潜入
『で、状況はどうなってますか?』
『え、あ、いや……』
タキツはさっきまで気絶していたのが嘘のように平坦な聲で訊ねてきたけれど、アナタに返せる情報は無い。
心配と不安で頭が占拠されて観客モニタを観る余裕なんてとても無かったのだ。
それを覚ってタキツは冷たく溜め息を
『あのですね、なんのために普段から仕事と並行で私のトレーニングを覗き見しているんですか。私が見えないところで起こったことを伝達するためなんじゃないですか。一番必要な時にわざわざ役立たずにならないでくれませんか』
タキツの主張は理性の面では正当だと思うけれども、人情というものも感情というものもアナタにだってある。
しかし反論はどこからも出て来ない。あらゆるスポーツ、いや勝負において本番とは極限の状況に身を置くものだ。
いつも通りに相手を大切するなんてものが通用する現場では、無い。
アナタは鎖を引き千切るように思考を切り替えて観客モニタに改めて目を向け、実況と解説がマイクで拡散する声を耳で拾う。
サルベージ対象の船にエアスティアとMylaが取り付いている。薄暗い中で黒一色の船体が不気味に転がっている。
だが、どちらも内部に侵入出来ていない。
マギアを持った人魚も船に辿り着いた。長い砲身を構える。
一筋の光が放たれた。
そして消えた。黒い船の表面が仄かに蛍光している。傷は無い。
解説曰く、魔法が吸収されて無効化されているらしい。
『タキツ、人魚が三人船に辿り着いてるけど、中に入れていない。魔法が効かなくて傷つけられてない』
『元から穴、開いてましたよね?』
タキツの疑問にアナタはハッと思い出す。
そう、事前資料の遠隔撮影でもはっきりとその穴は確認出来た。甲板から船体を貫通していた穴だ。
どういう事かとアナタは焦りながら現実で視界に広がる大きなモニタに目を凝らす。
アナタの意識が反れている間にタキツは力強く〔フォームモデル〕の通りに美しい泳法で潜行していく。
『見えました。確かに三人……いえ、もう一人来ましたね』
アナタもタキツの視線に合わせた。右を向いた海の中の視界に海蛇を連れた人魚の姿が遠くに見える。
タキツはまた前を向いて巨大な船体を目測する。全長は四百メートル近い。戦艦らしく上部に長い砲身が見える。ブリッジは人の頭のように甲板の上に乗っかっている。
タキツが海水を尾鰭で蹴って船体の直上に回った。
ブリッジに張り付いていたエアスティアがちらりと見てきたが、こちらを止めるつもりは無いようで直ぐに自分の作業に戻った。
船の上を取ったタキツは穴に向かって真っすぐ降りて行った。ぐるぐると体を錐のように回しながら穴の内側から船の中身を確かめる。
『なるほど。これは入れませんね』
タキツと同じ物を見てアナタも思わず唸った。
甲板から船底まで空いた穴の中は綺麗に塞がっていて内部を閉ざしていた。
タキツは底まで行く前に体を翻して、穴の中の壁に手を触れる。
壁はつるりと滑らかだ。
『高温の熱で融けて海水で固まったんでしょうね。上から撃たれたのか下から撃たれたのかは知りませんが、入射と出射で全く熱が減衰せずに貫いたから端から端まで塞がったんでしょう。まぁ、フェニックスでしょうね。むしろそうじゃない方が恐ろしいです』
フェニックスと同等の熱量を放つ存在は、タキツの言う通り確かに恐い。
『魔法を吸収しているのは船の機能ですかね。フェニックスの炎も魔力なんですけど、吸収しても触れた瞬間の熱だけで融かしたか、そもそも船の許容量を超えていたか』
タキツは確認するべきものは見たので、穴から出て行った。
まだブリッジに張り付いていたエアスティアに近付いていく。
『そちらも開けられませんか』
『む。むー……タキツさん、機械操作得意だっけ?』
タキツはエアスティアに話し掛けながらブリッジに視線で撫でる。
シャッターが閉じられていて内部は見えない。
エアスティアはブリッジの裏にある扉に触れていた。緊急用の脱出口だろうか。電子ロックが生きていてエアスティアには解除が難しいようだ。
『ユイトがどこか開けてませんかね』
『まだ辿り着いてないんじゃない。ユイトはMylaさんの開幕ぶっぱも出て来ないでやり過ごした感じだし』
『そう思わせて掻い潜って先行してたりするのが彼女ですけど』
『やっかいなんだよね、あのゴーストノイズはさー、ほんっと』
ユイトという名前にアナタは首を傾げ掛けて、ギリギリでもう一人、最後の出場者の名前だと思い出す。
思い出すのだが、どんな見た目をしていたか、そもそも本当にこのレースに参加しているのか、頭に霧が掛かったように曖昧で上手く考えられない。
アナタがおかしな感覚に戸惑っている間に、タキツはエアスティアと扉の隙間に割り込んで手を出していた。
『コードが古いし暗号が複雑で……壊した方が早くない? エティがぶつかってみたら?』
『もうやってますー。びくともしませんでしたよ、コノヤロー』
『私は女だから野郎じゃないです、このアマと言いなさい』
『レース中に余裕だな、コノアマあ』
『二人はもしかして仲がいいの?』
気の抜ける呑気な会話にアナタは思わずツッコミを入れる。
『普通ですよ。本気でユイトに開けさせた方が良さそう』
『アイツがぼくたちに分かるようなヘマする訳ないじゃん』
二人が扉の鍵に掛かり切りになっている間に他の人魚にも進展は見られなかった。
Mylaは既に最大の威力を持つ魔法を撃って意味が無かった後で、魔力の温存で船の周りを探索するだけで、海蛇を連れた人魚も似たような行動しか見られない。
『そこの二人、これから別の扉を開けようと思うんだけど、付いて来る?』
そんな状況でタキツ達の近くに寄って来たのは長いマギアを持った人魚だった。確か名前はラヴァナ・ヴァイス。今回参加した中で一番古い人魚だ。
ラヴァナの申し出にタキツとエアスティアが顔を見合わせる。
『付いて行きますけど、私達にわざわざ聲を掛ける意味ありませんよね。折角のアドヴァンテージなくしてどうするんですか?』
タキツがしれっと楽させてくれるなら享受すると二つ返事していて、アナタは頭を抱えたくなった。
『ああ、いいの。私の目的はレースに勝つことじゃないから。ついでに勝てればラッキーくらい。人手はあった方がいいのよ』
レースに参加しながら勝利は二の次と言うラヴァナは手招きをして二人を甲板に誘導する。
『人手がいるって、なんかデカいの……だったら別に一人で運べるか。数が多いのがある感じ?』
『ええ、そうね。やっぱりあの時の船だったから、早く出してあげたいと思って参加したのよ』
『なに? 生き物でもいんの? でも四百年前って死んでない? 人魚?』
はっきりと答えを教えてもらえなくて聲に疑問符を並べるエアスティアにラヴァナは微笑みを返すだけだ。
そして直ぐに甲板に設置された扉の前に立ち、長身のマギアを構える。
『モードセット、カッティング。フルドライブ』
ギンッ、と金属が擦れるような音が波を起こしてラヴァナのマギアに魔力の刃が展開された。
Mylaの光条を切った時には長く伸びていた刃が、今はナイフと同じ程度の小ささに圧縮されて先端部に灼けている。
『危ないからちょっと離れてなさいね』
ラヴァナは聲を掛けたものの二人が距離を取るのを確認もしないで、体ごとマギアを鋭く振るった。
小さな切っ先は過たずに扉と壁の隙間に差し込まれて、外してしまったのかと思うくらいに静かに通り過ぎっていた。
けれどその一撃で鍵を切断された扉はラヴァナが軽く手で引いただけであっさりと開いた。
『装甲に張り巡らされた術式の隙間を縫って鍵だけを切ったんですね……流石です』
タキツがぽつりとラヴァナが何をしたのかを呟く聲がアナタに届いた。
あれだけ長い得物の先端で精確な斬撃を披露するのは神業にも思える。
『ちなみに、その隙間ってどれくらいあった?』
『さぁ? マイクロ単位じゃありません?』
タキツはしれっと言ってくれるが、それは顕微鏡でないと判別出来ないレベルの単位だ。
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