レースに向けて

 アナタのスタイルの事細かな説明を聞いて、タキツは指先で唇を擦った。

 そして、いつもの溜め息を弱く吐く。

「それで、アナタは、私にはどのスタイル? というのが相応しいと思っているんですか?」

 何かと苦言を呈しながらも、タキツもやる気があるようでアナタは嬉しくなる。

 だから自信を持って持論を提示した。

「タキツに向いているのは、ブレインだと思うんだ。言葉の返しにキレがあるし、理解度も頭の回転も速い。レースや他の人魚の情報を頭に入れて、それを有効活用する訓練をしていけば、必ずどんなレースでも勝ち筋を見出せる人魚になる。勿論、勝利を掴むためには、身体を鍛えるもの必要だから、ちょっと忙しくはなるけどね」

 タキツの人差し指が、その下唇を擦る。

 瞼を伏せ勝ちにして、何もない空中をまりに見る彼女に、アナタはもう一押しのプレゼンをする。

「それにぼくたちだからこそ、ブレインは効率的なんだ。これがあるからね」

 アナタは、取って置きのマギアを取り出して、タキツに見せた。

 タキツに装着してもらうそれは、シンプルな環を象られた銀色のサークレットだ。

「なにこれ?」

 アナタは、タキツに見せたものと対応するもう一つのマギア、機械仕掛けの水中ゴーグル、もしくはVRゴーグルにも似たそれを自分で装着した。

「そのマギアは、タキツが見聞きしたものをこっちのマギアに送信して、ぼくにも見たり聞いたりできるようにしてくれるのさ。それにぼくの声も受信してくれる。トレーニングやレースの時にこれを装着すれば、ぼくたちは二人の頭脳で他の人魚に立ち向かえるんだ。すごいだろ!」

 友人の渾身の作品をアナタは意気揚々と紹介するが、アナタの眩しいばかりの称賛に、タキツは顔に濃い影を落とし、痛そうに頭を手で押さえた。

「なんて……ナンセンスなの……プライバシーって言葉をなんだと思っているの……」

「え、そんなに嫌なの!? 使うのはトレーニングとレースの時だけだし、タキツが言ってくれれば、ぼくの方はその間外しておくよ!」

「それ、わたしの方を着けている間は映像と音声を送信するのを切れないってことよね?」

「音声だけじゃなくて、聲もきちんと送受信できるよ、すごいだろ!」

「それが一切自慢にならないと、ここまでのわたしの反応で気付きなさい、このおばか」

 はぁ~あ、と、タキツはこれまでで一番重たい溜め息を嫌そうに吐き出して、かぶりを振った。

「もう。アナタの提案を受け入れた時点で、やったこともないことをやらされるだろうとは思ってたわよ。仕方ないわね、言う事聞いてあげるから、レースもトレーニングも、どうすればいいのかちゃんと言ってくださいね」

 タキツは銀のサークレットを手に取ると、人差し指でくるくると回転させる。

 彼女のサポートをするに当たり、一番重要な物が受け入れてもられて、アナタはほっと胸を撫で下ろした。

「あと、細かいトレーニングメニューとスケジュールは明日までにまとめて伝えるとして……レースのスケジュールを立てないとね」

 まず、目標となるのは、登龍門のレースだ。次の開催は一年後になる。

 それまでに、タキツにはレースを突破する能力と経験、そして何より今は掛けている自信や自尊心を養ってもらわなくてはならない。

 レースで前に出るには、自分を前に押しやる心が必要だ。

 アナタはトレーニングとレースのペース配分で、そこを調整していくつもりである。 タキツの目を真っ直ぐに見て、アナタは口を開いた。

「レースは控えめにして、トレーニングに力を入れていこう。タキツはなによりもまず、地力をつけていかないと。登龍門の前に参加するレースは三本を考えてる」

「どうぞ、お好きなように」

 タキツが寝返りを打った。自分のことなのに、さも他人事にしか聞いていない。

 さっきの発言の通り、アナタの指示は素直に実践するだろう。しかし、そこに彼女の自主性とか意欲とかは全く添えられていない。

「それで、最初に挑むレースは決めてあるの?」

 それでも、レースの日程を気にしてくれるだけでも、見込みはあるだろうか。

 レースを目指してトレーニングしていく中で少しでも改善してほしいものだ。

 レース自体も勝ち負けは関係ない。タキツにレースの水や通信の感覚を掴んでもらえればいい。これは、アナタも一緒に見に付けないといけないが。

 それに加えて、タキツがレースで意識するライバルのような相手が見つかれば、御の字だ。

 それにタキツに伸ばしてほしい能力、つまりブレインとして泳ぐために必要な知力を培っていけるレースを、アナタは考えていた。

「八月のフィッシャーズに出よう」

 アナタの口にしたレースに、タキツが眉をひそめた。

 そんな反応をするようなレースだろうかと、逆にアナタも首を傾げる。

 フィッシャーズは毎月開催されるオープン大会だ。

 海で行うレースではあるけれど、セイレネシアの直下が会場となるので、登龍門を突破していない人魚でも参加できる。

 浮遊海上国家メガフロートは防波堤を海底から海抜二十メートルの高さまで打ち立てて取り囲まれている。しかもセイレネシアではそれが互い違いに五重にも設置されているので、その中海なかうみは波が荒れることはない。

 フィッシャーズはその中海で、目的となる魚を捕まえるレースだ。

 その魚は事前に種類が決められており、その中の一匹には特別な魔力の塊が飲み込まされている。この魔力を与えられた魚を捕まえてゴールに持っていけばレースが終了する。

 しかし、このレースはポイント制であり、魔力を持っていなくても該当する種類の魚を捕まえてゴールに運べばそれだけポイントが加算される。

 目標を捕まえて速くゴールしても、その前に他の人魚がポイントを溜めていれば負けてしまうという、戦略性が高い大会だ。

 なお、この大会で捕らえられた魚は全て、セイレネシアの住民の大切な食糧となる。海に浮かび、人工の床の上に築かれたメガフロートは、常に食糧自給率が課題となっているからだ。

 フィッシャーズが毎月行われるのも、その低い食糧自給率を向上させるためであり、エンターテインメントとしてよりも実益重視の大会として認知されている。

 ともかく、ありふれた大会で、安全な環境で実力者も滅多に参加しないレースなので、タキツが嫌がる理由がアナタには思い浮かばない。

「わたしの魚部分、イワシなんですけど」

 そんなアナタの戸惑いを察したのか、タキツが心情の根となる事実を伝えた。

 八月のフィッシャーズの目標魚は、毎年、イワシである。

「え、そうだったの」

「私のプロフィールを確認してたんじゃなかったの、アナタ」

 パシ、パシ、とタキツのイワシの尾鰭が苛立たしそうにベッドを叩く。

 しかし、アナタも人魚名鑑で見たタキツのことを覚えていたとは言っても、それは数ヶ月前に目についただけのこと。細かなことまでは記憶から抜け落ちていた。

「ご、ごめん! 今度ちゃんと確認するから!」

 慌てるアナタから顔を背けて、タキツは溜め息を吐いた。

「なんだろう、この、目の前で個人情報を見ておくねって言われるの、仕方ないんでしょうけど、とてももやもやするわ」

 ちょっと拗ねたタキツは、セイレネシアに船が戻るまでずっと、ほんのちょっぴりアナタとの間に壁を作っていた。

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