理事長との面談

 アナタは、アポイントメントをしっかり行った甲斐もあって、快く学校の理事長に迎えてもらえた。

 けれど、それはアナタの緊張を解すことにはならない。

 アナタを迎えたこの学校の理事長とは、世界でも最大の人魚を抱えたプロダクション企業の会長である。あらゆる分野を一緒くたにしたとしても、世界で三本指に入るような立場の人魚だ。

「はい、目を通させていただきました。電話でも伝えさせていただきましたが、わたくしとしても、大変興味深い申し出です」

 柔かなソファにゆったりと腰掛け、アナタが持参した資料を読み終えた理事長は和やかな笑みを向けてくれた。

 アナタはソファに背中をもたれさせるほどの安堵はまだ得られていないが、心は少しだけ息を吐けた。

 理事長は紙束をテーブルに静かに置くと、そのままアナタに向かって前のめりに迫る。

「ご存知かもしれませんが、我が学園は卒業後も、海へ出られない人魚が希望すればそのまま寮に住まわせてサポートをしています」

 海に出られない、とは、そのままの意味ではない。省略された単語を補えば、海で開催されるレースに出られない、となる。

 海は広く、深く、また天候や海流も気まぐれで内陸より遥かに荒々しい。

 海でのレースは、人魚であっても遭難の危険と隣り合わせだ。

 だから世界の国際法は、人魚が海で開かれるレースに出場するのに、とある内陸でのレースを突破することを条件にしている。

 そしてそのレースを突破するのに、何十年もの年月を費やす人魚がいるほど、過酷なものだ。

 【登龍門】と銘打たれたそのレースは文字通り、人魚の社会的立場に大きく影響している。

「しかし、長期間、具体的は十五年以上登龍門を突破出来ない子に対して、自立を促すためにも訓練施設以外の使用を禁止するべきだとの主張が内外から出て来て、最早抑えるのが限界に来ています」

 理事長は言葉と共に、憂いで目を伏せた。

 ふむ、とアナタは相槌を打つ。

 一般的に見て、結果を出せない人魚も無期限に支援するのは、かなり特殊だ。この学校を運営するプロダクションは、その点だけで他の会社から過保護であると常日頃から指摘、口を悪く言えば評判落としの攻撃を受けている。

 それに内部からすれば、永遠に生きる人魚の衣食住の支援は終わりがなく、負担が減る見込みがない、という意見もありそうだ。

「ですが、実績のない人魚に付け込む人間や、一人になって適切な訓練を組み立てられずさらに成績を落として復調出来ない人魚は、既に問題として浮き彫りになっています。なので、わたくしとしては、あなたのようにそう言った人魚と関わってくれる方に、大いに期待をしたいのです」

 言ってみれば、話題に上がっている人魚は落ち零れだ。

 でも理事長はそのような人魚も気に掛ける人格者であり、優しい、口汚く言えば甘い、そんな母親のような人物であるらしい。

 けれど、その優しさや甘さが、アナタの提案を受け入れてくれているのだから、美徳して受け取るべきだろう。

 アナタは少しでも理事長の気が晴れるように、少しぎこちなくも笑いを作り、自分の胸を叩いた。

「ぼくも、どんな人魚にも強くなるきっかけはあると思っています。そして自分がそのきっかけになりたい、と夢にしています」

 こうして、アナタは正式に、歴史初の人魚の支援者となる人間として名乗りを上げた。

 理事長は手を合わせ、笑顔を咲かせる。

「まぁ♪ ふふ、あなたのように気持ちのいいニンゲンを見たのは、七百年ぶりかもしれません」

 そんな冗談なのか本気なのかわからない台詞を口にして、一頻り喉をころころと鳴らした後に、理事長は表情を引き締めた。

「実はあなたの人柄を見込んで、お願いしたい子がいるんです。本当なら、あなたにも見る相手を選ぶ権利はあるとわたくしも思っていますが……その子は特に心配で」

 アナタは沈痛な面持ちで語る理事長に両手の平を見せて、落ち着くように促した。

「そんな暗い顔をなさらないで。相手を見て、ぼくを受け入れてくれるか、それがだいじょうぶなら、引き受けますよ。ぼくはそういう子にこそ、自信と誇りを抱いてほしいって思ってますから」

 アナタはそんな安請け合いをした。

 今まで、幾つものプロダクション、そして人魚達から、必要ないとけんもほろろに袖を振られた身としては、人魚を紹介してもらえるだけでもありがたかった。

「ありがとうございます。彼女は、支援を打ち切ると決定されたら、まず間違いなく初めにここを追い出されてしまうんです。なんと言っても、もう百年もここにいるので……」

「ひゃくねん」

 アナタは、理事長が告げた年数を鸚鵡返しした。

 登龍門は、何十年と人魚を退けることもあるが、その位がもう一つ上がる例なんて相当に珍しい。

 だからアナタは、驚きの後にその人魚のプロフィールが思い浮かんだ。

「テイル・フィン・カット」

 ぽつりと、アナタは彼女に与えられた不名誉なあだ名を思い吐いた。

「知っていられたのですね……」

 理事長も目元を伏せる。

 テイル・フィン・カット――尾鰭に傷の入った魚は遊泳で速度を出せなくなる。

 不死身であり、身体の再生能力が高い人魚の彼女が実際に尾鰭に傷を負っている訳ではない。尾鰭に傷を負った魚のように速く泳げない――お前はレースに勝てやしない、という嘲りだ。

「流石に百年も登龍門を通過しない人魚は珍しいですから、名鑑を見た時に記憶に残りまして」

 アナタはここに来るまでに、人魚の素質やレースの強さについて、懸命に勉強してきており、人魚全てが登録された人魚名鑑も穴が開くほどに見てきた。

 その直向きさがここでも出てしまった。

 アナタは顔を上げ、理事長を強く見返す。

「彼女が……タキツさんがぼくを受け入れてくれるなら、是非サポートさせてほしいです。まずは、彼女に会わせてもらえますか?」

 アナタの眼差しから力を得たのか、理事長は胸に手を置いて一つ息を吐いて、頷きを返してくれた。

「はい。では、すぐにタキツを呼びますね」

「あ、いや、呼びつけるのは悪いんで、ぼくが行きますよ」

 海下に連絡を取ろうと携帯電話を取り出したのを差し止めたアナタに、理事長は困惑を浮かべた。

 言うまでもないが、人魚達は海下、つまりは水中にいる。人間が息を止めて潜水して会う、なんて簡単な話ではない。

 しかし、アナタもそんなことは百も承知だから、ズボンのポケットからそれを可能にする物を取り出した。

 万年筆のようにも見えるそれは、人々の間によく普及しているマギアだ。

 魔法を原理にして組み立てられた機械、それがマギアであり、アナタが手にしたそれはエアピースという商品で、口に咥えることで空気を発生し続け、水中での呼吸を助けるものだ。

 アナタがいつでも水中に、人魚の方に寄り添う準備をしてあるのを見て、理事長はパチクリと目を瞬かせた。

「あなたは本当に素晴らしい方ですね。我が校の理事ですら、一部にエアピースを持たないで来て、人魚を海上に呼びつける者もいますのに」

 アナタは当然の態度を褒められたのがこそばゆくて、しまりのない笑いを返す。

 荷物はこの部屋に置かせてもらい、早速タキツに会いに行くために、床に開いたドアから水中に飛び込んだ。

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