人魚の祈り
今日のタキツのトレーニング内容は、祈りだ。
初めの頃から組み込んでいるトレーニングなのだが、実はアナタにもなぜ祈りが人魚のトレーニングに上げられるか、よく分かっていない。似ているトレーニングメニューに瞑想もあるが、それとどんな違いがあるのかも、同様だ。
しかし、人魚達のトレーニングとして古くから知られているし、実際に魔力の上昇などの効果がはっきりと現れている。
だから、アナタは今更ながらに気になって、祈り中のタキツにリンケージ・ゴーグルを同期させた。
タキツは海中で目を瞑っているようで、視界は真っ暗で聞こえる音も水に潰れている。
ぱちり、とタキツの目が開き、海中に浮かぶルルの険しい顔が現れた。
『タキツ、吹き飛ばしてあげようか?』
『ルルが吹き飛ばしたら、ナヴィゲーターの魂が消えてなくなるんで、止めてあげてください』
何故か、トレーニングの観察しようとしただけなのに、アナタは命の危機に瀕していた。
タキツ溢す溜め息の音が、アナタの内側から聞こえてくる。
『ちゃんと言わなかった私が悪かったっていうことにしてあげるので、祈りの最中はリンケージを繫がないでもらえますか』
『え、と、ごめん、そんなに嫌だった?』
『人間には、分かりにくい感覚なのかもしれませんが、祈っている時の精神を覗かれるのは、裸を見られるのと同じような感じだと思ってもらえれば』
タキツの淡々とした説明に、アナタの血の気が引いた。
好奇心で関係が崩れてしまったのかもと、動悸が激しくなる。
『ご、ごめん、ちょっと気になって……』
『あー、はいはい。どんなものなのか気になったんですね、だからそういうことはやってる時に見にくるんじゃなくて、事前の打ち合わせで訊けっていうんですよ、アナタ本当に社会人ですか 』
タキツがやれやれと首を振った。
『ルル、集中が思いっきり切れたので、知りたがりに説明がてら休んでもいいですよね』
『休む気満々で言ってるんじゃないわよ。いいけどさ。サボる理由作ったの、あっちだし』
タキツよりも、ルルの方が臍を曲げて、何処かへと泳ぎ去ってしまった。
『さて、人魚にとっての祈りがどういうものか教えてさしあげますよ』
タキツは気怠そうに言いつつ、近場の岩まで沈んでいって腰掛けた。
『おねがいします』
アナタは聲を小さく教えを乞う。
タキツは欠伸を噛みながら、話し始める。
『人は神に祈るのが多いですが、人魚は星、もしくは世界に祈ります。そもそも、私達は星の意識によって望まれて生まれてきたことが分かっていますので』
人魚とは、人間という強力な自我を持つ生物種の出現を予見したこの海珠という星そのものが生み出したもの、というのは人間の神話でも伝わっている。
他の生物と違い、意志の元に星すらも改変していく種族を星は恐れた。それは自らを含めた多くの生物種を滅亡させる可能性を宿しており、さらに星すらも壊滅させる負の素質まで備えている。
しかし、星の自我は人間と比べて弱く、そのままでは人間に向けて干渉することは出来なかった。
『そこで、何処からか現れた存在が海珠に助言しました。星の意思を代弁するものを生み出して、人間と関わる中継ぎにすればいいと』
そうして星が、いずれ生まれるヒトという種族をモデルにして作り上げられたのが、最初の人魚だ。人魚はこの星の多くを覆う海を自由に行き来するために、泳ぐための鰭を持つようにデザインされたのだと言う。
人魚は星より生まれたことも、星が自分達に望んだことも知っている。
古くから人間と関わり、正しい行動を導き、星や他の生物を著しく損なうような過ちを犯すようになれば国家ごと滅ぼしてきた。
つまりは、人魚は人間を、星の意思に沿うように教育して来たのである。
『まぁ、この辺りはそんなに関係ないんですが、私達は星の記憶からいろいろな知識や技術をダウンロードできるわけです。そもそも、アカシックレースがその儀式そのものですしね』
アカシックレースとは、マーメイドレースの中でも古代から人魚が行ってきたものだ。そのレースの勝者は、星から歌をダウンロードして謳い、魔法を発動して奇蹟を起こす。
それは海の生物に恵みを与え、大陸を津波で飲み込み、星を砕こうとする隕石を迎撃する。
『人魚にとって祈りとは、自我と星との境界をなくしていって、星の意思に溶け込むことです。その時、私達の心は個体としての殻をなくして至って無防備になります』
心が無防備になる、という感覚はアナタには完全に理解しきれるものではなかった。けれど、それが傷つきやすく脆い状態になっているのは、なんとか判別出来る。
そんなことも露知らず、リンケージを同調させたことが、申し訳なくなる。
『まとめると、恥ずかしいから見んなよ、ってことですね』
『結論がいきなり軽すぎないか!?』
さっきまで世界規模の話や個人の尊厳の話をしていたはずなのに、タキツは石を蹴飛ばすような気軽さで話を締めた。
余りの温度差にアナタはついていけなくなる。
『重たく言ったって、お互い気まずくなるだけじゃないですか。ていうか、私が知らなかったんだからしょうがないよねって軽く受け止めてるのを見せないと、ルルが報復にいきますけど、その方がいいんです? 一応、こんな下らない理由でアナタに死んでほしくないって思ってはいるんですけど』
『……お気遣い、ありがとうございます』
『どういたしまして』
アナタは、これからは決して、祈りの間にリンケージを使用しないようにしようときつく自分を戒めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます