。

 例えば、グスタフは科学班の室長と武器庫の管理、露五は敷地内全域の管理、シルヴィアは屋敷内の者全ての身体のデータを保有する権限などを有しており、SPの役職に就くというのは、比例して大きな権限も与えられることを意味していた。

 そのなかで霧島には唯一「採用」という権限が与えられていた。

 一応ながら、玄武やシルヴィアといった執事やメイド達にも、才ある人間に唾を付けるといった事はできるが、それはあくまで「勧誘」に過ぎず、必ずしもその後の地位が約束されているわけではない。

 霧島ほど人の表と裏の顔に精通した者はおらず、それを見込まれての権限付与であり、暗部の仕事を請け負う霧島の表の顔といったところである。

「実は俺はな、待てど暮らせどあんたが訪ねてこねぇから、すっかり諦めてたのさ。誘っても必ずしもヴィアレットに来たがるとは限らねぇからな」

 霧島からスカウトを受けた者は、その後には執事長であるにゃん太郎の他2名の立ち会いの下に審査を受けるのであるが、これはほとんど形式的なもので、書類審査と簡単な口頭質問で終わるようなものだった。これが終われば、あとは晴れて黒の時計の授与と屋敷への奉公が許されることとなる。

「んで、何年かぶりに採用試験を受かったやつがいるって聞いて、あんたの顔を見たときといったら・・」

 白髪の青年の忍び笑いにつられてジャンもほんの少し肩をすくめながら笑った。

「あれはうっかりでした・・」

 ジャンが霧島の残した名刺に記された情報をもとにヴィアレット家の屋敷の門の前に立ったとき、奇しくもその日は新しい執事とメイドを迎える採用試験の出願日だった。

「とはいっても俺も説明不足だったな。一応、あんたの特徴はメイドちゃんに伝えてあったし、名刺のタグで分かるようになってたから油断したぜ」

 本来ならば素通りできる門扉のはずが、取り次いだメイドの取り次ぎが誤っていたことや、他にも二重三重にちょっとした勘違いが重なったことで、非常に重たいものとなってしまったのを霧島もジャンも苦笑をしてしまう。

「執事長のあの驚いた顔が忘れられません」

 ジャンの脳裏には、正式に執事としての資格を得た際に、霧島の名刺を取り出して見せた時の驚愕したにゃん太郎の目を丸くした姿が浮かんでいた。 

「あの後こっぴどく詰められたぜ」

 霧島は疲れたように笑うと「いや、でもやっぱあんたはすげぇよ。俺の見る目も確かだったな」と改めて賞賛の言葉を投げた。

『방패(パンペ)。ターゲットを捕捉しました』

 ※방패=保護する、守るの意。

 突如入ってきた報告に、ふたりの間に流れていた空気が一瞬で変わった。

 傍目には眼鏡をかけたスーツ姿の男性ふたりが談笑の合間に少し沈黙しているように見えるが、ふたりのスマートグラスには、静かでゴシックな雰囲気のカフェの空間の中に、車から降りてきた集団が怪しげに周囲を警戒する様子が投影されていた。

『一分後にそちらと接触可能です』

「承知しました。ありがとうございます」

 ジャンが一口珈琲を含みながらそう呟くと、投影されていた映像が消え、ふたりの間に再び和やかな空気が流れた。

「さてさて、じゃあ行きますかね」

「はい。それではマスター。また・・」

 ふたりが店を出て行く様子をカフェの店主は心得たとばかりに頷いて見送った。

「うぅ、さむさむ・・」 

 店を一歩出ると、薄い秋の青空の下を木枯らしの冷たい風が吹き抜けていく。暖房のきいたカフェのなかと違って、すでに足下から冷えるような寒さが訪れていた。霧島は愛用のダッフルコートのポケットに手を突っ込んで身体を縮こませた。

「結局、俺はおろか誰もあんたの本名を知らねぇときたもんだ」

 霧島はポケットから出した革の手袋を付けながら呟いた。

 ジャンは執事となった時、本名と戸籍を新しく作り替えた。以前の彼は主のゆなやゆずるですら知らない。

「私は「ジャン」ですよ」

 ジャンもまた、ポケットから取り出した革の手袋を付けると、霧島の方を見て言った。その顔は秋の空のよりもさらに澄み渡った晴れやかなものだった。

「私はヴィアレットの門番。ヴィアレットの盾です」

 霧島とジャンが通りの向こうから歩いてくる男たちに肉薄した。


ヴィアレット家豆知識

ジャンの取り次ぎをミスしたメイドちゃん

非常に天然。見た目は有能そう。でも凄いドジ。

クールそうに見えるのに、笑いのツボが非常に浅い。

頑張り屋なので、ギャップも相まってみんなから可愛がられている。

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