第635話 ムカつき案件

 初荷が届いた昨日から、市場はどこも大賑わいだ。

 やっと届いた数々の品に、多くの人々が買い物を楽しんでいるのは毎年のこと。

 だが……今年はどうやら焦って食糧を買う人がいないのか、あまり良い状態でないものとか高額設定されているものが売れ残っているみたいだ。


 今までであれば、備蓄もギリギリでどんなものを市場に持って来ても、みんなある程度我慢して買ったのだろう。

 この時期には食糧が底をついていたり、ゼロではなくても種類が少なくなっていたから開放感もあって購買意欲も高かったに違いない。

 だが、去年の冬は、そんなカツカツの人など殆どいなかったはずだ。


 外門食堂は、八箇所全てで休むことなく美味しいランチとディナーが提供できていたし、朝ご飯を売る店や屋台が開かなくなってしまっていても遊文館があった。

 一日三食のお食事分だけでなくおやつもジャンクフードも、今までうちの物販まで来られなかった西地区でも不足することはなかったのである。


 どうやら、他領での売れ残りもこの時期のシュリィイーレでなら売れると思っていた行商人たちは、あてが外れているみたいだ。

 漏れ聞こえてくる溜息と愚痴の多いやつらは、今まで粗悪品を平気でシュリィイーレに入れていたのだろう。


「全然、出ねぇな……毎年、これくらいならすぐにでも売り切れていたってのに」

「去年の秋も変だったぜ。多少高くしても買い漁っていたのに、選んで買うようになりやがって……」


 そうか、秋の備蓄の時も、みんな悪いものを買わないようにしていたんだな。

 なるべく長期間もつものだけや、どうしても欠かせないものだけで抑えたんだろう。

 外門食堂がずーっと冬中開いているって告知されていたし、冬前に遊文館もできて『いつでも食べ物がある場所がある』ってのが周知されたからな。


 あの粗悪品販売をしているやつらも、これに懲りたらここに来なくなるかいいものを持って来るようになるだろう。

 それに、あと十日もすれば今年採れた『本当にいいもの』が、市場を埋め尽くすようになる。

 うちの買い物はそれからでも充分間に合うので、市場偵察はこんなものでいいか。

 あ、サラーエレさんの店にだけは行っておかなくっちゃ!



 いつも買わせてもらっている人達に新年のご挨拶と、すぐに必要なものだけの買い物を終えて家に戻った。

 さて、そろそろランチタイムの準備前に、自販機の補充でも……と、物販スペースを覗き込んだ時に『移動の方陣』で着いた人と目が合った。


「テルウェスト司祭……!」


 お帰りなさい、と近寄ると……なんだかもの凄く落ち込んだような、泣き出しそうな顔?

 え、何々? 


 聖神司祭への昇位、おめでとうございますって言える雰囲気じゃないぞ?

 取り敢えず、応接室へ! 

 ここじゃ、他の人も入ってくるからねっ!



「一体、どうなさったんですか……?」


 目の前に差し出した紅茶を見つめ、しょぼんとした雰囲気。

 王都から戻ったのなら、すぐにでも昇位を報告して教会みんなでお祝いかと思ったんだけど……?


 テルウェスト司祭の格好が、どう見ても王都での正装っぽいんだよな。

 法衣の正装ってよくわかんないんだけど……いつもより上品な燦めきというか……あ、そうそう、イスグロリエスト大綬章授章式典後の舞踏会の時に聖神司祭様方が着ていた法衣とそっくりだ。

 てことは……聖神司祭位の叙位後だよなぁ……そのまま、うちに来ちゃったの?


 母さんに断って、司祭様にはまずお食事でも召し上がっていただいて落ち着いてもらうことに。

 あ、食欲はあるみたいですね。

 良かった、良かった。


 揚げ焼きイノブタ肉のカレーソースと甘藍入りのポテトサラダはあっという間になくなって、なんとか気分も持ち直されたようだ。

 もしかして、王都のお食事がつらくてストレスが溜まっちゃったとか?


「いつもいつも、醜態を曝してしまいまして申し訳ございません……」


 テルウェスト司祭は感情のコントロールができなくなってしまうと、うちに飛んで来ちゃうみたいだ。

 まぁ、信頼してくださっているということですから、いいんですけどね。

 一種の逃避行動なのかなー。

 そして話してくれた内容は……なかなか、困ったことが起きてしまったようだった。


「……つまり、シュリィイーレにいる方々は、敬意を表するに値しない連中ばかり……と?」


 俺の言葉にテルウェスト司祭は頷きつつ、まだ悔しさを滲ませている。

 誰だ、そんなこと言いやがったやつは!

 そりゃ、尊敬できない人も中にはいるだろうが、そんなのは何処だって同じだ。

 シュリィイーレのことを知らんやつに、とやかく言われる筋合いはないっ!


「で、わたくしも少々短気を起こしてしまい、一発殴っちゃおうかなーとか思ったのです」

 ええっ? 会議の席でそれは、まずいのでは。

「が、殴れなかったのですけどね」

 よかったー。


「やっぱり殴っておけばよかったと、その後の発言で後悔しました」

「……なんて、言われたのですか?」


 もー、テルウェスト司祭ってたまに過激だよなぁ。

 息を大きく吸って、ゆっくりと吐きながらテルウェスト司祭は話し始めた。


「シュリィイーレ教会は、元々あまり好かれている場所ではなかったのですよ。古代語時代の建物だから悪しき念がこびり付いて犯罪者ばかり出すのだとか、そんな教会のくせに聖神司祭様を招くなどあり得ないとか散々言われて。直轄地だというのになかなか王都中央教会と条件統一されずにいたのが、この度『聖シュリィイーレ教会』となり、正式に皇宮聖教会に次ぐ『第二位聖教会』と承認されたのです」


 昔っから馬鹿にされている場所だったんだろうってことは、なんとなく想像してはいたけど……司祭達にそうまで言われていたとは。

 程度の低い司祭もいるんだなぁ……


 もしかしたら、昔は『問題のある神職』が多い時代があったのかもしれない。

 そういうイメージって、払拭するのが大変だからねぇ。

 おそらくシュリィイーレ行きを『貴系傍流の島流し』的に捉えている人達も、少なくはないだろうからなー。


「聖神司祭在籍の教会となれば、神従士を入れなくてはいけません。神職の教育というのも、教会の役割のひとつですから。そもそも最近シュリィイーレに神従士がおけなかったのは、不祥事が相次いでしまったことが原因でした。それが落ち着き事態が解決しておりますから、ゆくゆくは受け入れなくてはいけなかったのですが……なにせ、仕事もございませんし……昔から希望者も居なかったのです」


 うん、配務がないって、結構神従士さん達的にはつらいよね。

 お金になる仕事がないんだからさ。

 それに、気分転換になるお出掛けができないってのもつらいよねぇ……俺は、全然平気だけど普通は、そうなのだろうから。


「そして、教会自体の老朽化もございまして、部屋の増築ができなくて……やっと、今年の繊月せんつきに、改装工事ができるようになりました」


 あ、この間ライリクスさんが計画立てていたやつだ。

 そうか、王都の承認が下りたんだね!

 言ってくれたら、俺も協力するのになー。

 聖教会認定ってことは、三階建てか、四階建てになるのかなー。


 口論のあったその会議の日の午後、神官、司祭の職位見直しと昇位方法の若干の変更が確定事項として上位司祭達に伝わり、直轄地の司祭を聖神司祭に統一するという発表がされた。

 その時に、シュリィイーレ教会の改築も発表になったのだという。


「あれらは私を腹の底から馬鹿にするように、今の司祭が役立たずだったから聖神司祭の威光に頼らざるを得なくなったのだ、と声高に大笑いしましてね。その改築が発表されると、笑い声が止みましたが聖神司祭を迎えるのだから当然か、と言いつつも悔しげでしたね」


テルウェスト司祭、ちょっと悪い顔になった。

気持ちは解ります。


「まぁ、その時には既にわたくしは、辞令を受け取っておりましたので何も言わずに無視していたのです。でも、その態度が気に入らなかったのでしょう。シュリィイーレの神官達や……神従士のあの子達のことまで……馬鹿にして……」


 司祭様は、口に出すのも穢らわしいという雰囲気だったが、なんとか言葉にしてくれた。

 余程、腹立たしかったのだろう、テルウェスト司祭の眼に涙が浮かび、瞳には怒りも滲んで見える。

 それでも殴らなかったんですね。

 流石です。

 俺と一緒に、心の中でフルボッコにいたしましょう。


「ですが、その場でわたくしの昇位が発表されると……また騒ぎ出しまして」


 その時に、騒いでいた司祭のひとりが『神従士達は同じ領内での再編なのだから、絶対にシュリィイーレになど出さない』と言い出し、それに呼応したもうひとりの司祭までも『シュリィイーレで何日も過ごした神従士など、受け入れたくない』とまで言い出したようで……啖呵を切ってしまったらしい。


「つい……『彼らの才に気付かぬ愚鈍な司祭の下になど、シュリィイーレの神官も神従士も決して渡さん!』と……怒鳴ってしまいまして」


 ……いいんじゃね?

 うちの神官さん達やあの三人を馬鹿にするような司祭に、人を育てる力も未来もないと思うしっ!

 心の中で顔の形が変わるくらい、ぶん殴っておこう。

 そいつらの顔、知らんけど。


「神官達やあの子達から……帰る場所を、奪ってしまいました……」


 テルウェスト司祭のしゅん、と項垂れた姿に、彼ら三人の意思を聞くこともなく感情的になって、選べる道を断ってしまったことを心から後悔している様子が窺える。


「もしかして、彼らを受け入れないと言ったのは、コレイルとリバレーラの司祭達なんですか?」

「コレイルとエルディエラ……ですが、シュレミスにだけ、戻れと言うのも……」

「あれ? マントリエルは?」


 テルウェスト神司祭は、そちらはまた少し理由が違いまして、と軽く息を吐く。


「彼のいたラーミカでは、色々と理由があるのですが……司祭があまり良い印象を持たれていませんでした。その教会にいた神従士達の再編も、かなり大変だったようなのですよ。そもそも、ラーミカ教会に厄介者を押しつけるように、魔力量の低い神従士達ばかりいたようでした。その上アトネストは半籍であるので……まだ、領民でないから再編時にいなかったのであれば……数に入っていないのではないか、と。一応ランテルロー司祭がもう一度お確かめくださるということでしたが、もし入っていなくてももう受け入れは難しい……と仰有いまして。ドミナティア神司祭が、降位なさいましたから……息がかかった者を、どの教会も請け負いたくないのかもしれません」


 はぁぁぁ?

 何、それぇ!

 そんな馬鹿馬鹿しい理由で、厄介者扱いってことかよ!


「大河の工事の全てが終わったと同時に再編が始まったマントリエルでは、既に配属が完了しているから……動かせない、と。前聖神司祭位で領主の『見出した者』となれば、もし魔力量が思ったほど伸びなかったり、なんらかの理由で神職を辞するなどということがあったら、責任はその司祭が被ることになると尻込みしているのかと。この辺は……うっかり煽ってしまったので、私も……何も言えません」


 いや、多分、嫉妬とか、そういうやっかみも含まれているんだよな。

 テルウェスト司祭に対しても、シュリィイーレにいる神官さん達に対しても、そして、神務士トリオにまで『選ばれなかったやつら』は、妬んでいるのだろう。

 そいつら、本当に神職なのか?

 想像の中でタコ殴るくらいじゃ収まらないくらい、ムカついているんだけど!


「テルウェスト司祭、俺もあの三人に、シュリィイーレを選んで欲しいと思っています。少し、ご協力いただけませんか?」


 またしてもテルウェスト司祭は涙目になりつつ、なんとか少しだけ口角が上がって頷いてくれた。

 ぜってぇ、彼らを何処にも渡さん!

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