八月フィッシャーズ・オリヴィエの撹乱

 アナタとタキツは、それぞれの視野でオリヴィエの槍の行方を追ったが、二人して見失った。

『槍が消えた』

『オリヴィエの姿も見えません』

 短く、お互いの所感を交わす。

 目を凝らしたタキツは、槍を見失った辺りで、首を左右前後に振って探し物をするシャルマを見付ける。

 恐らくは、目標個体を狙っているのだろう。

 シャルマの目が煌めき、矢のように飛び出した。

 迷いなく一直線にシャルマは走り。

 そして突如として細長い腕に捕まれてあらぬ方向へと投げ捨てられた。

 シャルマが体と一緒に目を回し、運動エネルギーの消失と共にマリンスノーのように漂い沈んでいく。

 シャルマを投げた人物は、オリーブ色の髪を揺らめかせて水に溶けるように一瞬で透けて消えた。

 オリヴィエ・パラスだ。どうやら姿を消して見えなくする魔道具を装備しているらしい。

 厄介だ。

 フィッシャーズで目標個体を狙うに辺り、八月フィッシャーズのように群れの数が多過ぎる場合は探すのに手間取ると点差が大きく開く。そうならないためには、逸早く目標個体を見付ける工夫が必要だ。

 例えば、マーキングされた魔力を探知する。

 或いは、目標個体をカバーする運営側の妨害担当の人魚の動きを追う。

 しかし、オリヴィエのように姿が見れなければ、その動きから目標個体を予測することは出来ない。その上、不可視の状態からシャルマのように妨害を受ければ、対処も困難だ。

『ルルといい、オリヴィエといい、ガチ過ぎだってば。大人げない』

 タキツが年長の人魚達に悪態を吐くが、その聲は相手に聞こえないくらいに小さいし、聞こえたとしても手を緩めてくれそうにもない。むしろ、より一層張り切って邪魔してきそうな気もした。

 オリヴィエは、突出したポイントを得る人魚がいないように妨害しているようだ。

 コトリが一番の妨害を受けており、点数の低い人魚のゴールを阻もうとするハルピュイアが槍に遮られている回数が多い。

 とは言え、オリヴィエの投擲が起こす波の荒れは全ての人魚に影響していた。

 タキツは大回りせず、自分のゴール近くに寄って来たイワシを着実にゴールに追い込む。

 群れを追い立てるより捕獲数は少ないが、動きが最小限なので体力は温存され、コトリやオリヴィエの妨害が差し込まれる隙少なく出来ている。

 時折、ニーシェが遠くから集めて来た魚群に突っ込んで分け前を掻っ攫い、その瞬間をコトリのハルピュイアに妨害される、というパターンに入った。

『だから! 折角集めたんだから取らないでってば!』

『文句苦情クレームはレース終了後にナヴィゲーターの耳元で叫んでもらえればと』

 ニーシェからの罵倒も、後々のアナタへと受け流していた。

 タキツに言わせれば、レースに出させたアナタに全責任があるらしい。

 コトリのハルピュイアやオリヴィエの槍が海上で派手な動きを見せているので、観客もこの規模のレースにしては珍しいくらいに盛り上がっている。

 レースとしては手に汗を握るいい展開なのだろう。

 しかし、アナタからすれば勝敗の行き先が不透明でストレスばかりが溜まる状況だ。

 レース開始から三十分が経過して、目標個体を狙っているシャルマなどが点数が低い他は、大体三〇〇〇ポイント程度で拮抗している。

 コトリが三五〇〇でトップを押さえている。

 ニーシェが三四〇〇で続き、タキツは二九〇〇と僅かに差を離されている。

 それでもまだ目標個体ゴールで逆転出来る範疇だ。例年の八月フィッシャーズであれば、疾うに一万を超えているだけの時間が過ぎている。

 それ故に、疲れを見せて動きのキレを失くした人魚が目立つようになる。

 ニーシェが旋回の半径が見るからに小さくなっているし、コトリも潜水深度が浅くなってきている。

 シャルマは元気に手足を動かしているが、頬が引きつってきていた。

 そしてタキツは、時折目を閉じて体を止めて、波に揺られるままになる瞬間が生じている。

『タキツ、疲れてきてるのか?』

『だまって』

 アナタが心配のままにおもくと、タキツは煩わしそうにぴしゃりとその聲を跳ね退けた。

 体力が目減りすれば集中力も切れて、ミスも出て来る。それを避けるには、余計なものを感じ取らずに自分の動きに気を張り詰めるしかない。

 アナタはごくりと生唾を飲み込み、その音がタキツの邪魔になるのではないかと自分に腹を立てる。

 黙って、音を立てないでいようとするのに、意識すれば余計に息が乱れて口呼吸が音を漏らす。

 レース場に変化が起きたのは、そんな頃合いだった。

 シャルマが何度目かオリヴィエに投げ捨てられて、レース場の淵まで流されていく。

 丁度、人魚の誰もが中心部から外れていた。

 そして海の真ん中に巨大な泡が生み出される。

 その泡の中心、光の屈折で歪んだ景色にぼやけたオリヴィエが姿を見せる。

 右手には槍を携え、左手の中指に嵌めた指輪を高々と掲げている。

 この巨大な泡はオリヴィエが魔道具で造り出したようだ。

 ニーシェがオリヴィエの生み出した泡に向かって突撃を掛けて、泡にぶつかって、呆気なく弾き飛ばされた。

 まるでトランポリンに飛び込んだように、ニーシェの体は跳ねていた。

 まさか、とアナタは思った。

 コトリのハルピュイアが三羽纏めて、海上から海へと突き刺さり、泡に嘴を突き立てようとして。

 ニーシェと同じく、ぽよんと弾かれる。

 やりやがった、とアナタは状況を理解した。

 イワシの群れの大部分がオリヴィエの泡の内側にいる。守られているのだ。

『まるでルールを書き換えてるじゃないか』

『今のトップマーメイドにはやっぱりドン引きですね』

 アナタとタキツが揃ってマーメイドレースのトップに君臨する強者に侮蔑の気持ちを抱いた。

 普通のイワシを追ってポイントを稼ぐにしろ、目標個体を狙って逆転を目指すにしろ、今からはオリヴィエの泡を突破しなければならなくなった。

 しかもタイミングが巧妙だ。四〇〇〇に満たないポイントで頭打ちの現状では、つまり泡を突破出来た人魚に勝利のチャンスが生まれる。

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