開幕の光
フィッシャーズと違い、今回のレースは出場者全員が共通のスタートゲートに並んでいる。
人数はタキツを含めて六人、海下にそのまま繋がるゲートの内側でそれぞれが波に浮かんでいた。その内の半分は登龍門を既に終えている人魚である。
そんな格上の人魚と並んでもタキツの表情はいつも通り褪めている。
しかし、その内の一人にアナタは自然と背筋がひりついた。
煌びやかな、それこそアイドルのような衣装に身を包んだ人魚がいる。
マリプロという一流の事務所がある。この事務所は所属する人魚がアイドル活動を広く展開しているのでも有名だ。メディアにも多く露出して、マーメイドレース以外でもコンサートを開き、レースには興味が薄いファンも付いている。
そのマリプロでも今人気が上がって来ているエスチュアリ・ブライドという実力派グループがあり、そこでセンターを務めるMylaがカメラ越しに観客へと手を振っていた。
タキツも当然気付いていると思うのだが、さっき言った通り無表情でスタートを待っている。
『……あの、タキツさん?』
『なんですか、いきなり敬語で話しかけてくるとか気持ち悪いですね』
『いや、ごめん? じゃなくて、Mylaがいるみたいだけどさ』
『いますね。サインでも欲しいんですか? ナヴィゲーターもアイドルに興味とかあるんです?』
『いや、ないけどさ』
変に緊張していないのは良い事だが、全く動じないのもどうかとは思う。
『サルベージなんですから、強ければいいってもんじゃないでしょう。ほぼ運で決まるレース形式ですよ』
『運だけではなくない?』
確かに運も重要ではあるけども。船体に潜ってすぐに珍しい物を見付ければそれだけで勝利が確定するのがサルベージレースだから。
そんな他愛無い会話をしていたら緑のシグナルライトが三つ点灯した。
タキツは無言で体を回して海底に向けて伸ばす。
スタートの邪魔にならないよう、アナタも口を噤んだ。
一つ目のライトが消えて、タキツは目を眇めた。
二つ目が続いて消えて、尾鰭を撓める。
三つ目のライトが消失するのと同時に、アナタは唾を飲みこんだ。
赤いライトが点灯し、タキツの体が海の奥へと突進した。
直進するタキツの前に四つの影が先行する。
先頭はメイアヴルムの尾鰭を持ち、ロケットのように気泡を置き去りにして進むエアスティア。
それに海蛇を二匹連れた人魚と長い砲身を持つライフルのようなマギアを持った人魚が続く。どちらも登龍門を越えている人魚だ。
『よーし。開幕一発! 派手に! 綺麗に! やろうか!』
そしてタキツの後方、スタートゲートから明るい聲が響いた。
アナタがタキツの視界から現実の観客モニタへと視線を見上げると、ゲートから出ていないMylaが袖のフリルを踊らせて両手を目一杯伸ばしていた。
その腕の中から、無数の光弾が放たれた。
『嘘だろ!? タキツ、後ろから魔法射撃!』
『わかってます!』
Mylaが放った魔法はスタートダッシュした四人の人魚目掛けて奔る。
しかも全てが直線で最短距離で進むのではなく、一部の光弾は大きくカーブして着弾のタイミングをズラしている。
今回のサルベージレースのレギュレーションでは沈没船を無意味に損傷させる以外の行為は制限が無い。
つまり他の人魚を攻撃して行動不能に陥らせるのは、合法だった。
タキツが背を海老反りにして一発目を回避する。
体を回転させて二発目と三発目が体を掠った。
尾鰭で海を叩き、前へ出る。
右から回り込んだ光が一度タキツを通り過ぎて。しかしくるりと軌道を変えて戻ってきた。
左腋を強かに打たれて、タキツが背中を丸めた。
速度を失ったタキツにMylaの光弾が殺到する。
『タキツ!』
アナタの叫びに対して、タキツからは呻き声しか返って来ない。
Mylaが放つ光弾の射線上から、力の抜けたタキツの体が沈んで外れていく。
タキツが攻撃の範囲から抜け落ちた直後、人魚達の体を余裕で飲み込む太さの光条が三本海を貫いた。
その内の一本に狙われていたマギアを持った人魚が体を反転させて銃身で光を迎え受けた。魔力の刃が銃身に沿って展開され、光の束が真っ二つに切り裂かれる。
海蛇の人魚は光の中でロストされた。タキツのように攻撃を耐え切れずに沈んだのかもしれない。
そこでMylaは魔法の手を止めて焦って泳ぎ出していた。
Mylaの攻撃の全てを避けたエアスティアがサルベージポイントに悠々と泳いでいく。
Mylaの泳ぎも速い。エアスティアとの距離は次第に詰められている。
だがその二人よりもアナタは意識を向けるべき相手がいる。
『タキツ! タキツ! 大丈夫か!?』
アナタの聲は届いていないのか、タキツは指一本動かさない。
音もなく、タキツの体は薄く広がった砂に着底した。
アナタは息を飲む。
人魚は死なないが、それは死んでも蘇るという事だ。
タキツの体からは薄く血が立ち上って海に溶けている。
人魚だって心臓は止まるし、体も潰れる。それでも時間を掛ければ細胞が再生していくというだけだ。
このレース、ここからタキツは持ち直せないかもしれない。
もう運営に棄権を申し出て救助に控えている人魚の出動を願うべきか。
アナタがそう決断し掛けるまで、数秒もなく。
その時間だけを置いて、タキツはぱちりと目を開いた。
『くぅあ、いっっったぁあああ』
苦痛に苛まれたタキツの聲に、アナタは不甲斐なくも安堵してしまった。
『タキツ! 生きてる!』
『人魚は死にません、このおばか。ちょっと、黙ってなさい、いっつつ……つらぁ……あー、でもルルに扱かれた時の方が辛かった……さいあく』
この状況よりも辛いとか、一体タキツはどんな目にあったのかと今更アナタの胸に後悔が押し寄せた。
タキツは痛みに呻き顔を顰めながら、忙しなく目線を彷徨わせる。
そして、前触れもなくがばりと体を起こして跳ねるように動いたかと思うと、右手に一匹の魚を捕まえていた。
タキツは躊躇い無く捉えた魚に頭から被り付く。
ばりぼりと骨を歯で砕く音を立てる内に、タキツの肌から海に滲む血が無くなる。
『はぁ……もう嫌ですけど、行きますか』
タキツは一度頭を振って意識の靄を払ってから、力強く泳ぎ始めた。
人魚の不死の何たるかを目の当たりにして、アナタは思考が真っ白になっていた。
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