第665話 故郷の本

 おかわりで用意した苺増量の特別バージョンルリィをすっきりとした笑顔で食べきって、ヒメリアさんはすっかり肩の荷が降り落ち着いたようだった。

 そうだ、ヒメリアさんにもお願いできないかな?

 マウヤーエートの最も南方になるディルムトリエンの伝承が解れば、更に皇国の英傑・扶翼のものでない物語も絞り込めそうだぞ。


「ヒメリアさん、ちょっと聞いてもいいかな」

「はい?」


 俺はもし覚えていたらでいいんだけど、と御伽噺や伝承話のようなものでディルムトリエン語で書けるものがあるならばお願いしたい、と頼んでみた。

 するとヒメリアさんは少しだけ考えるような感じで小首を傾げて、ふたつくらいしか知らないのですがと言うので、それだけでも是非とお願いした。


「王宮の『図書の部屋』でずっと色々な本を読んでいたって言ってたよね。ディルムトリエンの神典とか神話なんかもあったの?」

 ヒメリアさんはなんとなく恥ずかしげに、ディルムトリエンでは神典と神話は全くなくて自分の母親のために用意された一冊ずつだけだったという。

 ……用意された?

 なのに、母親の手元にはなくて、図書室に置きっぱなしだったということ?


「ええ……そうなのです。なんで、母の手元に置かずに図書の部屋にあったのかは解りませんわ。母は一度も図書の部屋になど、行ったことはなかったようですし」

「その本は?」

「母が亡くなった時に、一緒に焼かれてしまいました。ただ……皇国語の本でしたが、正典とは大きく違う箇所が幾つかございましたので……本当に皇国のものだったかどうか、今となってはよく解らないのです。わたくしのおりました図書の部屋には『ディルムトリエン語の神典や神話』がございませんでしたから」


 どうやら、ディルムトリエンでは子供どころか大人でさえも神典や神話を読んだことのある者の方が少ないと言う。

 ディルムトリエンは国の根幹として神典や神話を据えてはおらず、王が完全に独裁体制を敷いていた『専制君主制』だったのだろうか。


 しかもかなり激しい男尊女卑で、この世界の理を無視した蛮行のせいで出生率も著しく下がっていたってのは、ビィクティアムさんからも聞いたことがある。

 ならば、余計にその国に伝わっている伝承は気になるな。

 そういう、性差別のきっかけになった根源かもしれないからね


「その神典と神話で、わたくしが覚えている部分……でございますか」

「うん、暇な時に思い出したら、でいいから。それも頼んでいいかな?」

「勿論でございます! 嬉しいです、タクト様の学術研究にご協力できるなんて!」


 いや、そんなご大層なものではないのだけれどね……

 半分はただの興味だし、もう半分はデータ集めが楽しいコレクター気質のなせる技というかなんというか。


 だけど『神を捨てた国』に伝わっているものがどうなっているかで、アーメルサス神典の創作具合との違いなんかも解ったら『アーメルサス人の別大陸からの移民説』も信憑性が出てきそうなんだよね。

 ヒメリアさんからの話と、あの手紙の乳母さんのことを考慮してもディルムトリエンの識字率はかなり低そうだから、ヒメリアさんから提供されるものは結構重要になりそうだ。


 そして、ヒメリアさんは心が軽くなったからか、先ほどからは信じられないくらい軽やかな足取りで、東市場の方へと飛ぶように歩いて行った。

 ウァラクでも衛兵隊は忙しいだろうから、気長に待つことにしよう。



 応接室に戻ろうとした時に突然、ふつっ、とガイエスとの通信が繋がった音がした。

 まずい、工房側だと音の遮断ができない。

 慌ててちょっと待っててくれと言い、部屋へと転移する。


「おう、ごめんな。もう平気」

〈すまん、いつも。どうしても……頼みたいことがあって〉


 おや、何かあったかな、と思ったらどうやら既に遺棄地ミューラに行っているようだ。

 相変わらず、行動が素早い……は?

 目の前の壁一面に、本がある?

 え、全部送ってくれるの?


 何それっ、とんでもねーお宝じゃねーかっ!

 どうせ誰もいないんだから、このままだと埋もれちゃうんだよな!

 よしよし、根こそぎ送ってくれてOKだぜっ!


「なるほど、ちょっと多そうだな。一番大きい袋、何枚ある?」

〈……十二枚、あった〉


 それじゃ、全然足りそうもないなー。

 大体の本棚の大きさと本の数を聞くと、相当量がありそうだ。

 俺の部屋に設置してあるガイエスからの『転送の方陣』で受け取ると、俺が埋もれてしまうかもしれない。

 よし、ちょくで地下の蔵書一時保管部屋に入れてもらっちゃおう!


 小さい『転送の方陣』だと定位置設置型でないから魔力の消費が大きいので、魔力の保持力を上げた金属板で、なるべく大きい物を作る。

 俺の魔力をガッツリ入れて、ガイエスには起動分だけ入れてもらうようにしよう。

 方陣が大きい方が、本の量が多かったり大きめのものだったとしても気にせずに送れるからな。


 折りたたみ式にしても開いた時に固定されれば方陣は問題なく使えるし、しまう時に折りたたんでくれたら【収納魔法】の中に入れてても変に発動したりしないから安全だ。

 という訳で金属板に描いた『折りたたみ式方陣鋼』を送り、簡単に説明をした。

 二つ折りになっているその金属板を開くと、床に置いても立てても使える。


〈……これに乗ったら、俺まで転送されそうだな……〉

「ははは、生きているものは送れないよ。バラバラになっちゃいそうなものだけ、袋に入れて送ってくれ。後は、本とか紙束を全部方陣に放り込んでくれていい。うちの地下書庫に直接入るようにしたから!」


 そして俺も秘密書庫へ転移して、送られて来るものを待ち構える。

 続々と本や袋に入れられた紙束が届き、簡単に分類しながら積み上げていく。

 すげーなぁ!

 おー、全部マイウリア語……いや、タルフ語もありそうだな?

 あれれ、皇国語のものも結構あるぞ。


〈そのうち……何が書いてあったか教えてくれ〉

 勿論だよ、ガイエスくん!

「おう、全部訳すのは多分俺だし、最終的にはビィクティアムさんか……司書書院管理監察省院とかの扱いになると思うからさ」


 どうやら、政治的なことも書かれているっぽいし、神典や神話の解釈についてもミューラ……いや、マイウリア独特のものがあるみたいだ。

 この辺をどう受け入れるか考えていただくのは、お貴族様達にお任せしたいところだな。

『これをやったら神々に見捨てられちゃう悪い例』として、研究していただきたいものだ。


 ……これって、皇国語の方の所蔵は司書書院管理監察省院?

 他国語のものは……魔法法制省院とか、教会でも精査してから、かな。

 各方面にご面倒をかけてしまいそうだなぁ……よろしくお願いいたしまーす!


「あ、これからも本とか訳すものとかは、この折りたたみ方陣鋼使って送ってくれていいからな。だけど、本や紙以外は、いつもので送ってくれ」

〈解った。後で植物と石も送っておく〉

「そっちはいつもの『転送の方陣』で頼むなっ! 楽しみだなーーっ!」


 努めて明るく、なんてことないんだと言うような口調を心掛けつつ、俺はガイエスに尋ねる。


「で? けじめみたいなものを付けに行ったのか、そんなところまで」

 言い淀むかと思ったが、意外とあっさり答えが返ってきた。

〈けじめというか……俺の中での終わらせ方が、まだ解っていなくて……かな〉


 どうやら自分が生まれ育った場所には、まだ行っていないみたいだ。

 今居る場所がマイウリアだと解ってはいても、見知った場所ではないからまださほどショックを受けていないだけだろう。

 きっと……マハルを見たら、自分が思っているより衝撃を受けてしまうもしれない。


 あちらの世界で災害で壊滅的になった町を見て、以前に一度観光で行っただけだった場所にも拘わらず凄くショックだったことを思い出した。

 自分が歩いたことのある場所が瓦礫に埋もれ、二度とあの景色も空気感も戻らないのだと知った時には、思っていた以上に心が削り取られるような感覚を味わったのを覚えている。

 俺程度の通りすがりの旅行者でさえ、そんな気持ちになるのだから暮らしていた場所であったのならどれほどの痛みかなんて想像もできない。


 だから……ちょっとだけ、楽しみだと思えることも用意しておこう。

 手の施しようもない町や景色を見た後に、少しだけ浮上するきっかけになったら、いいんだけどな。


「気持ちが持ち直す菓子を送ってやるから、終わったら食べろよ!」

〈……ああ〉

 そして沢山の資料ありがとうな、と言ってとにかく明るい口調のまま通信を切った。


 ペルウーテの時とは違う意味で落ち込みそうだなぁ、あいつ。

 よしっ、カラフルで可愛くて楽しそうな……駄菓子の詰め合わせみたいなやつ、送ってやろう!


 だけど……この本の山、いつもならワクワクしちゃってすぐにでも訳したくなるのに……あんまり気が進まない……感じ?

 んー……この感覚は、あの『タルフの医療本』の時とちょっと似ているなぁ。

 ムカつくことが書いてあるのかなぁ。



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『緑炎の方陣魔剣士・続』肆第9話とリンクしています。

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