おかしな音大生

 レースを終えて暫くの期間は、タキツに休息とレースの振り返りをしてもらっている。

 その間にアナタは取材を一本手早く片付け、次に出場するレースを見繕っていた。

 しかし、セイレネシアは人魚大国であり、マーメイドレースも盛んだ。レースの規模を問わなければ、毎日とまではいかないが毎週では足りない頻度で開催されている。

 その中からタキツに丁度いいレースを選ぶというのも難儀で、なかなか絞り切れない。

 タキツには来週も祈りと属性調整のトレーニングでメニューを組んでいるので、アナタの手は掛からないのだが、仕事が思うように進まないとやはり焦りは募る。

 そんな中で人が訪ねて来るから手を止めなければならないというのは、失礼な話ではあるけれど正直に言って億劫だった。

「休みなのに呼び出されるとか横暴です。サービス残業です。労基違反です。私なしで話を進めればいいと思います」

「タキツ……キミの方が当事者だろう。逆にこっちの方が挨拶だけして席を外したいくらいなんだけど」

 何を隠そう、今日やって来る相手というのは、例の音大生だ。

 アナタが同席する意味はタキツがボイコットしないように見張るという事にしかない。先程の発言の通り、この度もタキツにやる気は見られないので任せきりに出来ない。

 来客は午後の早くに事務所のチャイムを鳴らした。

 アナタがドアを開けば、フェミニンな服装を可愛らしく着飾った女子大生が外に立っていた。

「こんにちは! OL音大四年のアイリス・ウォルスです。今日はよろしくお願いします!」

 連絡を取り合った時点でもアナタは思っていたが、元気が良いというか、勢いが良い音大生だ。そして押しが強い。

 アナタが開いたドアを遠慮なく突き進み、アイリスは水を蹴って事務所に入る。

「ああ! タキツ様!」

 そして水の中に寝そべるタキツを見つけると、彼女はパンッと音を鳴らして手を組み感動を表現した。

「どうも、初めまして」

 いつも通りやる気のないタキツの声が、いつも以上にだらけているように聞こえる。

 対比というのはこんなにも性格の違いを顕わにするんだなと、アナタはぼんやりと二人を眺める。

 音楽に関して口を挟むような知識もないため、基本は二人に委ねるつもりなのだけど……タキツは自分から話す気がなくて欠伸を噛み殺しているし、アイリスはよく分からない感激から戻って来ない。

 取り敢えずお茶とお菓子を用意しようとアナタはキッチンに足を向けた。

 アナタがお茶を淹れて戻って来るまで状況は変わっていなかった。これには苦笑だけが漏れる。

「タキツ」

「なんですか。用事がある方から話すべきだと思います」

 一応、迎え入れた側なんだからとアナタは苦言を呈するが、そんなものでマイペースを崩すようなタキツではない。

 アナタは溜め息を吐き出して、応接テーブルにお茶とお菓子を並べた。

「こちらにどうぞ」

「はっ。ありがとうございます」

 茫然自失としていたアイリスがアナタの声に意識を取り戻して言われるままに席に着いた。

 彼女がどうしてそこまでタキツに心を寄せているのか分からないが、その辺りも話に出て来るだろうか。

 アナタがそう思いつつ見守る前で、アイリスはこほん、と咳払いを一つして仕切り直した。

「改めまして、今日は私のためにお時間を作っていただきありがとうございます。実は私は、人魚様のために曲を作るのが夢なのです!」

 ほぅ、とアナタはアイリスに親近感を抱く。分野は違うけれど、人魚の力になりたいという気持ちで動いているのはアナタも同じだ。

 それにしても、人魚『様』と呼ぶのも気にかかる。人間を遥かに超えた能力を持ち、人が海珠を滅ぼさないように管理をする人魚を神聖視する宗教もあるが、それもマーメイドレースが娯楽として始まってからこの二千年以上の間にだいぶ廃れている。

 要は人魚は長い年月の間で人間にとって身近で慣れ親しんだ存在になり過ぎている。人の羨望や好意によって君臨することを望む人魚もいるが、あれはアイドルとファンの延長というか悪魔的発展による関係だ。

「そう、がんばって」

「タキツ」

「なんですか。応援しているじゃないですか」

 話の流れからタキツの持ち歌を作曲したいという気持ちがアイリスにあるのだろう。

 それなのにタキツは素っ気ない。

 アナタが非難の眼差しを向けると、タキツは嫌そうに手を振る。

「だって、音大の生徒だったら卒業制作で教授に話を通せば新米人魚用の作曲を課題に出来るでしょう。私のとこに来る理由がまるでありません」

「え、そうなの?」

「はい、それはタキツ様の仰る通りです」

 流石はオシェアニア・リーフェ学園、人魚へのサポートが手厚い。

 レースのための訓練や手続きだけじゃなくて、勝った後のコンサートについても用意されているとは驚きだ。

 確かにそうであるなら、タキツのところを訪ねたのにもっと他の理由もありそうだ。

 アナタが視線を送ると、アイリスは頷いてみせた。

「先日のフィッシャーズレースを見させていただきました。その中でタキツ様がオリヴィエ様の展開した泡の檻を最初に突破しましたね。お二人は意思疎通のマギアを使われているそうですが、あれはナヴィゲーター様の指示だったのでしょうか?」

「いや、違うよ。あれはタキツが対処法を見つけ出して、ぼくは何も分からないままリンケージを切るように言われただけだったし」

 タキツに代わってアナタがあの時の状況を説明すると、アイリスは見るからに目を輝かせた。

「素晴らしいです! あの誰もが手も足も出せずに手をこまねいていた中で、一人諦めずに真実を見抜き、正解へと辿り着いた知性!」

「いや、コトリもニーシェも諦めずに突撃しまくってたじゃない」

 タキツがアイリスの盲目に呆れてツッコむけれど、それは彼女の耳に届かなかったらしい。

 アイリスの熱っぽく潤んだ瞳は天井に向けられてどんな妄想を映しているんだろうか。

「あの時のタキツ様の凛々しいお顔! 一瞬しかモニタに映りませんでしたけど、網膜に焼き付きました! タキツ様は絶対に多くのレースで勝つのだと確信したんです! そんなタキツ様に私が曲を付けた歌を歌ってもらえたら、もらえたら……ああ!」

 アイリスは本気だ。本気でタキツがトップレベルのマーメイドになると確信している。

 アナタもまたタキツの勝利を信じて疑わなっていないから、彼女の想いの強さにすぐに共感した。

 アイリスが胸の前で組んでいた手を、アナタは両手で強く握り締めた。

「そうさ! タキツは絶対にレースで勝って勝って勝ちまくるんだよ!」

「ええ! そうです! タキツ様の勝利を彩る音楽を捧げられたら、それが私の幸せなんです!」

「うん! 分かるよ! ぼくもタキツが勝つために一緒に悩んで支えて身を捧げる覚悟があるからね!」

「ナヴィゲーター様! 素晴らしいです!」

「アイリスも最高の曲をタキツに作ってくれ!」

「もちろんです!」

 アナタとアイリスはがっしりと手を握り合う。今日初めて会ったにも関わらず、アナタ達二人の間には強い信頼が繋がった。

「ちょっと待ちなさい。アナタ達が共鳴するとか、恐ろしすぎるから今すぐその手と繋がった心を離しなさい。これ以上重い期待はいらないっていうんですよ」

 アナタ達に向けて、タキツは心底嫌そうに低い声を漏らす口元を引きつらせる。

 アナタとアイリスは一緒にタキツの顔に目を向けた。

「まぁ、タキツ様ったら奥ゆかしい上につれないのですね」

「大丈夫、こんなこと言ってるけど、結局は真面目に努力して応えてくれるから」

「まぁ! ツンデレ様なのね!」

「罵倒されてるのに喜んでるんじゃないんですよ、このおばか達! 」

 きゃっきゃっとはしゃぐアナタ達に向けてタキツが吠えるけども、それもまた喜びを燃やす薪にしかならないのだった。

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