第626話 春駒

 お馬さんがいっぱい……は、いないか。

 てか、厩舎の外側なのかよ。

 だけど、空間区切って温度を管理しているんだな。

 厩舎の近くは、人ひとり分くらいの幅は温かい。

 魔力をサーチしてみると……厩舎の中にふたりいるが、これはどうやら家畜医の人達だ。


 よかったー。

 ここには他に誰もいないや。

 でもなんでこんな年の瀬に、家畜医の方々が……と覗き込んだら……


 え、馬が倒れて……?

 あああっ! もしかして、出産っ?


 うわうわうわうわ、馬の出産って春じゃないの?

 あ、でもいつもの年なら随分暖かい時期だから、天候の方が予定外なのかな?

 なんか今にも破裂しそうなお腹で、家畜医の人達は少し遠巻きに見守っている、という感じだ。


 馬の出産って、立ってするイメージあったんだけど横たわっているんだな……個体差かな。

 それとももしかして具合悪い?

 俺が窓の外からぐっと伸びをするように覗き込んだら、家畜医のひとりと目が合った。

 小柄でちょっと太目のおじさんが、左右にピコピコ揺れながら歩いてくる。

 ゼンマイ仕掛けのブリキのおもちゃがこんな動きだった気がする……なんて思っていたが意外と素早い動きで俺の目の前に。


「んーっ? 子供がこんな時間にーっ! 駄目じゃないかぁ」

 あ、俺ってば今、レェリィか。

「ごめんなさぁい……でも、馬の赤ちゃん産まれるんでしょ? ちょっと……見たいなぁ」

 具合が悪そうだから、少し近付いて確認したいんだよな。

 お産によるものだとしたらいいんだけど、家畜医の人がつきっきりってのは、もしかしたら何か……


「むむむむ……まぁ、子供の純粋な探求心を無下にはできんか……温和しく見ているのだよっ、えーと」

「レェリィ」

「ふむ、レェリィ……女の子か。男の子っぽいのに」

「男だよ」

「……変な名前を付けられたものだなぁ。まるで女の子じゃないか!」

 神様に言って!

 てゆーか、名前を区切って使っちゃっているせいなんで、なんとも言えんが。


「デルデロッシ先生っ、そろそろですっ」

「おっ、子供に構っている場合じゃなかったよっ」

 仔馬の足らしきものがちょこん、と見えている。

 お産が始まったんだ!


 俺は厩舎の入口へと走って回り込み、中へ入る。

 中は随分と暖かい……

「やっぱり……弱っていますが、どうします?」

 もうひとりの医師の言葉に、デルデロッシ先生は唇を尖らせてじっ、と母馬を見つめる。

「まだ、魔法は使えないよ。もう少し、せめてもう少し仔馬が外に出て来てくれたら……」


 妊娠中や出産時は母体に別の魔力での魔法は厳禁……と聞いたが、馬でもどうやら同じらしい。

 方陣札でなんとか頑張っているようだけど、札の発動時間を抑えている?

 もしかして『回復しすぎる』と、お産そのものが上手くいかないのか?


「駄目だよ、これ以上は『回復の方陣』が効き過ぎちゃうね」

「俺っ、微弱回復と微弱耐性の方陣が描けるよ!」

 思わず、叫んでしまった。

 だって、母体がどんどん弱っていくんだ。

 息むこともできないくらいに……このままじゃ、きっとどっちも危険だ。


 持っていた三椏紙に千年筆を使い、現代文字でふたつの方陣を描く。

 効き過ぎるものを作らないように気をつけないと……

 それをデルデロッシ先生に渡すと、吃驚したように目を瞬かせたがすぐに母馬の首元へ方陣札をあてる。


「これって……魔法師組合でただ同然で配っている方陣ですよね……こんなに弱いのに、ちゃんと働いてる……」

「表面の傷を治すくらいには使っていたけど……そうか、当て続けていると内部も少しだけ回復するね。耐性の方も痛みの緩和になっている」

「はい、これならもう少し頑張れるかもって思ってくれたみたいですっ」


 凄いなー、家畜医って馬の体調だけでなく、感情とかも読み取れる『鑑定』なのかな。

 動物の感情って、人と少し違うのかだろうか。

 このふたりの瞳の色からしても魔眼じゃないみたいだし、そういう技能か魔法なんだろうか。

 いや……愛情、かな。


 ようやく、俺の目に映る母馬の姿にキラキラが戻ってすぐ、仔馬がまた少しずつ外へと出て来る。

 包まれていた羊膜から仔馬の顔が出てきて、初めて仔馬は呼吸を始める。

 母馬から余分な息みがなくなり、立ち上がると滑るように仔馬が地面に産み落とされた。


 なんだろう……特に馬に何か思い入れがある訳じゃないし、俺は通りすがりみたいなものだ。

 でも、信じられないくらいの感動がある。

 テレビで見たことはあったのに、『どこかで起こっていること』ではない目の前の光景に涙が出そうだ。

 命って凄いなぁ……


 母馬が、生まれた仔馬の身体を丁寧に舐めてやっている。

 医師たちは母馬に【回復魔法】の方陣で、リカバリーしてあげているみたいだ。

 仔馬は……もう立ち上がろうとするのか?

 プルプル震える後ろ足が折れそうで怖い……っ!


 そうか、立ち上がらないと乳も飲めないんだ。

 思わず両手を握り締めて、見つめてしまう……デルデロッシ先生と同じポーズで。

 もう少し……あ、ちょっと滑った……踏ん張ったっ!

 ……

 ……

 ……!


 立ったぁぁぁぁぁぁ!


 なんかもぉ、胸がいっぱいだ。

 泣きそう……と思ったら、隣でデルデロッシ先生が滂沱の涙。

 それでいいのか、家畜医……

 もうひとりの先生はテキパキと母馬と仔馬の周りで何かしているみたいだけど……あ、身体検査的なことかな?

 データをとっているんだ。


「よかった……どっちかは諦めなくちゃいけないくらい危なかったのに……よかったよぉぉぉ」

 そんなに逼迫した状況だったのか。

 もしかしたら母馬は元々体が弱くて、だけど妊娠しているから碌に魔法もかけられないし、薬も使えずに頑張っていたのかもしれない。


「きみっ、レェリィくんっ! 素晴らしい方陣札をありがとうねっ! あの耐性がなかったら、出産時の負担に母体は耐えられなかったかもしれないよっ」

「普通の『耐性の方陣』より微弱の方がいいのは、やっぱり仔馬がお腹にいるから?」


「いやいや、馬や牛はね、人に効く魔法でも効きにくかったり害になることの方が多くてね。特に、その動物のことをよく知らないとね。方陣でも馬の状態によってはかえって悪くなっちゃうことが多いんだ。だから、神泉浴しながら飼い葉に魔法付与して、外と中からじっくり治したりするのだよ。だけど、魔力が少なめの個体だと飼い葉療法は使えなくって、なかなか治療が難しかったんだぁ!」


 飼い葉療法……斬新なやり方だ。

 まさか食べ物そのものに……あ、そっか、薬を食べ物に混ぜて食べさせるのと考え方は一緒か。

 薬師さんが調合してくれる薬にも魔法がかかっていて、その魔法が体に作用するってのがありなんだからな。


「微弱回復だけでは痛みに対しては何もできなかったんだけど、この微弱耐性は馬にほぼ負担がかからないのに痛み止めになると解ったからねっ! 本当に、君のお陰だよっ! ご褒美にこの新しい命に名前を付ける栄誉を与えようっ!」


 いや、それ、俺には割と罰ゲーム……と思いつつ仔馬をチラ見すると、母馬の陰に隠れつつも愛らしい瞳で見つめてくる……ああああっ!

 可愛い、はやはり正義だと実感する。

 その通りだ。

 馬、激烈に可愛いっ!


 えーと……馬……馬の名前……しまった、競走馬の名前しか記憶にないぞ。

 G1とか三冠馬とかの名前ばかりが、頭の中を駆け巡る。

 競馬はやったことはないんだが、名前を格好良く書いてくれなんていうカリグラフィーや書の依頼はあったからな。

 しかしそういう名前は、ちょっとなー。


 ホース……は、可愛くない。

 カヴァッロはカバロに似ているから駄目だし、シュヴァルは陛下っぽい名前だから不敬になっちゃいそうで却下。

 ラテン語辺りだとどうだ?

 確か……エクウスだったか……雄馬だしこれでいいかな?


「んじゃ『エクウス』でいい?」

「ほぅ、エクウス! うーむ、ま、子供の考える名前ならばそんなものか。うむ、いいだろうっ!」

 ……子供っぽいと?

 仕方あるまい……『馬』に『エクウス』って名付けてしまうのだから、センスがないと言われても。

 だって、急には思いつかないって!


 そしていつの間にか改日時を過ぎ、新しい年は新しい命と共に幕を開けた。

 早くおうち帰って寝なくちゃ……あれ?

 名付けって……加護、授けちゃう感じなのか?


 ……まー、いっか!

 馬、可愛いし!

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