ルルとの打ち合わせ

 もうすぐ六月の前半が終わり、タキツの新しいトレーニングメニューを決めなくてはならない時期なのだが、アナタはそれを確定する前にルルと打ち合わせを設けた。

 トップマーメイドの視点で不備がないか教えを乞うためだ。それに先日の遠泳の様子を見るに、ルルの指導はかなり的確だと思えた。

「あのさ、これ本気で言ってる?」

 そして開口一番、ルルから駄目出しを喰らった。

「えと、そんなに?」

「一々指摘するのもめんどくさいくらいだけど、ルルお姉さんは優しいからちゃんと教えてあげるわ。感謝しなさい」

 ルルの高圧的な態度に、やらかしたのを覚ったアナタは身を縮こませる。

 アナタが出した案は、二週間で探索とドリルのトレーニングを予定していた。

 探索は、海中で指示したものを探すトレーニングで、遠泳と同じく海に長期間行動するので重いトレーニングだけど、効果は高い。

 ドリルは、トレーナーがスイマーの泳ぎを観察して、改善点を指摘しながらタイムの更新を目指すトレーニングで身体能力の向上以上に、考えて泳ぐ訓練になる。

 そのトレーニング計画の印刷された紙を、ルルは裏手で叩いた。

「まず、タキツの真面目な性格なら、一つは同じトレーニングを続けて、トレーニングをすること自体に慣れさせた方がいいわ。あなたもそれを考えて二回連続でほぼ同じトレーニングメニューを組んだんでしょ?」

「そうだけど、それはタキツが嫌がったから……」

「アホなの、あんたは 。目的があってそうしてるなら、ちゃんとタキツと共有してタキツにやる気を出させるべきでしょ。それがあんたの仕事なんじゃないの、偉そうに支持だけするやつなんか最初っからいらないのよ」

 ルルの言い分にぐうの音も出ない。

「探索やドリルは確かにタキツにやらせようとしてることに合ってるけど、それなら元からこっちを選べって話よ。遠泳とか負担になるトレーニングをいきなり続けたのに、文句言われたから変えましたなんて言ってごらんなさい、元からなかった威厳がさらにマイナスに振り切れて信頼なくすわよ。信頼なくしてあんたのやりたいことやっていけると思うわけ?」

「それは……思わないです」

「分かればよろしい」

 アナタは頭を巡らせて、代案を考える。

 やはりタキツには繰り返しのメニューを課した方が効果が大きい。そうするとまた遠泳に取り組ませるべきだろうか。時間の問題は、探索と遠泳でそっくり入れ替えられる。

「なら、探索の時間をそのまま遠泳に替えて、それとドリルで行くのでどうでしょう」

「んー……ブレインだっけ? あんたがタキツにさせたいこととこれまでのトレーニングを無駄にしないのはいいんだけどさ」

「え、なにか問題が?」

「あんた、タキツの様子見てコンディションどうだと思うの?」

「かるい疲労……?」

 はぁ、とルルに溜め息を吐かれた。

 何かまた間違えたかと、アナタの額を冷や汗が伝う。

「タキツ預けてる人に、最近の様子訊いてみたら?」

「え、あ、はい?」

 痛そうに眉の間を指で揉みほぐすルルに言われるままに、アナタはマキナに電話を入れた。

『ほいさ。なんよ?』

 マキナはすぐに電話を取ってくれた。

 アナタは、マキナから見て、最近のタキツの様子はどうかと訊ねる。

『え? タキツの様子? 最近はやっぱ疲れてる感じだよ。帰ってきたら食事まで仮眠取ってるし、食事の後もうつらうつらして、こっちがベッドまで運んだりもしてる。今後の予定決めてるんだっけ? ちょっと休み増やしてあげた方がいいと思うよ』

 マキナから齎された情報に、アナタは気が重くなった。しっかり見なければならないところに対して見落としがあっただなんて、ルルにこれほど怒られるのも当然だ。

 アナタはマキナに礼を伝えて、電話を切る。

「で、軽い疲労って、あんたいつのタキツを見てたわけ?」

「めんぼくないです……」

 ふん、とルルは苛立たしそうに鼻を蹴上げた。

「でも休憩させると、遠泳の時間取れないから、トレーニングが途切れる……」

「は? 何言ってんの?」

「え、他に連続してるトレーニングありましたっけ?」

「あんた、自分でトレーニングメニュー決めてるのよね?」

 とんとん、とルルの人差し指が机に放られた紙を突く。

 その爪に示されたのは、先週に祈りのトレーニングをした時間だ。

「あ、祈りも遠泳と同じで連続させてたんだっけ」

「あのさ、若年性痴呆症でも患ってる?」

「いえ、その、そんなことは、ないです、よ」

 アナタは言い訳をしながら目を泳がせるしか出来なかった。

 タキツがアナタの指示に不安を募らせたのも、こうして指摘されると、不備があったからだとよく分かる。

「よし、休息の後に祈りのトレーニング、ドリル、それからまた休息を入れてタキツのコンディションを一度整える。これなら大丈夫ですよね!」

「わたしにお伺い立ててどうするのよ。タキツのトレーニングメニュー決めるのはあなたの仕事なんでしょうか」

「それはそうなんですけども……」

 しかし、こう失敗を指摘されると、アナタに自信というものは残っていなかった。

「ところで、ドリルは誰が見るの?」

「え、もちろんぼくがやるつもりですけど」

「レースの申請進んでるんでしょうね。あと二ヶ月切ってるんだけど」

「ああああああああ! 忘れてたー!」

「忘れてたで済むものですか。言っとくけど、普通の人魚は一人でトレーニングメニューも決めるしトレーニングするしレースの準備もするのよ。そこをトレーニングに専念出来るようにサポートするのがあなたのやりたいことじゃないの」

「まったくもってそのとおりです」

 アナタは気の重さに耐え切れなくなって、机に突っ伏した。

「でもそうするとドリルは諦めるしかないのか……」

「いや、何のためにわたしがいるのよ」

「え、やれるんですか?」

「あんた、遠泳の時に覗き見してたんでしょうが。あれ見てよく出来ないとか思えるわね」

 希望の光が差し込めた。

 これでタキツの次のトレーニングメニューが、休息を前後に挟んで、祈りとドリルに決まる。

 アナタはどうにか形になって、ほっと一息吐く。

「なんかやり切った顔してるけど、本当はもっと根本的なところをわたしに訊きたかったんじゃないの?」

「うっ……そのとおりです」

 やれやれとルルに首を振られてしまった。

「そうね。普通にやってレースに勝てないのがタキツの後ろめたさになってるから、あなたの言う通り新しいことをやって、それがうまくいったら自信に繋がるでしょうね。スタイルって言葉で目標が明確なのも、闇雲に努力するよりタキツの気を楽にしているはずよ」

 ルルはスタイルという指標を好評価してくれた。

 歴代の人魚の中でも最速で最強で最優と呼ばれる存在に認められることは、アナタの胸にくすぐったい肯定感を芽吹かせてくれた。

「でも、それで基礎が足りないからって身体能力だけを求めたトレーニングをメインにするのは本末転倒じゃない。普通に鍛えて勝てなかったんだから、タキツからしたら負けたやり方を繰り返してるようにしか思えないわよ。しかも、一旦、新しい希望を教えられたのだから、不満も倍ね」

「そう、だったんだ……」

「あんた、人の心が分からないって言われない?」

「あの、これでも一般人のつもりなんですけど」

「鏡と他人をもっとちゃんと見ろ」

「ひどい……」

 辛辣な言葉を言い列ねたルルは肩を竦めて閑話休題の区切りにした。

「そもそも、最初のレースにフィッシャーズを選んだのは、単純な身体能力だけじゃなくて作戦や機転が大きく勝敗を分けるからでしょう。頭を使えば逆転が狙えるレースを選んでるのに、頭鍛えないとか、言ってることがちぐはぐでタキツみたいに頭いい子じゃなくても指導者を疑うわよ」

「ぬ」

 確かに、フィッシャーズを選んだ理由はルルの指摘した通りだ。

 目標を手にしてゴールまで運ぶ以外にも加点対象があり、勝ち方をいくつかのルートから選べる。

 直線での速度だけを競うような単純なレースよりも、身体能力に劣るタキツに勝ち目がある。

「でも、その作戦とかレースの情報をタキツと打ち合わせしてないとか、まるで選んだ甲斐がないわね。そもそもあんた、その辺りちゃんと調べてるの?」

 まだ調べてません、と正直に答えればまた罵詈雑言が飛んできそうなので、アナタは口を噤んだ。

 ギロリとルルが睨んでくるが、言葉は幸か不幸か押し寄せてこなかった。

「身体能力なんて、登龍門に間に合わせればいいのよ。あと一年もあるんだから、もう半年くらいは、タキツに今までやってこなかったことをさせて、それを自分のものにしたという実感を持たせて、気持ちを上向きにするのよ。やる気出したら、身体能力を鍛えるなんてすぐよ、すぐ」

 人魚の成長はそれほど速いらしい。

 それよりも、とルルは話を繫ぐ。

「タキツにはもっとスキルを身に着けさせなさい。できることが多いほど、タキツならその場に応じて的確な手段で勝ちを狙える。出し抜くのか、妨害するのか、前に出るのか、惑わせるのか、相手と状況によって瞬時に選べる頭の良さと素質が、タキツにはある。そこは、あなたの見立て通りよ。見立て通りなんだから、見立て通りの育て方をしなさい、この大馬鹿」

 ふむふむとアナタは頷く。そうすると、タキツがトレーニングを見てもらうのにルルを呼んだのは、大きな意味があった訳だ。

 ルルに訓練されることで、タキツが得られるスキルは幅広くなった。

「それに、どうせ今のままじゃ、体を鍛えても奪われるだけだしね」

「奪われる?」

 もしかしてルルは、タキツの問題の答えを知っているんじゃないか。そんな発想がアナタの脳裏を過ぎる。

「教えないわよ。人の内情を勝手に探ったら、恨まれるだけ。きちんと自分で答えを出しなさい」

 しかしルルはそれだけ言って、もう話すつもりはなさそうだ。

 それでも、ルルが教えてくれたことは、これからのタキツとの付き合い方を改善するのに、とても役立つと思えた。

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