第711話 驚きの事実

 リシュレア婆ちゃんの手芸店は、西・薄紅通りにあって環状黄通りに近い。

 この辺りは工房は少ないが、店舗兼住居が多く西門通りに近いせいもあってそこそこ人通りも多い。

 テーレイアの様子は、特に人に怯えることもなく歩調も一定だ。

 そして、家畜医さん達のメモは、ずーっと止まらない。

 傍から見ると、ちょっと異様な集団かもしれない。


 ここまで順調だった配達予備試験、もうすぐ薄紅通り……というところでテーレイアの姿を見つけたお子様達が、遊んでいた緑地から飛び出してきた。


「馬ーー!」

「にもつはこんでるのっ?」

「でかーーい!」


 テーレイアは一瞬立ち止まりそうになったが、目の前に出ては来ないと解るとまたすぐに速度を戻して歩き始めた。

 子供達はテーレイアの邪魔にならないようにか、ちょっとだけ離れて横を小走りで付いてくる。

 だが、医師団は……子供達から溢れる元気いっぱいオーラに押されたのか、あっという間に子供達と反対側、テーレイアの陰に隠れるように移動する。

 こらこら、そういうの危険でしょ!


 西側だと馬はあまり来ないから珍しいのかもしれないが、併走する子供達が集まってきてしまった。

 ここら辺の子達は、エゼル達とは違う南西側の手習い所の子達。

 こっちの方は、ガルーレン神官とかアルフアス神官がよくいらしている。


 十六歳以上の子が多くて、その兄弟のちっちゃい子達を緑地で遊ばせていたりする。

 遊文館だと自分達も遊べるから、緑地より遊文館に行こうと言っているみたいだがちっこい子達はお外も大好きなので仕方ない。

 うーむ、テーレイアは全く動じていないというのに、家畜医さん達のヘタレっ振りはどうしたものか。


「みんなー、今、お馬さんはお仕事しているから、邪魔しちゃ駄目だよー」

「タクトさん、馬を買ったの?」

「いやいや、買ってはいないよ。でも、家畜医さん達に馬で荷運びを手伝ってもらって、馬の研究にも協力しているんだよ」

「タクトにーちゃん、馬の本も書くっ?」

「そうだねー、家畜医の先生たちが教えてくれたら、馬の図鑑も書けるかもなー。そしたら、遊文館に寄付しようかなー」


 子供達のキラキラ視線が医師団に向き、デルデロッシ医師の熱い視線が……俺に向く。

「皆さんの研究が纏まって、本にできたら……子供達向けにも図鑑作りをさせていただきたいですから、町中での人と馬との関わりについても研究を進めてくださいね?」

「わ、私達が書いた研究書から……子供達にも読んでもらえる本が、作れる、のですか?」

「ええ、ベリットスさん。絵が描ける方がいてくださったら、とても素晴らしいものになると思いますよ」


 突然、手綱を隣にいたベリットスさんに預けたデルデロッシ医師に、手を取られた。

 ぎゅっと両手で握られて、俺より背が低いせいか見上げるようにして視線を合わせる。


「そっ、そんなに、君が僕らの研究に期待しててくれたなんてっ、ごめんよっ、全部は……信じて、いなかったよ……っ!」

 うん、割とこじつけっぽかったからね。

 だけど、期待しているのは本当ですから、頑張って欲しいんですよ。


「馬の研究ってさ、今もう既にみんなが使えているんだから、必要ないって言われたことがあってさ、ぼ、僕らの研究って、誰にも必要とされていないんじゃないかって……」

「とんでもない! 馬は人に一番親しみがあり一緒に暮らしたり仕事をすることの多い動物なんですから、みんな知りたいと思っていますよ! なぁ?」


 子供達に振り返って尋ねるように呼びかけると、頷く子もいれば本が読みたいと言う子もいる。

 医師団の皆さん達も感激しているような表情だから、本当に自分達の研究が必要ないものかもしれないっていう不安な気持ちがあったのかもしれない。


 うーん、確かになー、皇国の人達って『足ることを知る』人達ではあるが、それに満足し切っちゃうと『研鑽を怠る』って方向に働く可能性もあるんだね、きっと。

 適度に求めて正しい知識を欲する……なかなか難しいことなのかもしれない。

 そっか、だから神様達が態々『勉強もしないとね?』って、言ってるんだろうなぁ。

『智を以て扉叩くべし』なんだよね、うん。


 そして何人かの年長組の子達から、デルデロッシ医師の書いた本も読んだ、と言われ更に皆さんの心に明かりが灯ったようだ。

 だがここで感動に包まれる医師団に、一石が投じられた。


「だけど、字が読みづらくて半分で止めちゃった」


 ……俺は無言で、無表情になってしまったデルデロッシ医師の背中を二度ほど軽くぽふぽふと叩く。

 許可をいただけましたら、俺が清書して差し上げますよ。

 それとも、綺麗な文字の練習もなさいますかな?



 そんなこんなで、若干のハプニングはありつつも、リシュレア婆ちゃんの手芸店前に到着ー。

 お店の中にお客さんがいたので、外で声をかけたら顔を出してくれたのはバルトノーイさん。


「あれあれ、タクトくん、今日は馬かい?」

「はい。実はこれからは、馬を使った『配達委託』をお願いしようと思っていまして。引き受けてもらえるかどうかの、試験みたいなものなのですよ」

「そうかい、確かに結構量があるもんなぁ……馬で運んでくれるなら、僕も安心だ」


 いつも重くないかとか、凄く気を遣ってくれていたんだよね、バルトノーイさんは。

 どうやら俺が細っこくて心配だといつも言っているらしい……いや、猟師組合の面々にも引けをとらない体格のバルトノーイさんに比べりゃビィクティアムさんも細い部類になるよ。

 そんなバルトノーイさんは、リシュレア婆ちゃんの娘ジーナさんの夫でレルアンさん、ソレッラさん、トリセアさん三姉妹のお父さんである。


 そして意外というか、飾り襟のデザイナーで服飾師なのだ。

 繊細で可愛らしい飾り襟が大評判で、メイリーンさんも愛用者のひとりなのである。

 ……今度、誕生日プレゼント用にデザインを教わろうと思っているのはまだ内緒だ。


「そうだ、タクトくん、義母かあさんがこの間のフレスカの入ったラグー、凄く美味しかったって言っていたよ。増やしてもらえるかい?」

「はい、畏まりました」


「それと……緑衣ってことは、医師さん達だろう? この方達が……配達?」

「家畜医の方達なんですよ。馬の状態を見ながら、冬場にも配達ができるかとか色々と検証してくださるのです」

「そうかぁ! 冬も来てくれたら、もの凄く助かるなぁ! 僕もジーナも、糸や襟を作るのに夢中になっちゃうと、義母さんの食事を別に作るのがとても大変で」


 今まではお料理上手のレルアンさんがいたからねぇ……トリセアさんの話だと、ソレッラさんもジーナさんもあまり料理が得意じゃなくて、三食に一食はバルトノーイさんが作っているって言ってたから。

 そう教えてくれたトリセアさんも料理はからっきしらしいので、レンドルクス工房ではうちの保存食を大量買いしてくれてるのだが。


 リシュレア婆ちゃんも一時期具合が悪かったんだけど、今ではまたすっかり元気になって、お店にも出て来るようになった。

 でも、食事までは昔通りという訳にはいかず、一日に一食は俺が作っているご高齢者用完全栄養メニューを召し上がってくれている。


 ちっちゃい子、若者世代、お父さんお母さん世代、その上の方々など……四世代くらいが一緒に暮らしていることも少なくない長寿な皆様だからね。

 全員に適切な食事を毎日用意するのは、至難の業なのだ。

 足の悪いイルレッテさんの所も、同じような理由だ。

 で、手始めにご高齢者向けのデリバリーを始めた訳でございますよ。


「さ、荷物を降ろしましょうか。デルデロッシさん、蓋を開けたら、その取っ手を手前に引いてください」

「これ、かなっ?」


 蓋の裏側にレールがあり、荷物を載せていた籠の中にセットしてあるプレートを滑らせるように取り出しやすい位置まで降ろすことができる。

 馬の背に載っている時は重さが必要だから発動していないが、取っ手を引っ張った時に放出魔力程度で動く軽量化魔法が付与されているので、片側だけに重さがかかるということがないから馬がよろけたりもしないし荷鞍のバランスも崩れない。

 そして荷物を降ろし、プレートを元に戻して蓋を閉めたら軽量化魔法は終了する。


「はい、確かに。いつもありがとうね、タクトくん。皆さんも」

 バルトノーイさんが受け取ってくれた時に、奥からひょっこりリシュレア婆ちゃんが顔を出した。

「あらあら、まぁ、珍しいねぇ。ゼルエーテの馬じゃないか」


 リシュレア婆ちゃんの何気ない一言に、家畜医の皆さんがどよめいた。

 ゼルエーテ、と言うのは、エルディエラ領の中央より少しだけ北側に位置する山間の村だそうだ。

 東市場で、その村で取れるっていうかぶが美味しかった記憶があるが、馬も育てていたのか。


「どっ、どーしてっ、ゼルエーテ……と?」

「こんなに綺麗な栗毛で、鼻先が白いのはエルディエラの馬の特徴ですしねぇ。その上、足首の辺りに毛があって少し足が太めなのは、山間部で馬を育てているゼルエーテくらいのものでしょう?」


 デルデロッシ医師の質問にスラスラと答えた婆ちゃんに驚きを隠せない医師団と俺。

「詳しいんだね、リシュレア婆ちゃん……」

 婆ちゃんはコロコロと笑って、昔はこの馬によく乗っていたからねぇ、と驚愕の事実が明かされた。


「二百年くらい前は、あたしだってよく行商にも仕入れにも出ていたからねぇ。シュリィイーレは馬がないと他領に行くのが大変な場所だったから、むかーしからいる商人は大抵、馬での行商の経験があるだろうよ。馬達には本当に世話になったから、今でも可愛くてねぇ」


 そう言いながら、婆ちゃんが首の辺りを撫でてやると、テーレイアがそりゃーもう嬉しそうにふんすふんすと鼻息を漏らす。

 そっかー、確かに昔のシュリィイーレの商人達は、他領に積極的に出て色々な商品開拓とかをしていたんだろうなぁ。

 今、東の大市場とか、南東市場にあらゆるものが入ってくるのも、そういった商人さん達の歴史があって努力が実ったものなのかもしれないね。


 この町に昔から店を構えている人達って、元々はそうやって馬達と一緒に皇国中を回っていたのかもね。

 うーん、それもなかなか浪漫だなぁ。

 今度、他領のお話を色々と伺おう。


 そして医師団の皆さんのこの感激の表情……引き受けてもらえそうだなー。

 じゃ、もうひとつの方も、併せてご提案できるように話を詰めておこうかなーっと。

 それにしても、流石リシュレア婆ちゃんだ……マダム・ベルローデアとはまた違うマスターなのかもしれない。


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