第662話 一時預かり準備

 慌ただしい春の始まりから何日かが経ち、新月しんつきも下旬に入った。

 繊月せんつき一日からの教会改修工事に伴う準備が着々と進められ、多くの資材が運び込まれ始めている。

 各ご領地の領主や次官達から、祝いという名目での素材や飾り細工の寄付が届いているのだ。


 碧の森西側の木々や錆山で採れる石だけではなく、他領からの素材も使用するのは『第二位聖教会』という特別な立場故だろう。

 これは王都の聖教会のリフォーム時でも行われるものだから、シュリィイーレが特別ということではないようだ。


 だが、各領地出身の貴系傍流が多いこの町では、やはり自分達の本家門がどれほどのものを送り聖教会に使われたか、なんてことを自慢する人達も居るのだと食事に来ていた衛兵隊員達は若干呆れつつ教えてくれた。


 こんな変なところでも『格』とやらを自分達で勝手にランキングして、楽しんでいる方々もいるということだ。

 ま、マウント合戦などにならず個人的に楽しむだけとか、心の中だけで思っているだけなら迷惑にはならないからいいんだけどね。


 この町の方々は『町の中にいる他の家門』との対抗心ということではなく、ここに居ない『他領の同家門傍流』より『シュリィイーレの傍流が上』とか思いたいらしい。

 ……勝ち負けの結果が、全く判らない対抗心である。

 本当に、ただのエンタメ的なものなのかもしれない。


 そして、そんな方々はこの聖教会への支援を決して惜しまないだろう。

 今頃は町中の人達が、テルウェスト神司祭とレイエルス神司祭に祝いの『名石板めいせきいた』を渡しているはずだ。


 名石板というのは、日本だとよく寺社の祭事や修繕の時に寄進などをした人達の名前が書かれて掲げられる物と似ている。

 丁度、蒲鉾板くらいの大きさだが薄目の粘板岩スレートのような石に、名前を書いて小さい加護神の貴石を埋め込み魔力を入れて奉納する。


 五歳以上だとひとり一枚、五歳未満だと母親か父親と連名で同じ板に名前を書く。

 これは教会の壁にずらりと並べられたり、天井の一部分にも貼られてこの教会が町の人達から支持されている証になる物だ。


 昇位で一般の町教会から聖教会へと変わることもあり、教会の大幅改築で新しくできあがった教会に掲げられるということだ。

 聖教会に自分達の名前が掲げられるなんて、他の町ではあり得ないことなのだからシュリィイーレ在籍者のほぼ全ての人が名石板を預けるだろう。


 自分達の名前が在籍領の教会に掲げられるというだけでも嬉しいのに、その教会が第二位聖教会なのだ。

 名石板は教会の修繕の時くらいしか受け付けないから、このチャンスを逃すまいと思うだろう。

 そして新しい教会ができあがるのを、きっと今から町中で楽しみにしているに違いない。


 名前を掲げて欲しくて、シュリィイーレ在籍になる人達も出るかもしれないね。

 だけど、在籍地を変更しちゃうと移動制限がかかる人はどうかなぁ。

 名石板を掲げた後でもう一度在籍地を変えちゃうと、当然だが板は外されちゃうんだよねー。


 勿論、うちの家族もちゃーんと名石板を作製済みだ。

 俺は……掲げてもらえるかどうか解らないんだが。

 なんせ『輔祭』は、思いっきり教会関係者である。

 聖魔法の有無を公開しない民間輔祭は、教会階位である『輔祭』ということも公開されない。


 でも純粋な民間人とも違うから、特別枠なんて扱いになってとんでもない場所に飾られちゃう可能性はある。

 だからカモフラージュ的に、みんなと同じ壁に貼ってくれないかなーとは思っているのだがどうなることやら。

 


 本日は遊文館に行って、屋上に作る主神像設置予定場所周囲の整備である。

 星空の固定写真を撮って解ったことは、やはり残念ながら錆山がそびえ立っていることもあって地軸の星『極星』はシュリィイーレからは見られない。

 なので『多分この辺りじゃね?』を推測し主神像の錫杖の角度を考慮したところ、もう少しだけ台座を低くした方がいいということが解ったのだ。


 そしてブラインドで像を見えなくするというよりは、昼間は別のものに見えるようにカモフラージュにしようかと思った。

 で、何にしようか……と考えたところ、主神の花である『紫朴樹むらさきほおじゅ』に見えるようにしようと思った次第。

 紫朴樹とは、ホオノキである。


 勿論、自動翻訳さん的には『似』付きなので、俺が元々知っていた日本のものと特徴が似ているが違う部分もある……ということだ。

 目に見える違いは樹皮の色と、花の雌しべの色が『紫色』だということだろう。


 こちらでは『朴樹ほおじゅ』がこの種類の木全般を指すものだけど、紫のものだけは特別に名前があるということのようだ。

 薬効があるのも、紫のものの樹皮だけみたいだしなぁ。


 昼間の主神像の姿はこの紫朴樹むらさきほおじゅに見えて、夜になったら主神の像に戻る感じだ。

 丁度、朴樹の花の咲く時期にあたるし、輪状に広がる葉の上に咲くマグノリアのような白い花は素敵だと思うんだ。


 ……この朴樹の特徴も、神話の五巻を説明するのに悪くない喩えになると思うんだけど……教会の方々は、あまり植物の生態などは気になさっていないんだろうと思われる。

 アトネストさんの誕生日に説明したケヤキのことに、レイエルス神司祭が引っかかってくれていたら……今頃は、聖神司祭様方にアドバイスを入れてくれているかもしれない。


 神話の五巻が未だに『正式に発表』されていないのは、おそらく主神と宗神の『雌雄同体』を上手いこと説明できないからだ。

 だけど、これは植物に置き換えてしまえば意外と簡単に説明がつく。


 花だって雌雄同花があるのだし、雄と雌がひとつの中に存在しているということは植物ならばさほど特異なことでもない。

 多分、神々の姿を人と同じにしているから受け入れ難いと思ってしまうだけなのだ。


 主神の花である紫朴樹むらさきほおじゅ雌雄同株しゆうどうしゅであり、槻は雌雄同株でも雄花と雌花に分かれているが、朴樹はひとつの花で日にちによって優位な性別が替わる。


 まず一日目に雌しべが成熟して二日目に雌しべが閉じてから雄しべが成熟する両生花ってやつだ。

 同花での受粉を避けるためと思われるこのシステムが、昼と夜で性別が違う主神や宗神を説明するのにもってこいの植物なのだ。

 この特徴を当て嵌めて説明していけば、解りやすいと思うんだよね。


 残念ながら紫朴樹はシュリィイーレでの自生を確認できてないけれど、朴樹自体は皇国全土でポピュラーな木だし木工細工にはよく使われるものだから親しみもある。

 セインさんの退位がまだ正式に発表になっていないのは、きっと神典五巻が発表になっていないからっていうのもあるからドミナティア卿もやきもきしていそうだよ。


 さてさて、台座を低くしたのはいいのだが……きっと夜の子供達は、アトネストさんと一緒にここに来るだろう。

 そうなったら、ここで本を読むということも考えられる。

 だけど、ここで眠っちゃうのもなぁ……うーむ。

 温度調節とかはしているから風邪を引いたりはしないけど、ここで毛布とか広げられちゃうのもちょっとまずい気がするんだよな。


 広場的に作っておくだけにしようかな。

 昼間だとしても芝生の上での朗読会ってのも、いいものかもしれない。

 この場所は敢えて音声遮断せず、屋上に来た子達がアトネストさんの朗読を近くのベンチだったら聞こえるようにしておこう。

 よし、二、三回やってもらった後に、あった方がいいものなんかをアトネストさんに聞けばいいかな。


 主神像が新しい教会に戻った後に、この場所には本当の紫朴樹むらさきほおじゅが植えたいんだけどなぁ。

 どこかに苗とか……木がないかなぁ。

 あるとしたら西の森の奥か、南の泉の近く辺りかなぁ。


 いや、決して朴葉焼きが食べたいとか、そういうことではないのだ。

 そんなことは……三割くらいしか、思っていないぞ。

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