第881話 抑止の工夫

「……なるほどな、紙自体にそのように見えるものが付与できる方陣ってことか」

「紙の性質や書き味を変えずにできるようにすると、俺としてはどうしてもこういう感じになっちゃって。この方陣はふたつでひと組なので、別々では役に立たないとは思いますが」

「製紙工房の者達は喜ぶだろう。自分達の作ったものに『銘』として作った証が入れられるのだからな」


 あ、そうか。

 消耗品だからねぇ、紙って。

 作ったものになまえが入れられるって、やっぱり嬉しいよねぇ、うん。


「しかし……魔効素というものは。紙の上に留まるものなのか……?」

「吹き付けた後に半減しないか心配だったんですけど、そんなこともなくって」

「これ……魔効素だけじゃないんだろう?」


 鋭くていらっしゃる。


「くっつく力は……魔瘴素の方が強いですからね」

「まず魔瘴素を紙に付け、その魔瘴素に魔効素を『塗して』いるのか」


「ほぼ、正解です。魔瘴素って『植物の繊維』に入り込めないみたいで、止まるんですよね。そして魔効素も完全に魔瘴素を包めないから消えずに留まる。そして空中にある魔瘴素には填料に邪魔されてか、くっつけないみたいなんですよ」


 そうなんだよね。

 これは新発見というか、予想外だった。

 魔瘴素は留まってたとしても、魔効素は安定するかが微妙に自信がなかったんだよ。

 だけど、魔効素は填料が金属由来でも生石灰でも上手いこと紙の中へ浸透して、魔瘴素を一緒に包み込んで留まっていただけましてねー。


「凄いな、確かに翳すと『透けて見える』気がする……これは『錯視』なのだろう?」

「はい。紙をでこぼこにもせず済みますし、裏に書かれている色墨や印液も透けて見えないでしょう?」

「随分と細かい文字も読めるな……この石板の中に『雛形』を入れておけばいいのか」


 この『方陣を指定した形に付与する石板』は長方形で、片側に寄せて『付与すべき方陣の形』が彫られている。

 もう片側は『雛形を入れる蓋付きケース』になっているので、紙に印刷したい文字や印を書いて入れてもらえたら『魔効素が方陣を使って』その通りに吹き付けるのだ。

 これだと簡単に変更ができるし、幾つも違う工具や石板を作らなくて済むのである。


「この『透かし錯視』が全ての紙に入れられれば、何処の領地の何処の工房で何年に作ったものかの特定ができます。また、一巻ごとに連番を入れ込むこともできますから、その番号の紙がその後何処の工房へいってどんな製品に加工されて出荷、販売されるかの記録も取ることが可能です」


「それは素晴らしいな。何処でいつ売られたものが利用されたかが解ったら、もしも犯罪や不当契約などに使われても経路を辿ることができる」


「今回の方陣は、皇国で作られる紙であれば『樅樹紙もみきがみ』『直木紙すぐきがみ』『三椏紙みつまたし』ならば確実に使えます。『葦草紙よしくさがみ』は……もしかしたら、他の紙よりは早めに魔効素が飛んでしまうかもしれないですけど、使われる填料次第で改良ができると考えます」


 草由来だと、なんでか魔瘴素が消えやすいんだよねぇ。

 魔力の保持力っていうのと、関係しているのかもしれない。

 だけど、填料が変わればなんとかできる可能性はある。


「羊皮紙はどうだ?」

「残念ながら、羊皮紙ですとこのやり方はできません。でも、羊皮紙の綴り帳は高額になるので、悪用はされ難いでしょう。硬皮用紙や補強羊皮紙だったら、文字を書かない端の方に見えるように書き付けたり型押しをしても折ることも破ることもできませんから、それで大丈夫じゃないかなと思うんですよ」

「そうだな。金儲けが理由ならば……安価で済まそうとするか」


 おやおやおやー?

 それって『金儲けが理由じゃない事案』が、考えられるということですか?

 ここでビィクティアムさんから、録画停止の指示がありましたので止めましたが……ここからの話は『賢魔器具統括管理省院管轄ではない』ということだね。


 そして、別のカメラを起動……会話を残してはおきたいということか。

 黙って話を待っている俺に、ビィクティアムさんは少し困ったような、話しづらそうな表情を見せる。


「おまえは……多分、もの凄く不快になるか怒るだろうからすまないとは思うんだが、おまえの個人的な意見を聞きたいんだ」


 態々ビィクティアムさんが『個人的』と言ってくれたのは、俺の言うことを『ニファレントの常識とか定説』とはしないから安心してくれ、ということだろう。

 ありがとうございます、お気遣いいただいて……


 本当にねぇ、異世界とかパラレルワールドとかは『遼遠の天』ていう概念がなかったら、もっと楽に説明できたと思うんですけどねぇ……

 物理法則とか宇宙論なんてのは、神と遼遠の天の実在のお陰で逆に受け入れられやすいんだけどさ。


 俺の思っている宇宙とか異世界が、もしかしたら本当に遼遠の天と同一かもしれない……なんてことも、無きにしもあらずだから困っちゃうんだよねぇ。


 この辺はどんなに考えても結論は難しい……『絶対』も『無』も、全ての世界で共通であるなんて証明はできないのだ。

 では、何に対しての俺の意見をお尋ねになりたいのでしょうかっ?


「ガイエスが攫われる直前に出会ったという者が、オルツで拘留されていてな」


 予想外のところから来たぞ?

 そして続けられた話では、その女性はアーメルサス在籍の元冒険者で……『赤月の旅団』に所属していたが、そこから抜けてカシェナまで逃げてきた後、魔導船に密航してオルツに辿り着いた……という、なかなかハードな旅を送ってきた人らしい。


「そいつのこと自体は、セラフィラントでなんとかすることだからいいのだが、言っていることが意味不明というか、考え方が不思議で堪らなくてな。ガイエスにも聞いてみたり、セラフィラント内にいるアーメルサス人や、カシェナ人などに聞き取りもしていたのだが……どうにも要領を得ないところが多い。タルフ人とも元々は同じだから、ミューラ人というかマイウリア人、ガウリエスタ人にもできる限り確認してはみたのだが『同じように考えている者』が……どうも、居ないみたいでな」


「その、考え……というのは?」

「幾つかあるが、まずは『身分によって食べるものを制限する』というものだ。ガイエスがアルシュール達に確認をとってくれたのだが、タルフでは当たり前にそのような風習があったと言っていたらしい。しかし、タルフは古代マウヤーエートから分かれた、現在のマイウリアかミューラと同じだろう? ガイエスも現在セラフィラントに居るマイウリアやミューラの者達も、そんな風習は知らない……と言っていた。なのに、皇国の商人の中には『ミューラに行くと身分で自由に食べられないものがあった』という話が出て来る」


 ……それはまた……なかなか面倒な案件ですなぁ。

 だけど、そういうのってあっちの世界のどの時代でも、割とポピュラーにあった『差別』や『区別』だよね。

 特に宗教絡みでは、食べものの制限が絶対に出て来るんだよ。


 あ、そーか……皇国ではというか、本来こっちの世界だと『禁食』はあり得ないんだよな。

 この世界の神々が『何も制限していない』んだから、正しい神典を理解していたら身分で食べものを決めるのは矛盾であると感じて当然。


 特に、皇国では地理的にも制限の必要が全くなかっただろうし、創国の願いが『食べものに困らない飢餓のない国』なら尚更だよね。


「その考え方の要因のひとつは、おそらく……信仰が揺らいだ結果を認めたくないから……という足掻きじゃないですかねぇ?」


 俺の意見に、ビィクティアムさんは少し首を傾げる。

 なので、補足的説明を。

 幾つか考えつく要因のひとつを、説明いたしましょう。


「信仰が揺らぐと、身分階位の設定をその時の権力者が自分に都合よく決定しますよね。それをあたかも神々がお認めになったかのように装うためには、自分達が特別であるということを示さなくてはいけない。その時に後世から見たら『あり得ないだろう』という幾つかの『規制』を設けて、支配体制を作ろうとするはず。それを力で抑えつけるだけでなく、生活基盤などを抑制するために『神の名を利用する』ということも含まれると思うのですよ」


 そして何処ででもそうだと思うが『身分によって食べものが違う』ということを守りたいのは、どちらかというと『身分の高い人達』である。

 身分の低いとされている人達は、上の人さえいなきゃなんでも食べたいはずだからね。

 目が行き届かないところでは、掟だなんだと言われても飢えないために食べる人が出て来る。


「指導書などの上からの命令で決められた事柄を、すぐに全国民に従わせることは不可能です。たとえ、神々の命令だと言い張っても難しいでしょう。なのでまずは『身分が高い者達が食べるべきもの』を設定し、それに従って行動する。たとえば……あ、そうそう、この間の『柔里芋やわさといも』と『鏃芋やじりいも』みたいに『見た目が似ている』もので実例を見せる」

「実例……といっても、どっちが食べたって一緒だろうが。身分でどう変わるというんだ?」


「それこそ、詐欺のような手法で、ですよ。一例というか……まず、身分の高い人とそうでない人両方に、同じものだと言って似ているが違うものを出す。どちらか片方には人が食べると具合が悪くなるものが含まれているが、もう片方には食べられる素材ってことですね。で、食べてもなんともなかったのは……神々が『その身分の者達が食べるための食材と決めたから』で、具合が悪くなった人は『相応しくない階位の者が食べたから神がお怒りになった』……なんてことにすりゃいい訳ですよ」


 実例を見せつつ、全くの関係ない事象をあたかも当然の因果関係だというように吹聴するということだ。

 印象操作による詐欺の一種ですね。


「しかし、別の時に食べた者が無事だったら、証明にならないだろうが」

「その時は……まぁ、後からどうにでもできるのが……『力を振り翳す者』……ですからね」


 ビィクティアムさんが嫌そうな顔をするのは、非常によく解ります。

 皇国の貴族では、あり得ないですからね。

 だけど、結果が重要なのですよ。


 食べてはいけないものを口にしたから、具合が悪くなった、死に至った……という原因と結果が欲しいだけなので、本当にその食材が原因である必要がないのです。

 必要なのは『食べた』という事実と『悪い結果』なのですよ。


 だけど、それは身分の高い者達が『全員漏れなくクズ』だった場合だけど、そんな十割ひゃくパークズなんてことの方が、実はあり得ない。

 身分の高い『善良な人々』も、納得していなくては意味がないのです。


 そもそも『食べさせないということを広める』必要があったと考える方が、多分正解だと思うんですよ。

 あ、またビィクティアムさん『なんで?』顔だ。

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