第643話 文化的風習誤認
翌日の午後、メイリーンさんをちょっとだけ応接に呼んで、仮婚約承認司祭の件を話した。
「……という訳でね、ドミナティア神司祭からシュリィイーレの司祭様に変更した方がいいらしいんだ」
真剣な顔で、メイリーンさんは何度か頷く。
「うん、解った、タクトくん。でも……ドミナティア神司祭のことって、まだお姉様達には言わない方がいいのね?」
「そうだね。今月の中頃……春祭りの後くらいに正式発表になるらしいから、それからの方がいいと思う」
「貴族って、大変ね」
本当にそうだよねぇ……
俺達ふたりは何度となく、うん、うん、と頷いてしまった。
そしてメイリーンさんはちょっと、ほっとしたような笑顔を浮かべる。
「だけど……よかった、証明司祭様が変わるだけで」
「え? どうして?」
他に何か変わる部分があると思っていたのかな?
「タクトくんに、婚約を見直そうって言われちゃうのかと思っちゃったよ」
「そんなこと言う訳ないじゃないか!」
ないないないない!
俺がそんなことするなんてこと、ぜーーったいにあり得ないからっ!
そりゃ(仮)を取っ払うって意味の変更ならしたいけどっ!
メイリーンさんがちょっと照れながら、そうなんだけどね、と苦笑い……?
なんで?
……「だって……タクトくん、時々……に……ちゅってするから」
……?
んんん? 何?
なんて言ったのか、よく聞き取れなかったよ?
「あっ、タクトくん、早く教会に行かないと、お夕食の準備に間に合わなくなっちゃうよ!」
「そ、そうだね」
なんかすっごく、気になることを言われたような気がするんだけど……
取り敢えず、俺とメイリーンさんは教会へと歩き始めた。
そして『神眼での遠視』で、今の聖堂内に司祭様がいらっしゃるかを確認……あ、ふたり共居るぞ。
実は、ガイエスに『遠視の方陣』は視た場所の現在の様子も一瞬だけ見ることができる……と言われたことを思い出し、ちょこちょこと方陣を使って色々な場所を視ていた。
勿論あの秘密部屋や教会の聖堂内なども視ておいたので、方陣を使うと五秒間くらい『今の状態』を視られる。
……が、俺の神眼さんは学習能力が高いのか、今では方陣なしでも五秒くらいなら『かつて神眼で視た場所』を視られるのだ。
ただ……それは『実際の目で見ることができる場所』だけに限られるので、体内とか岩の中の粘菌とか魔法じゃなきゃ見られないところまでは視えない。
当然だが、暗視モードも残念ながら使えないので、明るい場所しか視られないのである。
だけど、神眼さんで遠視もできるようになってくれたのは、ホント、助かるよね。
町中で転移する時に、移動したい辺りに人がいるかどうかが解るからさ。
この『状態確認遠視』って、続けてやるとめちゃくちゃ肩が凝るからそれだけはちとつらい。
疲労が半端ないので、あまり使ってはいないのだが。
目が乾くっていうより、なんか眼圧が上がるみたいな感じでキツイんだよねー。
多用しちゃいけない気がする。
教会に入ると待合には誰もいなかったが、聖堂へ続く扉が開けられていたので中にいらしたテルウェスト神司祭が迎えてくれた。
「こんにちは。レイエルス神司祭もいらっしゃってたんですね」
「ええ、教会改装工事について、朝からセラフィエムス卿の計画を伺っていまして。今し方終わったところなのですよ」
にこりと微笑むレイエルス神司祭に『仮婚約証明司祭』の変更をお願いしたくて来たのだと伝えると、それは丁度良かったと仰有った。
どうやら変更には『立会人』も必要らしく、レイエルス神司祭がご協力くださるという。
……わっすれてましたぁ……そーいえば以前もライリクスさんとマリティエラさんが立会人になってくれていたんでした。
あれ、どうしたのかな、メイリーンさん?
ちっちゃい声で、緊張する……って呟いている……
そうか、聖神司祭様がふたりだもんなぁ。
テルウェスト神司祭が用意してくれた登録板に、ふたりの身分証を小さいまま載せて司祭様達の魔力が注がれる。
身分証がほんのりと光って、ゆっくりとその光が収まっていく。
「終わりましたよ。表書きと裏書きを確かめてください」
表書きの証明司祭に『テルウェスト・エーリヒス』という記載、そして裏書きは『仮婚約司祭変更立会 レイエルス・セッカ』と記された。
ふぅ、これで安心、安心。
「おや、メイリーンさん、新しい魔法がありますね……こちらで確認なさいますか?」
「あ、はいっ、お願いしますっ」
レイエルス神司祭にそう言われたメイリーンさんが、声が聞こえない位置へとちょっとだけ離れた。
テルウェスト神司祭が、なんだかレイエルス神司祭を見てくすくすと笑っている。
どうしたのかと思って聞いてみたら、どうやら午前中にちょっとだけふたりで遊文館に行ってみたそうだ。
「その時にですね、子供達が急にレイエルス神司祭に寄ってきまして。特に、男の子たちが」
あ、もしかして……登られちゃったのかと思ったら、その通りだったようだ。
「ええ、そうなのですよ。その時のレイエルス神司祭が、小さい子供が上り損ねて落ちやしないかとハラハラしているご様子でして。それが可愛らしいといいますか」
父さんもエイドリングスさんも、そんな感じだったからなぁ。
ちっこい子達が、あのガタイのいいレイエルス神司祭を見逃すはずがないのだ。
「それに唇に随分と口づけされていましたからねぇ。小さい子供達は、お父さんくらいに思ったのでしょうねぇ」
……あれ?
さっきの、もやぁんとした感じが甦ってきた。
「あのー……唇に、ちゅって、感じなんですか?」
「そうですよ〜。たいていは母親にですけど、小さい子は父親にもよくやりますよねぇ。あ、もしかして、タクト様もされたことがあるのですか?」
あー……いえ、そのー……
「唇にするのは『子供からの親愛の証』ですから、されたら背中や頭を撫でてあげるといいですよ」
「えっと、唇って……子供が、親とか保護者にすること……なんですか?」
俺の認識と違ーーう!
ほっぺがそーいう感じじゃないの?
「そうですねぇ、唇同士は『親と子供』ですからねぇ。恋人同士だと左側の目尻ですし……頬は……まぁ、所謂お強請り的な感じですかね?」
「お、ねだり……?」
「ええ。『あなたから口づけが欲しい』という意味になりますから……左側の方が、より情熱的ですねぇ」
テルウェスト神司祭が照れるように、口元を手で隠す。
ちょっとニヤニヤしているのは、適性年齢前の俺に対して『ませたことを聞いてきて』みたいな感じなのだろうか。
え、いや、それって、ちょっと待って?
えーと、初めての時って、キス……ほっぺにしたけどどっち側か覚えていない。
その後……口に、した。
あの時にマリティエラさんが『情熱的』とか言っていたのは……頬の方?
口にしたのは……見えていなかったとか?
えーーーーーー?
その後も、そう言えばほっぺチュの度にメイリーンさんは真っ赤になっていた。
だけど唇の時には……あーーーーっ!
俺が唇にするチューは……恋人同士ってんじゃなくって、子供が甘えているって捉えられていたのかっ!
それなのに『キスをせがむ』ような
何それ!
俺、とんでもないマザコン疑惑を持たれていたってことかぁーーっ?
恋人としての『目尻にキス』なんて、一度もしたことないもんなぁ。
そーか、それで……婚約を見直されるかも……なんて……
だよなぁぁぁ!
お母さん扱いをしちゃっていたってことだもんなぁぁぁぁ!
メイリーンさんに『こんなマザコンお断りっ!』って見捨てられなくってよかったぁ……!
文化の違いって、こんなところにまで影響するんだな。
こっちの世界には『恋愛マニュアル本』的なものなんてないしっ!
きっとこういうことって当たり前すぎて何処にも資料とかないんだろうし、文化史みたいな本にもなってなんかいないんだろう。
てか、フツーは友達同士とかで話す範囲のことなのかもしれない……ぼっちの弊害がこんなところに……
そして俺がここに来た時には、そういうことは『知ってて当たり前』だと思われている年齢だったってことですよねっ!
こういう『文化的風習の違い』って、マジで未だに勘違いしてることが多そう……き、気を付けよう。
だけど、
うん、これからは……目尻にチュ、だな……それって意外と恥ずかしくね?
……今更、か。
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