第652話 新しい思いつき
春祭りが終わっても、シュリィイーレの活気のあるシーズンは続く。
ランチタイム終わり頃にやってきて『ちょっと疲れた……』と、イノブタカツ定食を食べるガイエス。
どうやら春祭りで思いっきり色々と買い込んだせいで、懐具合が淋しくなったのか魔法師組合の口座に入っている分を引き出しに行った時にラドーレクさんに方陣札を依頼されたらしい。
お客さん達の話を総合すると、錆山入山はみんなが考えていたより大幅に遅れるらしく、今年はなんと
いつまでも雪が麓付近まで残っていたかと思ったら、急激に温かくなったことで小さい表層雪崩が多くなっていて暫くは危険なのだという。
これには採掘関係者たちは、頭を抱えてしまっているようだ。
いつもの年よりかなり楽だったとはいえ、やっぱりそろそろ魔石にできる質のいい石が不足気味になっているからだ。
これは無茶な採掘が増えそうだ、と怪我人増加を懸念した医師組合では方陣札の携帯を義務化して入山するようにと採掘師組合と話し合って決めたとかで、魔法師組合に回復、洗浄、浄化、解毒、治癒、清浄の方陣札の大量発注が入っているという。
なので、ここで大活躍はただいまシュリィイーレに逗留中の方陣魔法師、ガイエスくん、ということなのである。
ラドーレクさんが、心の中で踊っているかのように喜ぶ姿が目に浮かぶ。
……どうして俺に話が来ないのかといえば……一等位魔法師の方陣札というのは、二等位に比べてかなりお高く設定されてしまっていて割引きができないからだ。
こればっかりは仕方のないことだが、それでも絶対に一等位の札がいいと駄々を捏ねる人もいるので俺もそれなりに協力している。
そして、うちの物販では微弱回復付き絆創膏も結構売れて、更にエトーデルさんのゴム底靴や滑り止め靴底を買い求める人が増えた。
春のベルデラック工房新製品、額燈火も『両手が使えて前がよく見える燈火』ということで、早くも入山準備の方々に人気になってきている。
「この町って、全然二等位がいないんだってな」
「ああー……今は、いないかもなぁ。成人してすぐの三等位はいるようだけど、他は殆ど一等位らしいから」
三等位の描く方陣札は、残念ながらまだまだ方陣に対する知識が不足している人達が多くて効果がイマイチのものが多いと聞く。
だが、一等位になると高価だから、そんじょそこらの怪我やちょっとした毒虫に刺されたくらいだと勿体なくて使えないと思ってしまうようで、かえって悪化させる人がいるのだとか。
それもあって微弱回復の絆創膏の増産をいたしましたから、皆さん是非ともご利用ください。
俺もすぐに一等位取っちゃったから、俺と同世代が少ない今は二等位がいないのも仕方ないのかもしれない。
でも、適性年齢前の人達は書き方教室に来てくれている人が多いから、この夏頃にはぐんと方陣のレベルが上がると思うけどね。
「この町の方陣札は、羊皮紙と三椏紙があるんだな。魔法の効きに違いが出るのか?」
ガイエスが不思議そうに尋ねてきた。
「三椏紙は、セラフィラント製の物だと青属性、緑属性の魔法が効きやすくなる。シュリィイーレ製だと聖属性、白属性、それと赤属性の一部だな。白属性は魔法によっては、セラフィラント製でも悪くはないみたいだ。黄属性は、魔法によってかなりばらつきがありそうだけどまだ検証段階」
まだ魔法に関してだけで、技能系の方陣についても検証中だ。
「……どれくらいの差があるんだ?」
「相性のいい属性の方陣は、使える回数が増えたり魔力の保持力が高くなるから使用時間が伸びたりするよ。まぁ、方陣自体の質にもよるから一概には言えないけど」
この差は、填料の違いで起こるものだ。
ウァラク製樅樹紙の填料は水酸化アルミなので保持力という点では高いし効果も上がるが、千年筆で書かなければ羊皮紙とさほど変わらない。
だが、牡蠣や帆立の貝殻生石灰を使っているセラフィラント製三椏紙と、二酸化チタン入りのシュリィイーレ製三椏紙は、普通の色墨で描く従来の筆記方法でも明らかに効果に差が出るのだ。
これには三椏も一役買っていると思われるが、樅樹紙の填料を変更してももしかしたら差が出るかもしれない。
それで今、ウァラクで色々な填料を入れたり、染料で色を入れた物でも差があるか実験していただいている。
俺の手から離れた物は、各地で色々と検証され試行され進化していくのだ。
なんだかとても誇らしい。
ランチからスイーツタイムに移行して、今日は久々タク・アールトのご提供です。
ショコラのケーキはどれもこれも不動の人気ではあるが、やはりトップはこのケーキである。
タク・アールトの時は、紅茶と珈琲を選んでいただけるのだ。
珈琲も随分とうちのお客さん達は好きになってくれているから、苦めのブラック珈琲が飲まれるようになるのも時間の問題かもしれない。
お子様のことも考えてちゃんと俺の魔法でカフェインレスにしてあるから、一緒に飲めるよー。
俺は、カフェインバリバリが好きだけどな!
「ガイエス、珈琲と紅茶、どっちがいい?」
「珈琲。パンナ追加で」
「はいはーい」
ガイエスは、ホイップクリーム付きの甘めが好きなんだなー。
うちのはセラフィラントの珈琲より苦めに作ってあるから、慣れていないと飲みにくい。
自販機のはお子様達も飲むからミルクたっぷり甘めに作ってあるんだけど、食堂で提供する牛乳はピッチャーに入れて提供なので、お好みで加減してもらえる。
生クリームは……『生』も『クリーム』もイマイチちゃんと理解されない変換になっちゃうし『乳脂』だとちょいニュアンスが微妙ってことで、珈琲用の生クリームに限り『フレスカ』と呼ぶことにした。
珈琲に混ざりやすいように、均質化したものの名前ってことだね。
「タクトくーん、僕はフレスカー」
「はいはーい」
そして、お好みで牛乳からフレスカにチェンジもできるし、ホイップクリームであるパンナの追加もできるのだ。
牛乳がいっぱい届いたので、秋までの限定サービスである。
「はぁ、温まる……これ、錆山でも飲みてぇなぁ」
「そうだなぁ。山の坑道も、上の方だと夏でも寒いからなぁ」
「上の方……って、青い石が多い北側辺り?」
俺が尋ねるとデルフィーさんとドネスタさんは、しみじみと頷く。
そうだったのか。
俺が入れる坑道までだとそんなに寒かったイメージなかったから、むしろ冷たい方がいいんだと思っていたが。
そういえば、ベルデラックさんは温かい飲み物を持ってきていたっけ……
ちょっといいこと思いついちゃった。
やってもいいかは、ビィクティアムさんに確認しようっと。
基本的にはシュリィイーレだけでしかできないだろうから、OKは出そうだけどね。
休憩時間になって、俺はいそいそと東門詰め所へ。
差し入れは魚介包み焼きのミニリエッツァと、特製シシ肉プパーネもお持ちしましたよ!
ビィクティアムさんは長官室だということで、二階へ。
扉を開けると、ちょっとだけ怪訝そうなお顔でいらっしゃいますが?
「また……何か作ったのか?」
「いえ、まだこれから作ろうかなーと思っているもののご相談です。作る前に言えって仰有ったじゃないですか」
それを覚えていたとは意外だ、という顔されちゃいましたけど、失礼じゃないっすかね。
まずは差し入れをどうぞ、と渡すと昼ご飯が食べられなかったようでめちゃくちゃ笑顔になりました。
「また食事が不規則なんですか?」
「冬場は、おまえや試験研修生がいたからなぁ……衛兵隊でもきちんと見せておかんと、と思っていたから無理矢理時間を作っていたんだよ」
「いなくても、時間作って食べてください」
長官室に自販機、置いちゃおうかな。
ちょっと出ればすぐに衛兵隊の食堂も、東門食堂もあるっていうのに。
いやいや、それはいいな、とか言って真剣な顔で考え込まないでくださいよ!
「まぁ……今回はそれに似たようなことなのですが」
「錆山に自動販売機を置く、なんて言うのか?」
惜しい。
でも、違うのですよ。
「転送の方陣鋼を使用した『先払い式飲料提供』ができないかと」
首を傾げられてしまった。
「うちの自動販売機と同じように『転送式』で、専用の容器に差し替えで嵌められる『転送の方陣』が描かれた方陣鋼を作ります。で、各個人のその容器に、予めお支払いいただいた回数『温かい珈琲』や『果実湯』が入るようにしたいなーって考えています」
頭を抱えられた。
よく見るポーズなので、特に気にはしないのだが。
水が湧くのではなく、予め別の場所に用意されていた飲み物が『転送される』というものだ。
ただ、供給元は固定されているし、ユーザーは一定の範囲だけでしかそのサービスを受けられない。
範囲指定、転送される物の指定、その量の指定がされることで、相手が【方陣魔法】や【文字魔法】がなくても受け取れるように方陣を組む。
「ただし、その方陣鋼は五回だけしか使えず、販売はうちの物販のみ。使える範囲はシュリィイーレの町中、碧の森、錆山、南の森から西の森くらいまでの『シュリィイーレの町の人達』しか動かない範囲限定です」
いつでも何処でも珈琲や果汁入りホットドリンクが飲めるプリペイド
そして固形物でないカップ一杯分程度のものだと、転送に使う魔力はもの凄く少なくて済むのだ。
残念ながら食事の転送デリバリーだと、この町の中だけとしても両方を完全に固定しておかないと無理。
保存食一袋でも、片方が固定されていないと方陣鋼の魔力が一回ですっからかんになるほどの魔力量が要るので、現在は『珈琲一杯』が限度である。
「今までの水筒に入るようにするってことか?」
「いいえ、初回は温かい飲み物専用の入れ物を購入してもらいます。それには容器代と、五回分の飲み物代が含まれた転送の方陣鋼を予め入れておきます」
湧水用の水筒や方陣鋼とは、どちらも少しだけ規格を変えるつもりである。
『湧泉の方陣鋼』をホットドリンク用容器に入れて使うことはできるが、転送鋼は湧泉水筒には入らないようにする。
方陣の形が五角形じゃないから、湧泉水筒には入れられないと思うけどね。
勿論、この飲料転送方陣鋼は『専用の器』以外では一切使えない。
湧泉水筒と違って非常時対策ではなくて、あくまで嗜好品の販売だからだ。
「どうですか? 作ってもいいですか?」
なぜ、そんなジト目で睨むのですか。
「……そこまで限定的なら、構わんだろう。但し、まずは衛兵隊で試作品を試して、販売はおまえに負担がかからないことが証明できたら、だ」
「はいっ!」
やったー!
場所は限定的だけど、いつでも珈琲が飲めるってサイコーでしょ!
誰にとってって、俺にとって、ですよ!
これだと容器問題が懸念事項で、大っぴらに売り出せなかったドリンク系が出せるぞー!
珈琲牛乳だけでも、空き瓶の二割くらいが回収できていないからねー。
再利用してくれているならいいんだが、そこら辺に捨てられているものとかもあったから困っていたんだよねー。
俺が見つければ回収しているし、偶に子供達が見つけてくれて持ってきてくれるんだよ。
そういう良い子達には、ご褒美的に金平糖をあげてる。
お子様達には、金平糖と星形のべっこう飴が凄く人気なのだ。
んーでも、容器製作……何処にお願いしよう?
金属より陶器とかの方がいいかなぁ。
どうせ【強化魔法】で割れなくするんだから、金属に拘らなくていいし。
蓋付きマグカップみたいなものでもいいよね。
あ、でも冷めないようにするなら今作っている水筒と構造が同じ方がいいな。
するとやっぱ金属か……ベルデラック工房はキャパいっぱいだよなぁ……
うーーーーん。
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『緑炎の方陣魔剣士・続』參第115話とリンクしております。
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