顔合わせ
昨晩、タキツが遠泳を終えて帰って来た。昨日はそのまま帰宅させて休息してもらい、今日改めて報告をしてもらうようにした。
疲れもあるだろうからと、アナタは何時事務所に来てもいいと伝えたのだが、タキツは欠伸を噛み殺して朝九時に顔を見せた。
「昨日の今日なんだから、もっと休んでてよかったんだよ? 八日も泳ぎ続けたんだから」
「夜は寝てましたから、大したことないですねー。人魚の体力を舐めないでほしいですねー。はふぅ」
タキツは軽口を叩きながら、欠伸で涙を零した。ふるふると頭を振ってるのは、眠気を飛ばしているつもりなのだろうか。
「仮眠用のベッドあるけど」
「アナタが寝てたかもしれないベッドなんて死んでもごめんですね」
タキツが手をひらひらと振って、アナタに話を進めるように促してきた。
アナタは釈然としない気持ちを飲み込んだ。
「久しぶりの本格的なトレーニングはどうだった?」
「やらなくていいなら、ひもすがら眠っていたいくらいには面倒ですね」
「はは……」
遠慮なくボイコット希望を出してきたタキツに対して、アナタは本音を言ってくれていると喜ぶのも、どうしようもない駄人魚だと呆れることも出来ず、乾いた笑いが掠れる。
タキツは首を回し、肩を手で揉んで凝りを解している。
「まぁ、でも、なんとなく前に出来たのに今出来なくなってることの感覚が掴めたかも。波読みはもう何度か海を泳げばいけそうですし、
やるせなく続けられたタキツの言葉に、アナタは目が丸くなった。
やはり彼女は真面目だ。口も態度もやる気を見せなくても、しっかりと現状を見つめて自己分析をしている。
こうして成果をちゃんと報告してくれるなら、アナタも適切なサポートを組み立てられる。
「そうか、なら、レースには間に合うかな」
「急場しのぎじゃ、本番でどれだけ役に立つか分かりませんから、しっかりメニュー組むことですね。わたし、自主トレーニングなんて絶対にしませんから」
それはタキツに言われるまでもないことだ。
来月頭からのトレーニングメニューは今週中に作成するとして、今日はもう一つ、タキツとやっておきたいことがあった。
「オッケー。それでタキツに会ってほしい人がいるんだけど」
「もしご両親だったら、願い下げです。夜逃げしたと伝えてください」
「……ぼくの両親に会ってほしい気持ちはなくはないけど、違うよ」
タキツは面倒臭そうに溜め息を吐いた。
他にどういえば彼女を刺激しないのかと、頭を抱えつつ、アナタは話を続ける。
「タキツの住むところについてだけど、家主に話が付いたから、彼女と会ってほしいんだ」
「あぁ、そんな話もありましたね。レース観戦に遠泳と続いて忘れてました……ちょっとこれって、いきなり重いイベント続いてません? 自堕落を満喫していたわたしをもっと労わってくれるように進言しますわ」
「うん、真面目にレースに取り組もうか。キミは人魚なんだから」
ちっ、とタキツが可愛らしく舌打ちをするが、こんな
「いいから、こっちに来て」
アナタはタキツを事務所の更に奥へと案内する。
タキツは不思議そうに、顔をきょとんとさせた。
「そっちって、この建物の裏じゃないですか。裏の建物にぶつかりますよ?」
タキツも外から見て、事務所の立地がどうなっているのか把握しているらしい。事務所の裏、つまりマキナの家も、海下に建造を構えているので、海から存在が丸わかりではある。
「いいから、ほら」
アナタは通路に繋がる扉を開けた。その通路は、両端に人間が歩ける段差が備えられており、その細い幅を踏み外せば掘り下げされた水路に落ちることになる。水路の方は当然、人魚が通るためのものだ。
タキツはそんな人間と人魚に兼用となる通路があるのを不思議がりながら、アナタの歩みを追う。
「マキナー。連れてきたよー」
アナタはマキナの家に通じる事務所と反対に開いた扉を開けて、奥へと声を放る。
知らない建物に連れてこられたタキツは、居心地が悪そうに身を縮こませていた。
「なんだ、早いな。今行く」
ほとんどプールみたいになっている部屋にマキナはいなかったらしく、扉に阻まれて遠い声が返ってきた。
「今の声がアナタの知り合いですか?」
「そう。マキナ。大学からの友人だよ」
扉を開けて、マキナが部屋に入ってきた。
彼女はタンクトップとホットパンツという手足を惜し気なく露出させた格好で現れて、躊躇いなく水の中に体を沈めた。
器用に泳ぎ、マキナはタキツの前までやって来る。
「どうも。キミを家で預かれとそこの唐変木にお願いされたマキナ・マギアだ。よろしく」
「……マギア?」
タキツはマキナが名乗った姓に疑問を抱きつつ、マキナが差し出してきた手を握り返した。
そして、ぽろりとマキナの右腕が肩から落ちて水音を立てた。
タキツの手が、本体から外れた腕をぶらつかせる。
「ひゃあっ!?」
タキツが目を見開き、短い悲鳴を上げた。
その驚きように、悪戯っぽく、くつくつと喉を鳴らしてマキナが笑う。
「マーキーナー!」
マキナがいつもの悪戯を仕掛けたのを見て、アナタは腹の底から声を押し出した。
マキナはまだ体に繋がっている左手をひらひらと揺らして、アナタの怒りを宥めている。
「いやいや、一緒に暮らすならこっちの身体的欠損も知っておいた方がいいだろう。デモンストレーションだとも」
マキナは建前を盾にして、ついでにタキツをアナタとの間に挟むように回り込んで視界の盾にして、言い逃れをしてくる。
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