第5話

「あの絵、どこにあるの?もしかして捨てちゃったの?」

「いや、捨ててないよ。でもどこにあるか分からないんだ」


捨ててはいない。

捨てようとはしたのだが、思い入れが強すぎて捨てることが出来なかった。

だが、どこにあるのか分からなければ、捨てたも同然なのかもしれない。

二度と目につかないように、どこかへ仕舞い込んだのは確かなのだが思い出せない。


――もう一度、見たい。


「まぁ、もしあったとしても、今のアパートには持ってきてないからなぁ。

 実家に戻って探してみないとダメだけど、もう10年以上も前のことだし、親が捨てたかもな」


慎二は自分に言い聞かせるように言った。

どうせあの絵はもう無いのだ。

もう一度見ることが出来たらとは思ってはみたが、きっと淡い期待に過ぎない。

きっと、そう思う気持ちが苦しいだけだ。


「ええっ、そうなの……?」


かおりは哀しそうな表情でうつむき、食べるのを止めて手に持っていたフォークをかちゃりと皿の上に置いた。

そして、顔を上げたかと思うと、申し訳なさそうにこちらを見て黙っている。


「ごめんね……本当にごめん」


目を逸らしながらかおりは呟いた。

慎二から大切なものを奪ったのは自分なんだと言わんばかりに。


「まぁ、うちの母さんなら面白いもの好きだから、もしどこかから見つけたら“サプライズ!”なんつって送りつけてきそうなもんだけどさぁ……」


その瞬間、慎二の動きが止まった。

手から離れたフォークがテーブルの端から甲高い音を立てて床に落ちた。


「あるかもしれない……」

「えっ?」


慎二は勢いよく立ちあがった。

パスタはまだ少し皿に残ってはいたが、それどころではない。

真剣な顔つきのまま会計を済ませ、どんどんと自分のアパートを目指して走る。

後ろから追い掛けてくるかおりは必死だ。


「どうしたの?どこへ行くの?」

「あの絵、あの絵だよ!」


先ほど転落したアパートの階段を駆け上り、すぐ脇にある自分の部屋の鍵を開ける。

今度は迷いもなくさっと部屋の中へ飛び込んだ慎二は、部屋の隅っこに転がっている段ボール箱目がけてしゃがみこんだ。

しっかりと貼られていたガムテープの端を勢いよく手で剥がし、中を確認する。

怪獣のおもちゃや車のフィギュアに紛れて、底の方に何か金属でできた箱のようなものがあるのに目がいった。


「何これ、トランクのおもちゃ?」


子供の頃、宝物入れと称して色んなものを詰め込んでいた、おもちゃのトランクだ。

ご丁寧に鍵まで掛かるようになっていて、慎二は、お宝とは呼べないまでも、自分の大切にしていたものをそこへ入れていたのだった。


慎二は、そのトランクを開けようとした。

留め金に手をやってはみたが、ギシギシ言って動こうとはしない。

鍵が閉まっているのだ。

しかし、ダンボールの箱の中どこを見ても鍵が見当たらない。

もしかしたら、もう二度と開けることが出来ないように捨てたのかもしれない。


せっかくなのに開けられないね、と残念そうにため息まじりの言葉を発するかおりの横で、慎二はポケットから古ぼけた鍵をさっと取り出した。


――開けられる。


少し震える手に勇気を込めて、慎二はそっと鍵穴に差し込んだ。


――カチャリ。


錆びたような感触はあったが、手応えはあった。

留め金が開いたのだ。


慎二がゆっくりと蓋を開けると、そこには丸めた画用紙がひとつ。

何食わぬ顔で眠っているように見えた。

緊張したまま手を伸ばし、丁寧に画用紙を広げていく。

ノートより少し大きなサイズの画用紙の表面には花畑が広がっていた。


「わぁ……!」


開け放たれた扉の向こうに広がる花畑。

ひと筆ひと筆丁寧に絵具で描かれた色鮮やかな世界がそこにある。

眠りから覚めたその世界はあまりにも眩しく感じられた。

丸めて暗い所に入れてあったからなのか、まったく色褪せもせずに、あの時と同じ姿でここにあった。

懐かしさとくすぐったさを誤魔化すように、慎二は笑いながら言った。


「はは、思ってたより下手くそだな」

「そうかな?とっても純粋な絵だよ……良かった見つかって」


嬉しそうなかおり。話す声からもそれは十分に伝わってくる。

じっと絵を見つめていると、きらきらと輝きを放っているように感じてくる。

そして、心の奥のどこかがきゅっとする感覚を覚える。

思わず慎二は、隣にいるかおりの顔を見た。


――マタハジメテミヨウカナ。


目と目が合った瞬間、心の声がこぼれ落ちたような気がした。

彼女は何も言わず、慎二に優しくほほ笑んでいる。


『この鍵は、何でも開けられます』


「嘘じゃなかったなぁ」

「えっ、何のこと?」

「いや、何でもないんだ。それより、この絵を飾るためのフレームを買いに行くの、付いて来てくれる?」


慎二は、子供の頃と同じ笑顔を浮かべながら、かおりに話しかけた。



【おわり】

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扉を開けて 水無月杏樹 @Anju_M123

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