人魚のスタイル
ハイチェイスを観戦した翌日、往路とは違い、海流に逆らって航行する為に復路は朝から夜までかかり、時間がたっぷりとある。
アナタはその時間を使って、タキツと話をする。
船の個室で、タキツは体をベッドに横たえ、アナタは椅子に腰掛ける。人魚の骨格だと、クッションのない椅子に座るのはかなり苦労するようだ。
「じゃあ、タキツ、ぼく達のこれからについて話し合おうか」
アナタが口火を切ると、タキツはお馴染みの眉を顰めて怪訝な顔を見せた。
「流石に出会って間もない方と入籍するつもりはないんですけど」
心底嫌そうに吐き捨てるタキツに、アナタは一瞬呆気に取られて硬直する。
アナタは一つ咳払いをして、気を持ち直す。
「ぼく達のこれからのレースとトレーニングのスケジュールについて、話し合いをしよう」
「ああ。アナタって本当に言い回しが微妙なのよ。ナンセンスね」
アナタは頬を掻く。そんなに変な言葉を選んでいるつもりはないのだが、タキツは言葉遣いに厳しい。
けれど、今はアナタの話を聞くつもりであるようで、ゆったりと体をベッドに伸ばしながら、顔はアナタに向けられている。
「まず、タキツのレーススタイルを決めよう」
「レーススタイル?」
タキツの問い返しに、アナタはしっかりと頷いた。
「人魚がレースに取り組む時、そのスキルや装備から、どう泳ぐかが決まる。その泳ぎのスタイルは、人魚にとっての長所と短所を端的に分類出来る。自分のスタイルを決める事で、効率よく必要なトレーニングをこなしていける」
人魚の性能は多岐に渡る。
高い遊泳能力と再生能力、魔法を使う魔力の多さと技術の高さ、マギアをフルスロットルで使用し続けられる魔力、水棲生物全てと意思疎通が取れ、アカシックレースで得られるライセンスはそれぞれに特別で高質な性能を持ち、長い年月を生きる為に知性も優れている。
レースによっては、魔法やマギア、ライセンスの持ち込みや使用を制限される事もあるが、スタイルを把握していれば、苦手なルールを敷くレースを避けられる。
「ピスキス、ウィッカ、アプサラス、マギア、ミストレス、これくらいのスタイルはタキツも聞いた事があるんじゃないかな。ぼくはさらにもう二つ、スタイルを分類出来ると考えているけど」
タキツはアナタの説明を聞きながら、悩ましげに指先を唇に触れさせた。
「それって、人魚が自然と身に付けていって、レースでの活躍から周りが言い出す称号みたいなものですよね。わざわざそれを決めつける意義がわからないんですけど」
タキツの率直な疑問に、アナタは頭を掻いた。
他のスポーツなら自分や相手の傾向を知り、対策を打つのは定石であるのに、人魚にはそういうノウハウを共有するという意識が欠けていた。先人の功績を分析して自分の成長に繋げるという発想に乏しいのも、ナヴィゲーターと共にレースに取り組むというアナタの提案が受け入れられなかった理由の一つだ。
「優秀な人魚なら、確かに、教わったり目指ししたりしなくても自然と自分のスタイルを確立出来るかもしれない。でも、実はもっと自分に合ったスタイルがあるかもしれないし、タキツ、キミだって自分に向いているスタイルがどれかなんて分からないだろ? でもそれを知るのは勝利に近づく事だ。キミが称号と言ったように、自分のスタイルを持った人魚はみんな活躍しているだろう?」
タキツは頭の痛みを絞り出そうと眉に皺を寄せて、整った顔立ちを崩す。
「ナヴィゲーターの物言いはどうにも私には分かりにくいです。取りあえず、話を先に進めてください」
アナタはタキツに頷き、それぞれのスタイルの特徴と伸ばすべき点を語る。
まずは、ピスキス。自身の身体性能だけでレースを泳ぎ切るスタイルだ。また身体能力を上昇させる自己強化の魔法を使う人魚もいる。レースの基礎である体を鍛えるトレーニングに終始していけばいいので、よく言えば必要なトレーニングが明確であり、悪く言えばトレーニングが単調になる。
ウィッカ。魔法を多用するスタイルである。魔法を扱う魔力と技術を高めていかねばならないのに加えて、当然ながらレースに勝つには体を鍛えて泳ぐ力も身に付ける必要がある。魔法は様々な局面への対応力を高めるだろう。だが魔法の知識を学び、技術を高め、魔力を洗練する時間が取られ、レースを勝ち抜く地力を鍛える時間は削られてしまう。
アプサラス。人魚個人の為に特注された装備を活用するスタイルであり、その装備がマギアでないものを言う。その装備は、アカシックレースで取得したライセンスから作成される事も多い。独自の装備は強力な物や特殊な性能を持った物が選ばれ、人魚の切り札となる。問題点は、その装備を取得する為の伝手か、レースでの勝利が前提になる所だ。
マギア。言葉の通り、マギアを装備してレースに挑むスタイルだ。そもそもマギアとは、人魚の魔法を解析し、人間が人魚と対等な能力を得るのを目指して生み出された魔動機械だ。残念ながら、人間が人魚に追い付く事は未だ不可能だが、マギアの動力である魔力が高い人魚が使えば、一流の人魚との実力差を埋め得る。マギアの活用は独特の技術を要求されるので、トレーニング内容が他とは大きく異なる。加えて、最先端のマギアであっても、最上位の人魚と比べるとスペックで劣る。
ミストレス。生物を自分の支配下に置いて、レースのサポートをさせるスタイルだ。鰭の速い魚に自分を牽引させたり、大量の小魚を他の人魚の目晦ましに展開したり、中には鮫や鯱を使役して他の人魚を襲わせる者もいる。そもそもとして、人魚以外の生物との意思疎通が出来る才能を持っていなければならず、蛇足だが飼育の為の資金も必要だ。人魚がレースに使う生物は全て登録が必要であり、放し飼いは出来ない。大昔に放し飼いをして海域一つの生態系を狂わせた人魚がいたので、同じ事態を防ぐために国際法が定められている。
そして、アナタが独自に解釈したスタイルの一つが、ブレインである。戦略や戦術をレース中に構築して実行していく、知能に優れた人魚が実践している。臨機応変と言えばいいか、他のスタイルが事前に準備した自分の勝ち筋に沿ってレースを展開するのに対して、ブレイン型の人魚はレースの展開を読んで、自分が勝利する道筋を推測して実行する。これも普通のトレーニングをこなすだけでは身に付かないスタイルだ。
最後は、オールラウンド。これまで説明した全ての特徴を網羅した万能選手であり、間違いなく理想形だ。具体例で言えば、ルルはこのオールラウンドにあたるとアナタは考えている。ハイチェイスのレース中で、ルルは手札の半分も切っていなかった。
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