第702話 これからのこと

 縫い付けられていた刺繍の方陣は、予想以上に擦り切れてしまっていてまともには読めなかった。

 そんな端切れでいいのならあげるよ、とエーテナムさんは俺にその布……風呂敷になっていたジャケットの背中部分をそのまま渡してくれた。


 これは後で復元して『中和の方陣』を確認せねば!

 そして、図々しいのですが……と、おふたりにお願い事があると言うとふたりはなんでも言ってくれよ、と笑った。


「君の鑑定がガウムエスを救ってくれたのだからね! いくらお礼をしても、足りないくらいさ」

「ああ、そうとも。俺達にできることかい?」

「はい……おふたりにしかできないこと、なのですが……」


 俺がお願いしたのは『タルフ文字の一覧表』と『タルフ語で書かれた伝承』を書いてもらえないか、ということ。

「神典とか神話、伝承となんでもいいので覚えていらしたら、是非お願いしたくて」

 タルフと言うより『東の小大陸の伝承』があったらなーとは思うのだ。


 カシェナのように皇国に影響されていないから、毛色の違うものがありそうなんだよね。

 この前ビィクティアムさんから預かった本も参考にさせてもらいたいし、前にガイエスがキアマトの教会で手に入れた時代のものと、現代まで残って伝わっている歴史観の違いなんてものが解ったら凄いけど……まぁ、そこまでは難しいだろうな。


 今、ウァラクからの隠密さん達が、オルフェルエル諸島方面に潜伏しているのだとしたら……東の小大陸方面には、セラフィラントの隠密さんがいてもおかしくない。

 そういう人達が本とか文献を手に入れてくれる可能性もあるし、訳語辞典を作るのならばできるだけ多くの国の物が作りたいしね。

 ふたりはそんなことならばいくらでも、とふたつ返事で請け負ってくださったので、急がないので宜しく、とお伝えしておいた。


 さてさて、なーんかガイエスが戻ってくる気配もないし、俺もそろそろランチタイムの手伝いに戻りますねー!

 それではどうか、お大事にーー!

 あいつの分のケーキ、前室のテーブルの上に置いとくか。



 うちに帰ってランチの準備をしていたら、裏庭からひょっこりルエルスが顔を出した。

「タクト兄ちゃんっ、あのね、あのね、赤水瓜っていつできるの?」

 あれれ、リエリアさんは『まだ言わないでおく』って言ってたのに……


「お母さんに聞いたのか?」

「お母さんがなんにも言わないからだよっ! 作るならタクト兄ちゃんだろうって、バルにーが言ったの!」

『バルにー』とはバルテムスのことだ。


 この間のテルウェスト神司祭へのお祝いで、バルテムスが描いた人参の絵がカッコ良かったとかで、ルエルスはバルテムスを『兄貴』認定したようだ。

 ……なぜ、人参をチョイスしたのか、そしてその人参が格好いいとはどういう状態なのかが甚だ疑問ではあるのだが。


 おそらく、バルテムスとルエルスが子供には珍しく、人参が大好きだから……かもしれない。

 一番テンションが上がるメニューが、うちの付け合わせの人参という不思議なふたりなのだ。


「赤水瓜は今、西の耕作地区で作ってもらっているから、夏……そうだな、夜月よのつきくらいには、できあがるかな?」

「甘いっ?」

「どうかなぁ。楽しみにしていようよ」

「うんっ!」

「どんなお菓子を作ってくれるんだろうねー?」

「なんかね、しゃしゃしゃーって言ってた」

 ……なんじゃ、そりゃ。


 俺としては日本のスイカに近いとありがたいのだが、どのくらい実の赤い部分があるか解らないからなぁ。

 原種に近かったら可食部分が少なそうだけど、種の感じだと日本のものに近そうだと思ったんだよな。

 ルエルスもワクワク顔だし、俺も初めてだから楽しみだね、とふたりでにっこり。


「餡入り焼きになる?」

「それは難しいかな」

「ふぅーぅん……焼かない?」

「焼かないなぁ、きっと。『しゃしゃしゃー』だし」

「そっか、しゃしゃしゃーは、焼かないのかっ! 解った!」

 何がだ。


 お子様との会話は楽しいが、半分くらい謎の表現が含まれててニュアンスが難しい。

 ルエルスは某かの理解を得たようで、笑顔でおうちに戻っていった。

 今度リエリアさんに『しゃしゃしゃー』の謎を聞いてみよう。



 ランチタイムが終わってスイーツタイムが始まる頃、珍しくオーデルトが顔を出した。

 どうやら、タク・アールトがいつ出されるかを聞きたかったようだ。

「特に予定は決めていないけど……どうして?」

「うん、そのぉ、タク・アールトって、遊文館では売ってないだろ? だから、食べてみたくて」


 そうだったなー。

 一度だけケーキを何種か入れたんだけど、大人達が食べ切っちゃって子供達から食べられなかったって言われたんだよな。

 だから、遊文館には大人受けしそうなメニューは置かないことにしたんだよね。


「よし、わかった。新しいカカオがもうすぐ入ってくるから、作る時は教えるよ! 遊文館に会いに行くから、ちょっとだけ待っててくれ」

 ぱあっと笑顔になったのは、オーデルトだけでなく食堂にいたお客さん達もだった。

 今年の新しいカカオでのタク・アールト、楽しみにしててもらえるなら嬉しいね。


 二、三日後には届く予定だから、ガウムエスさん達にも食べてもらえるかもなー。

 うん、やっぱ、美味しいお菓子はテンション上がるよなっ!

 スイーツは……前日辺りには予告を出しておいた方がいいかなぁ?

 店内と自販機の両方同日に入れれば、列になったりはしないよな。


「あ、そ、それと……俺、働く工房……決まったんだ」

 もじもじと言いだしたオーデルトに、思いっきりお祝いを言う。

「そうか! おめでとうっ!」

「色墨、作る所なんだけど、絵は……あんまり関係ないんだ」


 んんん?

 色墨?


「だけど、遊文館とも近いし、その工房主の人がさ、なんか落ち着く感じで話しやすくって……」

「……もしかして、ヴァンテアンさん?」

「えっ、アニキの知り合いの人っ?」


 その『アニキ呼び』は止めて欲しいと何度も言ったのだが……まぁ、今日のところは突っ込まずにいてやろう。


「ああ。今度、その工房で作る色墨が、千年筆に使えるかを試すんだ。そうかぁ、ヴァンテアンさんなら安心だな」

 多分、元司祭様だったら聖魔法をお持ちのはずだ。

 だとしたら、オーデルト達大人が苦手な子供達には、大人から感じるプレッシャーや嫌悪感も少ないだろうし話しやすいと思う。


「絵は関係ないんだけどさ、絵を描く道具も一緒に売るんだって言ってくれたから……そこでなら、手伝えるかもって思ったんだ」

「きっとできるよ! それに、売るものがどんな使い勝手なのか、絵を描いた時にどんな感じになるかっていうのを、オーデルトが試せばお客さんに教えてあげられるかもな」

「……! うん、やってみるよっ!」


 絵を描くだけだと、この町では稼ぎにはなりにくい。

 だけど、趣味で絵を描く人が利用する店で働いていて様々な関わりが増えていけば、絵も沢山描きたくなるだろうし、もっともっと上達するだろう。

 そうしたら、絵を描くことを生業にできる日が来るかもしれない。

 何処からでもいい、まずは初めの一歩、そして足がかりを作っていっていつか夢に辿り着けばいいんだもんな。


 ヴァンテアンさんが、この町に来てくれてよかったなぁ。

 ……聖魔法持ちの人達のいる『勤め先候補』が幾つかあったら……遊文館の夜の子供達の今後の受け皿が用意できる……かな?


 この辺はテルウェスト神司祭とも相談したいなぁ。

 民間の聖魔法所持者は非公開だから、テルウェスト神司祭かビィクティアムさん、それと役所の所長さんだけなんだよな、知ってるの。


 いや、司祭様達は……もう考えていてくれているかもね、子供達の未来のことなんだから。

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