第634.5話 コレイル
コレイル領領主クリエーデンス・ベルージェは、王都に教会人事再編会議に赴いている次官・ルーデライト・エリディエスの帰りを待っていた。
彼はコレイル領主の座を継いでまだ二十年ほどであり、病がちであった先代が滞らせていた領地の整備などもやっとなんとかなってきたところだった。
大きな川もなく、農地としてよい土壌というほどでもないこの領地は決して豊かではない。
だが、食い詰めるほどの貧しさという訳でもなく『相対的に恵まれていない』という程度なのだ。
つまり、他の領地と比べて自分達の領地は劣っていると思っている……ということであった。
歴代のクリエーデンス家門も、次官であるルーデライト家門も、本家門はいい意味でも悪い意味でも『のんびり』している。
臣民達が他領と比べて自領を良くないと感じていることは、この地を良くしようと考え発奮しているからだ……と捉えていたのだ。
実際、コレイル領の多くの臣民達は勤勉であり、数千年に渡り領地の産業を領主・次官達や傍流家門と共に支えてきた。
しかし、残念なことに中には自らを高めるのではなく、他者を貶めて自分達の立ち位置を高く見せようなどと画策する者達もいた。
それが最も悪い形で出てしまったのが……自身とエリディエスの四代前にこの領から発せられ、とんでもない馬鹿者共を大量に生み出してしまった『下位貴族条例』。
傍流家門達が、勝手に作ったその階位を本来居るはずのない『傍流家門の従者』などという者達に与えることを黙認だけでなく、許可してしまった。
これは当初反発する声の方が大きかったらしいのだが、明文化されていなかったというだけで各地の傍流家門の間では『従者を持つ』ということはある程度行われていたことであった。
明確に『違法』と定められていなかった上に、自分達の雇い入れている者達の地位を上げれば自分達の地位も上がる……と考える愚か者は、いつの時代もいたからだろう。
だが、その地位の上げ方が間違っていたのだ。
他領のように雇っている者達の職位の向上や、能力を認めての昇位であれば構わないし、『貴族』という言葉を使わないのであれば特に問題はなかった。
しかし、ここでもコレイルの貴系傍流達の気質が、悪い方へと働く。
のんびりとした性善説のお人好し達は、言葉の裏を読むことも隠された思惑に気付くこともなく公平性も何も考えずに、自分達の耳に聞こえて来たことだけを鵜呑みにした。
そして、そんな『御しやすい主』を言葉巧みに操る者が出て来るのは当然のことだ。
適当に褒め、ちょっと気分良くさせたところで、自分達がどれほど努力をしているかを『実績でなく言葉だけで』示した上で報われていないと嘆き慈悲を乞う。
更に、他の領地の貴系家門のように非道なことはしないあなただからこそ……などと言われてしまえば、虚言と勘ぐることすらなく簡単に乗っかってしまう。
他と比べて劣っていると思い込んでいた者達が、他の領の傍流より優れているから頼ってきたのだと擦り寄られて、悪い気はしなかったのだろう。
それが傍流だけであったのならば、ここまで酷くはならなかったかもしれない。
四代前の領主と次官は……そうやって騙されていることにも気付いていない傍流達の言い分を、簡単に信じてしまった。
そして『下位貴族』などという呼称を認めてしまい、口先だけで上に媚び諂う実力も能力もない愚者を蔓延らせることになった。
十八家門の大貴族が認めてしまったがために、下位貴族を称する者どもは付け上がり傍流を侮り始める。
その愚かな行為にコレイルが気付いた時には……収拾がつかないほどに、下位貴族達は増長していた。
だが、それでも大貴族達は彼らの全てが悪ではないと、なるべく穏便にことを解決していこうとしていた。
これもまた、誤りであったのだ。
本家門の貴族達は、貴系傍流達が拘り競う『格』というものを、全く理解していなかった。
当然である。
彼らにとって価値のないものを、どうして傍流にとって大切なものだと理解することができるだろうか。
他者と比べて恵まれていないと嘆く者というのは、自分より『下』を作りそれに施しを与えることや更に貶めることで安心するなんて、大貴族達には思いもよらないことだった。
そのために必要なものが『格』であり、傍流達は与えることで、下位貴族達は臣民や移民達を貶めることで己の欲求を満たしていた。
無知な者達の増長は留まるところを知らず、次々と事件を起こすようになった。
そうなって初めて、大貴族達も教会も過ちを認めざるを得ない状況になり、本格的な改革と改正に乗り出したのは六百年前である。
しかしいくら法的に無効でありただの慣習であったとしても、根付いてしまった意識を払拭することは困難である。
地道な意識改革と法整備、そして各領地との連携が必要だった。
だが……数千年もの間交流がない傍流家門もあれば、大貴族間ですら意見の対立もあった。
そして、神典や神話の記載で結ばれるべきでない家門というものまであり、一部で改革を強行しても全国で正しく機能しなければ無意味なこととなってしまう。
だから、志を共にする家門と共に機会を窺いつつ、水面下で進めていくしかなかった。
問題が起こる度にその首謀者達から連なる者達を調べ上げ、牽制しつつ押さえ込んでいく。
そうしてやっと……やっと、その意識が少しずつ改善されてきた。
ベルージェは軽く溜息を吐き、長かったな、と思いを巡らせる。
だが、まだこれからなのだ。
湧き出る魔虫の元を根絶するまで続くような、地道な改革。
それにひとつの終止符が打たれたのは、原典発見と正典の制定による『身分階位の再編』が神々に認められたことだった。
新しい身分階位の注釈には『貴族という呼称は血統を保ち血統魔法を持つ者だけの階位とす』という明確な一文があり、神々もそれを承認くださった。
この大鉈を振るったと言える法改正は、皇国全土に衝撃を与えたが臣民達には大いに歓迎された。
臣民達が、元従者とか下位貴族などという者達の振る舞いに、どれほど迷惑をかけられていたのか、どれほど耐えていたのかということをやっと傍流達も理解したのだ。
(いや、まだ緩めてはいけない。やっと道半ばまで辿り着いたというだけだ)
気を引き締め、立ち上がったその時に書斎の扉が開いた。
領主として仕事を引き継いでからずっと、本来の性格である『のんびり』とはかけ離れた仕事振りだった。
それはたった今、王都から戻ったコレイルの次官ルーデライト・エリディエスも同様である。
「お疲れ様、エリディエス」
「ああ、遅くなってすみません……やっと、とんでもない連中のあぶり出しと処分が終わりそうですよ」
「そうか……随分かかってしまったな」
二年前に改訂されて整ったはずの『階位制定』だったが、未だに教会人事にだけ上手く機能していない部分があった。
貴族達、傍流、臣民達の階位再制定だけでなく、神職という特殊な社会の見直しも必要なことであったがこちらはなかなか進んでいなかった。
臣民達は新しい階位設定にすぐに馴染み、かつて下位貴族と名乗っていた元従者達にも徐々に受け入れているというのに、それを認められない者達もいたということだ。
彼らは自分達が『特別である』という思い込みを、『なんの努力もなく認められたい』という馬鹿げた望みを捨てられず、今度は神職に対する臣民達の信頼と敬愛を利用しようと思ったのだろう。
教会にて神々に仕える神従士となり『偉ぶる』という意味の解らない行動に出た。
このようなことも今まで全くなかった訳ではないが、身分階位改訂でその傾向が更に激しくなったのだ。
「まさか、上位司祭までもがあのように、差別的で意味の解らないことを言い出すと思っていませんでしたけど……」
書斎の長椅子に腰を下ろし、ほんの少し口に水を含んでエリディエスはやれやれといった風情で話を続ける。
「セラフィラント公にあの『録画転送機』という宝具をお借りできて、本当に助かりましたよ。あの上位司祭会合は、いつも結果だけを簡潔な文書で提出されるのみでしたから」
「ドミナ……ではないな、輔祭殿のお作りになったあの宝具は、確かセラフィラント海衛隊でも海の護りに使っているのであったな」
ベルージェも二度ほど、その『映像』というものを見たことがあった。
「ええ、鮮明に誰がどんな発言をしていたかを、別室で全領地の次官と聖神司祭様方で確認しました。本当にもう……顔から火が出るとはまさにこのことですよ……レンテ司祭があのような人物だったとは……」
エリディエスから聞かされた会議の内容はあまりに酷いもので、もうひとりのコレイル領トターテの司祭の態度も目にあまるものがあったという。
発言がなければ記録にはほぼ残らないが、『映像』にはその時にそこにいた者達の『態度』や『表情』が見えるのだ。
「うちのふたりだけでなく、幾人かの上位司祭も異動か降格となるでしょう。上からも確実に膿を絞り出さねば、と言われたルシェルス次官やリバレーラ次官、マントリエル次官のお気持ちがよーーく解りました」
密室で行われる上位司祭だけの会議というもので、彼らの本性が見えるのではないかと次官達は考えていた。
だが、その部屋は一切の魔法が使用できないという部屋であったがために、隠密などを忍ばせることもできなかったし、そもそも……見聞きした者の主観が混ざらない報告というものはあり得ない。
その点、この映像記録という宝具は画期的な発明品であった。
一時期、皇王が感情的に己の振る舞いの意味も考えずに行動していた時期があり、それをセラフィラント公と皇后殿下がこの録画撮影機で映像として記録し、後に陛下にそれを見せたことで陛下は己の言動を大きく反省なさったと聞いた。
だからこそ、今回の密室会議にも採用され司祭や神官達の人事の参考になれば、と記録がされた。
まさかあそこまで酷い事態だとは思わなかったので、皆さん絶句していましたよ……と、エリディエスは大きく溜息を吐き、腹の上部……胃の辺りを擦る。
次官達も聖神司祭達も……どこかで信じていたのだ。
上位司祭という責任ある役職と神々からの使命を知る貴族が、愚かであるはずがない……と。
そしてもしも誤った価値観を持っていたとしても、それは彼らの本性ではなく何者かに唆されただけではないか、などとさえ考えていた。
残念ながら、それらの甘い期待は悉く打ち破られてしまったらしい。
「神官も勿論ですが、各地の司祭達も大きく動くでしょう。この機会に全ての神官・司祭の階位を確実なものとし、下らない『格』というものに振り回されぬ本当の神職の教育に力を注がねばなりません」
「……まだ、先は長いな……」
「でもこれでようやく、教会内部も整っていきます。今まであやつらに振り回されてろくに対応ができていなかった、領内あちこちの綻びを修正していかねばなりませんからね」
百年ほど前から濁ってしまった湖にも、一時しのぎのような対応しかできていない。
樹海近くのユグム山脈内で幾つかの村が、土砂崩れに遭うほどの無謀な採掘をしていたがなんとか五年前に止めさせられたばかり。
彼らの新しい採掘現場が整って採掘量に問題はないと報告されていたが、そこの視察にも時間がとれてはいなかった。
王都に接する北部にばかり人と商品が集中してしまい、南部への支援も開発も中途半端だ。
だが、この教会関連人事が完了すればもっと動きやすくなり、衛兵隊の再編にも手が付けられるようになる。
「そうだ。まだまだ、だな」
「もうすぐ、シュリィイーレも春祭りです。また、次男達が菓子を買ってきてくれますよ」
「私もそれが、一番の楽しみだよ。いつか……コレイルでも、誰かを力づけられるものが作れるようになるといいんだがな」
「なりますよ。私達でそうしようと決めたのですから」
そこへ、慌ただしく扉を叩く音が響いた。
開かれた扉から飛び込んできたのは……ベルージェの弟、ディルエスであった。
「どうしたのだ、そんなに大慌てで……」
「どうもこうもございませんよ、兄上! なぜ、あれほどお願いをしたユグムのブロキュス村に、なんの支援もしてくださらなかったのですか!」
ベルージェとエリディエスは顔を見合わせる。
その村は移住計画が始まった二年後、三年ほど前に崖崩れの危険があるから、と全村避難させて別の場所の採掘をしているはずではなかったか、と。
「……え……?」
ディルエスが、驚愕の表情に変わる。
「いいえ、兄上……ブロキュスは、二百年前から場所を移してはおりません」
「そんなはずはない。私は近隣の村々から陳情があった五年前に、ユグム山脈南側はそのようにと指示を……いや、おまえが訴えてきていたのは……いつだ?」
「私がイシュナに赴任してすぐですから……一年前です。それからも、何度も……つい先月も!」
「待ってください、ディルエス殿。私はイシュナから何も、訴えも申請も受け取っていませんよっ?」
三人の言うことが、噛み合わない。
そして、はた、とエリディエスが何かに気付いたように目を見開く。
「……あの村の五年前の採掘管轄……は、キシェイス家……でしたか?」
「何があった、ディルエス」
ベルージェは、嫌な予感に胸の鼓動が早くなるのを感じていた。
「土砂崩れです。三日前に……起きたその時からイシュナ衛兵隊は動いておりますが、土系と空間系の魔法師が足りません。トターテ衛兵隊は全く動かず、次官殿にも兄上にも取り継いでもらえませんでしたので、私が直接……っ!」
ディルエスの言葉が終わるか終わらぬうちに、ベルージェとエリディエスのふたりは弾かれたように書斎を飛び出し、近侍達に怒号にも似た指示を飛ばす。
(またしてもあいつらか!)
(元従者家系の下位貴族という輩は、どこまで役立たずで害悪なのだ!)
怒り心頭というふたりに、イシュナ司祭であるディルエスは少しだけ、ほっとした。
あのふたりが……あの村を見放したのではなくて、本当に良かった、と。
そして、救助に向かった衛兵隊員達から様子を聞くために、再びイシュナへと戻って行った。
******
この後のコレイルの様子は『緑炎の方陣魔剣士・続』參第98.5話にて
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