第669話 育成水

 本日はお日柄もよろしく、久し振りの南側外壁の外でございます。

 あの、育成水の泉から流れ出ている川までやって参りました。

 祠を修復したことでイイ感じの水量になっているためか、上流では今までただの泥濘ぬかるみだった場所が小さい湖になっているのです。


 あの粘菌くんに育成水を段階的にあげたらどうなるかの実験がしたくて、汲みに来ているという訳なのだ。

 汲み置きができないからねー。


 川の下流も大して高さのない丘の上の泉が源泉だから、大きな流れではないけれど育成水という名にふさわしくちっこい魚やら沢蟹みたいなものもいる様子。

 そしてその周りには蒲が生えていたりするのですが、なんとなんと、更に素敵なものも発見してしまったのですよ!

 群生とは言えないが『亜麻』が少しばかり生えているのを見つけてしまったのだ!


 亜麻は茎の繊維はリネン製品となり、種子からは亜麻仁油が採れる。

 食用は勿論、ワニスとして木工製品や革製品の仕上げに使ってもいい素敵な油なのだ!


 種子自体は皇国でも薬として流通していたが、さほど多くはないせいかリネンとしての利用も亜麻仁油としての利用もされていなかった。

 確か、ウァラクの一部で作られているとサラレアの蔵書で見かけたが、結構古いものだったから今でも作っているかは疑問だ。

 今、確かウァラクで有名なのは苧麻の方の布だったはずだ。


 リネンは大麻由来の繊維であるヘンプと違い、柔らかくて通気性、吸湿性に優れている。

 細くて丈夫なその糸は、大航海時代の帆布としても有名だ。

 勿論この繊維が取り出せるのは嬉しいのだが、俺としては亜麻仁油が超嬉しい!


 シュリィイーレってどうしてか植物油が少ないからさー、上手く作れたら米油と亜麻仁油でうちのお食事は更に健康路線のラインナップが充実するよねっ!

 やっぱり、動物性油脂の方が魔力を多くキープできるから輸送での旨味減少が少ないからか?

 だけどなーここにあるだけじゃ、とてもじゃないが布用としても油用としても全然足りないよな。

 ここで育つかどうかもまだ解らないし、シュリィイーレの町中でも難し……


 ……あ、いけね。

 本来の目的を見失ってしまった。

 亜麻の件は後、後。


 取り出したのは、硝子製のネジ蓋付きシャーレ。

 中には不殺の石が入っていて、粘菌くんが休眠中。

 石にぽとりと育成水を一滴落として、神眼オン。


 ふぅむ……特に変化はなし、か。

 粘菌くんそのものより、石の色合いが変化したぞ。

 清浄水だと漂白したみたいになってぽろぽろになっちゃった迷宮内の石が、育成水だとじんわりと水分を含んだ粘土質っぽいものになった。


 だが、微弱魔毒は消えないから……あ、粘土っぽくなった部分から、粘菌くんが逃げるように移動する!

 あれれ、寄って行く粘菌くんもいるぞ?

 個体差か?

 それとも……違うものなのか?


 う、しまった、目が疲れる。

 瞬き忘れちゃうよね、こういうのって。


 粘土質の所に寄っていったのは粘菌の中に全く魔効素がなく、魔瘴素だけを内包していた粘菌だった。

 だが、少しでも魔効素を持っていると育成水のかかった部分には近寄らず離れた部分で休眠に入るみたいだ。

 育成水を直接かけた粘菌くんが……眠り続けていて周りに左右されない……と言うことは、育成水を取り込まないように防御しているってことかな?


 ううむ、この辺はまだ色々継続的な検証が必要だなぁ。

 他の迷宮とか遺棄地に、この粘菌くんがいるかどうかってのもポイントだしね。

 じっくりと検証していこう。


 それにしても育成水……町の中で作れたらいいんだけど、この石板の複製を作ってもここ以外の水では普通の清浄水になっただけだった。

 いや、それも凄いんだけどね。

 この泉には、特別な何かがあるんだろうな……


 あ、そーだ。

 汲んでから一刻間にじかん経てば、元の水に戻る訳だからシュリィイーレの水道から供給されている水との違いも調べられるな。

 水に違いがなかったら、この祠の中の石板に秘密があるってことだろう。

 俺の複製だと、石板の中に魔法が隠されていたとしてそれまでは複製できないからね。


 方陣なら呪文じゅぶんを読めばどんな魔法を再現しようとしているのかが解るけど、付与されたり『封』されている魔法だと知る術がないんだよな……

 それが解ったら、ミニ石板浄化システムとか三角錐の境域結界システムも、新規構築できるんじゃないかと思うんだけど。


 皇国内の老朽化してしまったシステムを見つけられるのであれば、ある程度の魔法が使える人達なら修復はできると思う。

 だけどそのシステム自体を理解できていたら、より完璧な修復や補強ができるだろう。


 そしてかなり先の、遠い将来になるかもしれないけれど、遺棄地になってしまった場所にも応用できるのではないだろうか。


 多分、皇国の魔法だけでは神約文字を使ったとしても、西側の遺棄地を完全に復活再生して別の国を建国するとか、皇国の大地にするなんてことはできないだろう。

 そもそも『結ばれている文字』が違うのだし、かつてその文字で『大地と誓約をした人々』の血統はもう何処にもないのだ。


 その大地に樹海もりが甦り、その時に大地に降り立った人々が神々と新たに『契約』を結び、その一番最初の『誓約をした人々』の血統を守り続けていくことができたら……そこに新たに『国』ができるんだと思う。


 その時に境界の作り方、大地の清浄化の方法、契約と誓約の儀式の執り行い方……そういう『原点の式』を神々にもう一度お伺いするためには、ただ無闇に『教えてください』『助けてください』って言うだけじゃダメなんだ。

 予想して推測と推理を破綻なく構築して、神約文字を使って『これでやったらできますか?』ってお伺いを立てる方法でなければ、神々は応えてはくれないだろう。


『自らの智を以て扉叩くべし』


 智を示して叩かなければ、全ての扉は開かないってことだ。

 仮説を書き記し、奏上して初めて回答が得られるって意味もありそうだよな。

 でも、合ってるか間違っているかは教えてくれるんだから、やっぱりこの世界の神々は優しいよなぁ。

 神々と文通ってできるのだろうか……いや、やり始めたら直接『これ、やって』が来そうだから、やめておこうかな。


 神々はもしかしたら、かつての『マウヤーエートという名前だった国』に甦って欲しいのではなく、新たに心を入れ替えた人々に『新しい国』として大地を甦らせて欲しいんじゃないかって感じるよね。

 それとも、今、全く大地と結ばれていないヘストレスティアを、なんとか加護の中に招きたいと思っていたりするのかな。


 申し訳ないが俺はそこまでの大事おおごとには付き合う気はないけど、解明や検証をやりたいと思っているってのは……神々の手の内、なんだろうね。

 ……なーんか、俺が皇国に来てから言ったことや、やったことも全て『予定調和』かもしれないって思うし。


 ま、それでも俺自身が今楽しいから、構わないけどねー。

 未来に希望を残す作業……ってのも、なんかカッコいいんじゃないか? なんてね。

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