第625話 年終わりの日
その後、雪はあまり降らなくなり、陽の差す日が増えては来たが相変わらず気温は低くていつまで経っても暖かい風が届かない日が続いた。
シュリィイーレの人達はそんな年もあると解っているからか、特に焦った様子は見せていなかった。
錆山が開くのが遅れるのは勘弁して欲しいがなぁ、と言う声が聞こえるくらいだ。
俺はと言えば、いつも通りのいつもの日々に、遊文館と、衛兵隊での訓練と、プラントや茸、チーズなどの食材の世話と収穫。
そして、翻訳作業と製本作業の合間のアクアリウム観察。
大陸史や魔法の考察もちょこちょこと考えつつ……ガイエスとの諸々のやりとり。
転送の方陣のことをビィクティアムさんに話してあるとメモを送った時は随分とほっとしたのか、これで東門でドキドキしなくて済む……みたいなことを書いてきた。
撥水とか冷蔵保存などの方陣は、現代皇国語と神約文字の両方を送っておいた。
組み替えたり、書き加えるなら現代語の方がやりやすいだろう。
ずっとセラフィラントで動いているみたいだけど……水牛の乳、どうなったかなぁ……
そんなこんなで、あっという間に
あー……一番の懸念事項、神務士さん達の後任が全然決まらなーーい。
一年の締めくくり『年終わりの日』、所謂『大晦日』である。
今年もいろいろありました……来年もいい年でありますように。
教会に行って神々に今年一年の感謝を伝え、明日からもまた素晴らしい日となりますようにと願うのはどの町でも同じだろう。
今日は朝から教会を訪れる方々が多いようで、神官さん達も皆さん勢揃い。
司祭様と……神務士トリオが、ちょっと暗い表情なのは『教会再編に伴う異動』のためだろう。
来年の夏までに順次異動ということらしいが、いつどのタイミングでどこに行かなくてはいけないのかはこれから決まるのだ。
神官さん達の異動もあるらしいのだが、シュリィイーレは『直轄地』のため含まれないだろう、とビィクティアムさんは言っていた。
ハブられているだけの気もするが、まぁ気にすまい。
今の神官さん達は皆さん素晴らしい方々だからな、異動などされたくはない。
神官さん達と神務士トリオが忙しく教会で対応に追われているので、今日の遊文館はちょっとスタッフ不足になっている。
久々に俺も加わろうかなー。
遊文館に着くと、いつもよりは子供も大人も少なめだ。
今日は家族でまったりと過ごして、新年を迎えるという人達も多いだろう。
……今夜、ここに来る子達は……いるのかな……
午後になると、遊文館は閑散としてきた。
みんな早めにおうちに帰ってしまうのは当然だが、まだ残っている子が何人かいた。
今は、五人だけ。
これが夕方閉まる時間以降にどうなるのかは、見ておきたいな。
一度スタッフルーム寄ろうと転移したら、丁度やって来たのはトーエスカさんとミシェイラさんだ。
「あれ、こんな日にまで……ありがとうございます、おふたり共」
「はははっ、僕らふたり暮らしだからね。何処で新年を迎えても一緒だしね」
「そうよ。それに、去年も子供達が外に出たりしていないか歩いていたの。今年は、ここがあるから安心だわぁ」
なんと……流石、ご夫婦揃って自警団に入られただけはある。
「それに、ここに来ると子供達が笑っている姿が見られるから、わたくし達大好きなのよ、この部屋」
「ホントだよ。住みたいくらいさ」
嬉しいお言葉だが……居住は無理ですって。
でももう少し、居心地は調えて差し上げようかな。
「毎年、『年終わりの日』や『明けの日』も、ひとりで外にいる子供が多かったんですか?」
俺の問いかけにふたりは多分、と歯切れが悪い。
「いつも見つけても、逃げ出す子が多くてね。この日だけは、家まで来てくれる子が全然いないんだよ」
「そうなの。もしかしたら、この日は絶対に開いている教会かと思っていたのだけれど……」
教会は、大人達が大勢行き来している。
態々そこに行くとは考えづらい……きっと今年はここに来るだろうから、去年は何処にいたか聞いてみるのもいいかもしれないな。
一度家に戻り、今日の夕食は早じまい。
全部片付けも終えたら、家族でゆっくりのんびり。
勿論、メイリーンさんも一緒です。
ライリクスさんとマリティエラさんには、デリバリーでお食事をお届けしているので今頃親子三人でのんびりと……は、ちっちゃい子がいると無理かも。
お夕食後にメイリーンさんを送って……といっても斜め向かいなので青通りを横切っただけなのだが……来年も宜しくと、ほっぺにチュッ。
未だに真っ赤になるんだよなぁ、メイリーンさん。
俺は部屋に戻り、教会でいただいた刺繍紙のカードを机に飾る。
秋祭りにも配られたものだが、中身の神典の言葉が少し違う。
今年は、主神と宗神が『
シュリィイーレ楽団が得意とする演目『明け時の風』という曲の元となっている部分である。
新しい年も神々の祝福の中で、健やかに全てが育まれていきますように、という穏やかだけど力強さも感じる俺も大好きな曲だ。
この曲の音源水晶は、凄く人気なんだよなぁ。
そして、再度遊文館に行ってトーエスカさん達に来年も宜しく、とご挨拶。
衛兵隊文官の、ミストラーナさんも来てくださっていた。
「お久し振りです、ミストラーナさん……よろしいのですか、年終わりの日に……」
「ふふふっ、私も官舎でひとりで居るより、ここの方が同門の方々と会えるから」
同門……って、ミストラーナさんもレイエルスなのか。
「私の父はドミナティア支持だから、こちらにいる方々とは少し系統が違うのだけれどね。マントリエルはレイエルスの教会が少なくて会える機会もないから、ここで皆様にお会いできるのが凄く嬉しいの」
そっか……シュリィイーレは、なかなか会うことのできないレイエルスの方々の交流もあるんだったよな。
「それに、ミストラーナも辛味好きだから、すっごくわたくしと話が合うの!」
ミシェイラさんが、ねー、というようにミストラーナさんに微笑みかける。
確かミシェイラさんの母方はリンディエンの傍流と伺ったが……カタエレリエラで食べたみたいな、タイ料理っぽい辛さだろうか。
なるほど、では今度はずっと作ろうと思っては後回しにしていたガパオっぽいものも作るか。
皆様の前で『レェリィ』に偽装すると、なぜか拍手が巻き起こる。
「タクトくんの『隠蔽変装』って凄いわねぇ……身長まで、小さく感じるわ」
「光系の魔法とかで、視認錯誤させているんだね」
「何度見ても素晴らしい変わりようねぇ、えっと、レェリィくん?」
「はい。ではちょっと中にいってきます」
いってらっしゃい、と送り出されて図書館内へ……増えたな……今は八人だ。
屋上には誰もいないから、全員が一階にいるみたいだな。
あ、オーデルトがいる。
俺が小走りで寄っていくと、オーデルトもこちらに気付いたようで小さく手を振る。
お絵かき教室では俺達の他にも、何人かの子供達も興味を示して一緒に描くようになったので、マダム・ベルローデアも張り切って『作画技能』や『描画技能』のことを教えてくれている。
オーデルトはあっという間に虫以外にも、植物の絵が凄く上手になった。
俺は……シルエット画法から上達はしていないが、何を書いているかは解ってもらえるようになったので大躍進である。
「おまえも、家に大人が集まってんのか?」
「……オーデルトの所も、ここにいる子達も、みんなそうなの?」
オーデルトは子供達の集まっている部屋をチラ見して、俺は違うけど、と呟いた。
ということは、あの子達はそうなんだな。
「去年はさ、みんな何処にいたか、知ってる?」
「多分、南の馬場だと思うぞ。俺は……去年は家にいられたから……」
年終わりの日と明けの日は、家族だけでなく、親戚が居ればみんなで集まったりもするらしい。
家族ぐるみで、友人宅に集まることも少なくないという。
去年は氷結隧道ができたから歩いて移動できるようになったが、なかった頃は方陣札の『門』を予め集まろうと決めた家に貼っておいて移動したのだそうだ。
……うち、シュリィイーレに親戚いなかったから全然知らなかったなー。
そして、家族がいなくなった家でなら、子供達は安心できる……ということもあるのだろう。
『誰もいない家』にはその子達がいて『家族のいる家』からは、大人と居られない子供達は出てしまうのだ。
その時だけでなく、冬場は家に居られない子供達は、南側の外壁沿いに作られている『馬場』に来る子が多かったらしい。
シュリィイーレで冬を越す馬達がいないわけではないのに、今までどうしていたのだろう……と呟いたら、オーデルトが教えてくれた。
これも……初めて聞いたのだが、全く外に出られなくなって運動不足になってしまう馬達は、魔法で温度調節された広めの中庭に作られた『屋根付き馬場』とやらの厩舎に預けられて『家畜医』と呼ばれる所謂『獣医』に面倒見てもらったりするのだそうだ。
……ま、基本的に馬車持ちとか騎乗する方々ってのは、南東地区のお金持ちさん達だからね。
南地区の中庭があるブロックで、中庭全部をその家畜医さんが借りているのだろう。
「家畜医の人が、三十年くらい前から始めたんだってさ。自分達の魔法で南門沿い馬場の雪を溶かすから、馬を走らせていいかって衛兵隊に交渉したらしいよ」
ほほう、それは凄い。
「それまでは、シュリィイーレには家畜医が居なかったから、レーデルスの東に毎年馬達を預けていたんだってさ」
方陣札で馬を移動させて、予め借りていた牧場の厩舎に預けていたらしい。
そういえば、レーデルス自体はあまり大きくはない農耕の町だけど、南のケレアル、領を跨げばロンデェエストのハトル村やウァラクのベスレテアと接しているんだもんな。
交通的には各方面に馬車が走る町だから、馬達を預かる場所もあるか。
「南門近くの緑地が馬場になっているんだよね? 厩舎もあるの?」
「ああ。結構大きくて、ちゃんと魔法が付与されたものがあるよ。だから、雪がない時に行って、方陣札を仕掛けておくんだ。そこを使うのは……だいたい十五、六歳以上のやつらばっかだったけどな」
魔力量的にもそのくらいの年齢ならば千を超えるくらいだろうから、昔の方陣札でも魔石がひとつかふたつあれば充分だろう。
きっと……家畜医の人は、気付いていたはずだ。
移動してきているのが子供達と解って、見逃してくれたのかもしれないな。
「そこにいたやつらも、大人達が集まった家に連れて行かれちゃって別の部屋の隅でうずくまっていたやつらも、今年はここに来てるみたいで……よかった」
「ねぇ、オーデルトはそこに入れる方陣札、持ってる?」
「あ? ああ……一応、ここができあがる前に仕掛けたから……」
「使わせて。札、買い取るから!」
そこに本当に誰もいないか、確かめておきたい。
いるのなら、遊文館があることを知っているのか、知らなかったのなら教えたい。
オーデルトから無理矢理買い取った札で、俺はすぐに南側の外壁沿いの馬場へ移動した。
……誰も、いませんように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます