八月フィッシャーズ・序盤
テイルフィン・フィッシャーズコートの海下を、イワシが埋め尽くしていた。
レースの海域の周辺には、これまでイワシをこの場に追い込んだ運営の人魚達が回遊し、イワシ達に境界を強いている。
空から見れば、その人工島は真ん中に穴が空いた形であり、その空白がレース海域の中心で、そこから海へと降り注ぐ夏の陽光を反射するイワシの鱗によって、辺り一面が銀色に見えた。
過去最大級だという魚群は、正に圧巻だった。
その魚群を取り囲むように、八つの壺型の設備が島の底から降りて来る。これがフィッシャーズのゴールであり、この壺の中に追い込まれた魚はそのまま生け簀まで吸い上げられる。
円形に配置されたゴールの中で、タキツの右隣はこれまで名前の挙がらなかった人魚が配置され、左隣にはニーシェがいた。
アナタはタキツのサークレットとリンクしたゴーグル越しに、ピリピリとした海を満たす圧力を感じていた。
『タキツ、緊張とかしてないかい?』
『負けるって分かり切ってる勝負に意気込むほどのやる気は持ち合わせていませんね』
アナタは、いつも通りで自然体だと努めて良い方向にタキツの態度を受け止めた。ここまで来て、小言を散らすなんて無意味に過ぎる。
ゴールの中に漂うタキツの前で、ゲートが駆動音の唸りを上げて徐に開いていく。
円形の出口が一切遮られなくなり、犇めくイワシの群れが視界に入る。海を泳ぐイワシというよりもイワシの海だと言った方がしっくりくる光景だ。
出口上部と左右に設置されたシグナルライトが三つの緑を点す。
スタートの十秒前。
三秒を切って、一つ目の緑が消える。
二つ目。
三つ目が消失し。
四番目の赤が灯り。
タキツの尾鰭が水を叩いた。
アナタが観客席の大画面で確認すれば、真上から全てのゴールを映し出した映像で七人の人魚が飛び出していた。タキツは他の六人に比べて、明らかに遅れている。
思い切りのいいスタートダッシュを見せたのは、シャルマだった。左右に分かれたオットセイの尾鰭で速やかに舵を取り、腕で大きく水を掻いて潜水していく。
ニーシェを始め、何人かの人魚は大きく軌道を取って水平に旋回する。その動きに逃げるイワシは、円運動の内側へと誘導されて密度を更に高める。
タキツが左に進路を取る。
ニーシェが魚群の塊を一つ、追い立ててゴールに向かって来た。左右に揺れるイワシに併走しつつ、巧みに進路に飛び出して塞ぎ、塊のまま誘導している。
タキツが体を静かに沈ませつつ、垂直方向に弧を描いて泳ぎ。
背中を反らせて急浮上して、ニーシェが追い立てた魚群に向かって荒っぽく波を立てて押し出した。
ニーシェのゴールに向かっていた魚群の七割程がタキツの波に押し流されて、タキツのゴールへと逃げ込まされる。
『ちょ、タキツさん、ずるっ!?』
『勝負にずるも卑怯もないですから。反則取られなければいいんです』
他人が集めた魚群を掻っ攫っておきながら、タキツはまるで悪びれた様子がない。
そのままニーシェから奪った魚群を〔追い込み〕、自分のゴールへと押し込もうとして。
タキツが狙った魚群がゴールに入る直前、海の上から突き刺さった何かが盛大に泡を投げ込んでタキツの視界を奪った。
空から一羽の海鳥が海へと突っ込んだ結果であり、突如目の前に現れた衝撃に、イワシは雲散霧消する。その一部はタキツのゴールに逃げ込んだが、狙っていた魚群の一割にも満たない。
タキツの邪魔をした鳥はハルピュイアであり、当然ながら偶然ではない。
ハルピュイアの主であるコトリ・エ・シームルグはタキツやニーシェとは遠く離れた深みに沈んで、自分の獲物を追っていた。
アナタが巨大モニターを見上げれば、三羽のハルピュイアは間髪を入れず海へと飛び込んでは空へと飛び立ち、コトリの競争相手を悉く邪魔している。
見た目にも派手な攻めに、観客もコトリの名前を競って叫び沸き立っている。
アナタは思わず、観戦モニターいっぱいに使われて映し出されたコトリを睨む。水鳥の翼を纏う彼女の尾鰭は海水に濡れて、鋭く真っ直ぐに伸びていた。その尾鰭で海を優雅に擦り抜けてイワシの一群を追い立てている。
ニーシェ程の大群ではないが、コトリに妨害された他の人魚よりは大きな群れだ。それが今、コトリのゴールへと突っ込もうとしている。
コトリが追い立てた一群の進路方向を一本の槍が横切った。
正確には、槍は速過ぎて、アナタの目には一本の線が走ったようにしか見えなかったのだけれども。槍と断言したのは、その情報を予め仕入れていたからだ。
海を飛び出し、観客席まで捲り上げられた海水は雨のように辺り一面に降り注ぐ。
その勢いは海中でも影響を見せた。
コトリと彼女が追っていた一群、そしてレース場の少なくない範囲が、うねる水に揉みくちゃにされて嵐の後のように
コトリのゴールに入るイワシの数を、オリヴィエの一投が打ち払ってしまった。
そして空中へと飛び出した槍は、海へと返る途中でコトリのハルピュイアの目前を過ぎ去った。
ハルピュイアそのものに槍は掠りもしない。だが槍から一瞬だけ光り、魔力の壁が生じて海へと突っ込もうとしていたハルピュイアを弾いた。
体勢を崩したハルピュイアは懸命に翼で空気を打ち、空へと逃げ去っていく。
ハルピュイアに狙われていた人魚はその隙にイワシの塊をゴールに入れる。
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