第855話 ちょっとムカつく小冊子

 翌朝、デルデロッシ医師の本を半分ほど書き上げていた俺はよーく眠ってスッキリ目覚めていた。

 ふっはー、よく寝たー。

 お、ちょっと背中痛ぇ……でも、蓄音器体操で痛みもなくなりました。

 うむ、蓄音器体操は素晴らしいな。


 朝食後にはまたデルデロッシ医師の本の清書を、と思っていたのだが教会からのお呼び出しコールが掛かった。

 きっとハウルエクセム卿がいらしたのだな。

 ガイエスから『もう大丈夫だと思う』っていう簡単なメモは来ていたから、色々片は付いているんだろう。

 腕輪の通信石を一回タップし、教会に移動した。


「おはようございます、テルウェスト神司祭」

「おはようございます、タクトさん。朝食は召し上がりましたか?」

「はい、先ほど。ハウルエクセム卿がいらしているのですよね」


 テルウェスト神司祭に案内されて隣の小部屋……王都との越領門がある部屋に入った。

 ソファに腰掛けてすぐに、消音の魔道具が起動する。

 突然、ハウルエクセム卿が俺に勢いよく頭を下げた。

 テーブルにぶつかるかと思うほどで、吃驚してしまった……


「え、ど、どうなさったのですかっ?」

「礼を言わせてくださいっ! 本当に、ありがとう! タクト殿がお知らせくださりガイエスが色々と動いてくれたお陰で、ウァラクに入り込んでいた犯罪者共が一掃できそうです」

「い、一掃、ですか?」


 そんなに組織的に活動していた『犯罪グループ』だったのか?

 だが、どうやら『組織』というような繋がりのあるものではなく、あちこちに細かく被害……とも言えないものがあったというのが、全て同じようなやり方だと判明したということのようだ。


 ヴェロード村でふたりほど『実行犯』が捕らえられ、彼らから『色々と』確認できたらしい。

 ……目が笑っていないですよ、ハウルエクセム卿……『どう確認したか』はきっと聞かない方がいいんだろう。


「あいつらは、これをヘストレスティアで購入したから試した……と言ってましてね」


 ハウルエクセム卿が手にしていたのは、一冊の小冊子。

 ……樅樹紙もみきがみ製の綴り帳が元になっているのか?

 硬めの二重貼り合わせになった表紙は、通常販売されている樅樹紙のノートでは使われていない仕様だ。


 俺は手だけを伸ばし、渡されるのを待つ。

 だがすぐには俺に手渡さず、ハウルエクセム卿は顎を引いて少し俯く。


「拝見してもよろしいですか?」


 意を決したような声で、はい、と聞こえたので、手の位置は変えないまま綴り帳ノートを受け取る。

 やっぱり表紙だけを後から付け足した、樅樹紙製の無地ノートである。

 中に書かれていたのは……


「アーメルサス語? いや、それだけじゃない……ミューラ語と、えっと、これは……?」

「そちらは、ヘストール語です。今では殆ど使われていませんが、ヘストレスティアでは『皇国に知られたくないこと』のやりとりをする時に使われているようです。なかなかヘストール語の本や文書が見つからず、皇国では殆ど手に入りませんでしたので資料は少ないのです。ヘストール語では、約定書など書かれませんので。これで少しは、今まで手に入れた短い書き付けなども、読めるようになればいいのですけどね」


「これの中身、既に解っているんですか?」

「いいえ……お恥ずかしながら、ほんの少しの単語がわかる程度ですのでこれからです。アーメルサス語とミューラ語は、文章用と口語で結構違いがありましてね。我々が持っているのは文章用というか、契約用の『整えられた言葉』が多く、口語の俗な表現が……解りづらくて」


 だろうなー。

 すげー砕けたというか、スラングっぽい表現が使われている言葉みたいだもんなー。

 内容は、紛うことなき『詐欺マニュアル』である。

 三つの言語で同じことが書かれているので、ヘストレスティアに来た帰化民達か冒険者の一部にやらせるためのものだろう。


 きっとこれ、そこそこの値段で売りつけているんだろうな。

 表紙をハードカバーっぽくしたのも、箔付けのためかもしれない。


 文字の書き方にばらつきがあるから、複数人が関わって作られている。

 このノート自体にも文字にも全くと言っていいほど魔力が入れられてはおらず、手にしたであろう数名の魔力残滓が残っているだけだ。


 ……あれ、神眼さん……また新しいものが視えるようになってきてる?

 どうやら……このノート自体に『これまでどんな魔法が使われたか』……が、なんとなーーく解るぞ。

 あ、これ神眼だけじゃなくって、神具創錬の方の機能とのコラボだったりする?


 うわー、これってマリティエラさんが視えちゃった流脈分岐に関係してるのかなーー。

 そーだったー、身分証の確認、まるっきり忘れていたよーっ!

 やっばーーーー!

 おっと、俺のことは後だよ、後。


 魔法として感じるのは水系の魔法だが、これは紙を作る時のもの。

 加工系とか、綴じ部分に使われていると思われる耐性とかは、ノートの形にする時のものだ。

 すっごく弱ーーーーくしか感じ取れないから、時間が経つと完全に製作時の痕跡はなくなるんだろうな。


 そしてそれ以外には、魔法が使われているような『跡』は感じられない。

 ……ということは、この書かれた文字は『魔力のほぼ入っていない色墨』を使って『手書きで写し取ったもの』で間違いあるまい。


 それならば、作られたのはやはり皇国内ではなくて、他国で確定だな。

 いや、冊子自体は皇国内での作製であっても『魔法での複写や複製、印刷ができない者達』が作った写本。

 樅樹紙のノートにこんなことを書くだけでなく、書き写して広めているなんて、マジで許せねぇ。


「これ、俺が皇国語に直してもいいですか?」

「え、このような『悪口あっこう』とも言える言葉まで……お解りになるのか?」

「【文字魔法】は『全ての言葉が翻訳』ができるのですよ。途轍もなく不快で、腹立たしい下劣な言葉でも……うっかり、理解できてしまうのです。ここに書かれているのは……犯罪の手引きというか、指南書のようですからなるべく早急に、各領地でも把握していただいた方がいいでしょう」


 やっぱり、という風情で溜息を漏らすハウルエクセム卿の方なので、内容についてもおおよその見当はついていたのだろう。

 多分、捕らえた奴等が喋ったことからの推察もあっただろうけど。


「……申し訳ない」

「え?」

「本当は……あなたにこれをお見せしたくなかった。我がウァラクに、この素晴らしい樅樹紙を与えてくれたあなたに、こんな風に……悪事に使われてしまっていることなど……」


 優しいよね、ハウルエクセム卿も。

 この国の貴族達はきっとみんな優しくて、神々の言葉を裏切るなんてことは思いもよらないし、信仰を蔑ろにすることも理解できない人達だ。

 まぁ……神典では詐欺についての言及はないから、このノートの詐欺行為が神を裏切るってことにはならない。


 しかし神々は『同族を裏切る行為を厭う』のだ。

 この『同族』と『裏切る』という言葉は都合よく解釈されがちなのが問題なのだが。


 だけど俺は、おそらく『神様視点での範囲』であると考えている。

 だから『同族』は『人』という種族全てのことで、それを『裏切る』は『同族同士で交わした約束を反故にする』ってことだと思われる。


 きっと神々は『約束』や『契約』こそが、同族同士の信頼の証であって欲しい……と願っているのだろう。

 契約ごとや約束に関する魔法が多くて、それが悉く聖属性ってそーいう意味だと思うんだよね。


 だけど、反故にしたところで神々は罰さないし、咎めない。

 ただ、哀しむかのような『横線』が、薄く身分証に入るだけだ。


「ありがとうございます。そんなに大事にしてもらえて……樅樹紙をウァラクにお願いしてよかった。できあがったものが悪事に使われてしまったとしても、罪を犯す道具になったとしてもそれは『そのように用いた者』の性根が腐っているというだけで、製作者に責任なんてありませんよ! ハウルエクセム卿が俺を気遣ってくださるのは嬉しいですが、俺に詫びる必要などありません。それよりも、こんなことをしでかした馬鹿共を懲らしめてやって欲しいです」

「はい……! 必ず!」


 ハウルエクセム卿の力強い言葉に、もう大丈夫だな、と確信する。

 俺はその場で、ノートに書かれていることの皇国語訳を別のノートに書き付けてハウルエクセム卿に渡した。


 犯罪撲滅のお手伝いならば、教会輔祭としても皇国臣民としても当然のことですからねっ!

 ……馬を使った詐欺まであった……こいつら容赦しなくていいなと、俺の中で確定。


 そして、ヘストール語や、ミューラ、アーメルサスの『俗語』の資料としての『複製』の許可をもらい『他国の俗語スラング辞典』を作ることを約束させてもらった。

 これからも暗号みたいな位置づけで、悪事のやりとりに使われちゃ堪らんからな!


 だけど……なんで詐欺マニュアルに、ガウリエスタ語がなかったんだろうか?

 ガウリエスタは、口語や俗語が少ないとかかな?

 シュレミスさんにも聞いておこう。


 アーメルサス語の口語表現も、他にもあるかもしれないよな。

 アトネストさんは……生い立ちやアーメルサスでの生活環境を聞いていると、あまりアーメルサスの口語や俗語を使っての会話をしていないような気がするなー。

 だけど、冒険者だった時代だったら使っているか?

 よし、その辺のことも今度確認しておくかっ!

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