第614話 冬牡蠣油有識者?試食会

 まずは全てのオイスターソースをそのまま味見。

 グルメ夫妻はファロアーナちゃんを寝かしつけ、まるで戦場に向かう兵士かのような真剣な面持ち。

「当然ですよ、タクトくん。我々の判断が、この料理人たちの今後を決めてしまうかもしれないのですからね!」


 ライリクスさんの決意表明に、マリティエラさんも大きく頷く。

 だが俺のすぐ隣で『多分、領主評は……そんな比重はないぞ?』と呟くビィクティアムさん。

 その声は、使命感に燃えるふたりには届いていないようだ。


「ビィクティアムさんは、どれが一番伝統的だと?」

 俺がそう聞くと、困ったように眼を伏せる。

「シュリィイーレに赴任になってから……全く食べていなかったんでな。正直、昔は食べものなんて、なんでも腹に入ればいいと思っていたから……気にしたことがない」


 まるで覚えていないのですね。

 確かに、食に全然興味がなかったもんなぁ、ビィクティアムさんは。

 じっくりと味を吟味したふたりは、ささっと瓶の順番を入れ替える。


「この順で、右から伝統的なものに近い味、ね」

「完全に『伝統的である』と言えるものは残念ながらありませんが、最も近いものはこれでしょう」


 このふたりの舌は、ミシュラン調査員も吃驚かもしれない。

 ガイエスからもらったものと同じと思われるのは、右から三番目。

 真ん中だね。


 並べられたものを母さんが、味を確かめつつ材料と思われるものを書いていく。

 時折首を傾げるのは、母さんの知らないものが入っているのだろう。

 視てみると……あ、魚醤を入れている人がいるね。


 あー……ちょっと顔を顰めているから、母さん的には好きじゃない味なんだろうなぁ。

 左側ふたつは魚醬入りで、ライリクスさん達はこちらの味の方がお好みのようだ。

 そして伝統的な方は、砂糖の他に水飴が多めに入っていてどろりとしているもので、甘みが強くてごま油が少なめなようだ。

 確かにこれは『美味しいかどうか』を基準にしたら何も決まらなそうだ。

 全部違って、全部旨い。


 最後に俺が神眼さんと【顕微魔法】【探知魔法】のコンボ発動をしながら『魚介鑑定』『覚感技能』など駆使して【加工魔法】も使い完全分析。

 答え合わせは【文字魔法】で行い、百点満点でした。


「……やっぱりぃ……あの味、魚の調味料だったのねぇ」

「母さん、魚醬食べたことがあったんだね」

「むかーし、ね。すっごく生臭かった記憶しかないんだけど」

 魚嫌いの原因のひとつかなぁ。


「タクト『魚醬』っていうのは、魚で作るものなのか?」

「そうですよ、ビィクティアムさん。俺が知っているものは片口鰯が使われてましたけど、いろいろな魚のものがありますね。塩で漬け込んで発酵させ、旨味成分を凝縮させたものです」


 母さんが苦手なのはナンプラーくらい魚臭さが残る一番左のものだから、魚醬の発酵期間の差が出ているのだろう。

 伝統的、というタイプは大蒜が入っていないようだ。

 そちらは玉葱だけが入れられていて、塩が工夫されているみたいだった。

 それと、酒の種類がちょっと違うみたいだ。


 百グラムを量り、その中の材料の分析と成分分析。

 商品ラベルを作っている時みたいな気分だ。

 加護色もその配合でかなり違うから、それも書いておこうかなー。

 ガイエスが送ってきたのは、結構大蒜が多めで黄色味が強かったから、俺としてはこの中で一番食べて欲しい配合だ。


 魚醬が多いものは藍色系だから、ライリクスさんがお気に入りなのも納得。

 もうひとつの魚醬入りは、発酵期間が長い魚醬と玉葱の多さで黄色味かかった緑が多くなっていた。

 伝統的な方は水飴の効力か、青が強めで仄かに黄色味が漂う程度。

 さてさて、加熱するとどうなるかなー?


「……タクトくん、ここで作るの?」

「うん、すぐできるから、ちょっと待っててねメイリーンさん」

「うちには調理用の器具が全くありませんよ?」


 厨房に行こうとすると、ライリクスさんから制止が入った。

 存じておりますよ、お二方が食べるの特化で一切作らないことくらいは。


「うちで作っちゃうといろいろ凝り過ぎちゃいそうなので、ここくらい何もない方が簡単に味の違いが解るものができそうだと思いまして」

 使うのは、今、父さんが持ってきてくれた保存食になっている『蒸し野菜のホットサラダ』六袋とイノブタ肉。

 余分なことをしないで、どれも同量の野菜と肉を、同量のオイスターソースそれぞれで炒める。


 鍋もフライパンもなくて大丈夫。

烹爨ほうさん魔法】で作った空気の器は、水分なしで加熱すれば炒め物にだって使えるのですよ。

 野菜が茹でてあるから、お肉に火が通ってしまえばだいじょーぶ。

 残念ながら【調理魔法】持ちだと、こういうシンプルなことはできないんだよねー。

 だって、味付けを調整しないなんてことは、あの魔法ではできないのだから。


【調理魔法】の欠点は『知らない味のものが作れない』ということだ。

 良くも悪くも知っているものの味になるから、まったく新しい味のメニューってのができない。


 だから冬牡蠣油の品評で態々『革新的がどうか』なんてものを作らせようとしているのは、味への探求心を鈍らせないためだろう。

 特に、段位が低い人ほど、それが求められているのかもしれない。


 熱を加えるとオイスターソースはそれぞれ変化していく。

 最も伝統的なものとされた冬牡蠣油は、水飴ときび砂糖が使われており大蒜は入っていない。

 これは火を通すと水飴の影響か、赤が濃くなり牡蠣の黄色味は薄くなる。


 次に伝統的と言われたものには、水飴のみで砂糖が使われていない。

 こちらも大蒜は入っていないが玉葱の量が多く、火を通すと残念ながら黄色味がなくなって赤のみになってしまう。


 そしてガイエスからもらった、ベルレアードさんのオイスターソース。

 こちらは、きび砂糖のみで水飴は使われていない。

 そしてこの中で最も大蒜が多めで、玉葱も多めだからか黄色味がとても強い。

 火を通しても全く消えないのは、海塩だけを使っているからだろうか。

 他の人達は、何種かの岩塩も一緒に使っている。


 お次は水飴と砂糖が使われているが、きび砂糖ではなく王都で好まれている蔗糖しゃとうである。

 砂糖に不純物がない分、色味が単調だ。

 でも大蒜を少し入れているせいか、火を通さなければ黄色味がある。

 火を通してしまうと残念ながらほぼ赤のみ。


 そして魚醬入りのふたつは、どちらも水飴ときび砂糖。

 発酵期間の長い方の魚醬を使っているものだと、青と黄が多めだった。

 大蒜が少し入っているせいだと思う。

 火を入れると緑っぽくなって、魚の香りが抜けて牡蠣が強く感じられるがちょっとしょっぱい。


 発酵期間短めナンプラータイプ入りは海塩が多いのか、火を入れると藍色が出て来る。

 こちらは大蒜が入っていないようで、玉葱も少なめ。

 海のものが多いから、火が入っても藍色になるのだろう。


 面白いなー、こんなにも変わるんだなぁ。

 海のものって、予想がつかないものが多いんだよなー。

 あ、入れ物……は、丼もの保存食の空き容器が洗って積み上げてあったので、ちょっと拝借。


 ソースの瓶の底に、製作者の名前が書かれてたのでそれぞれの特徴と成分表、材料の比率、そのままの状態と火を入れた時の加護色など全部のデータを書いた。

 さぁ、では皆さんにこのデータを見せる前に、試食といきましょうか。

 これって、このままお昼ご飯だね。

 じゃあ、パンもご用意致しましょうか。



「……違う味になるものなのねぇ」

 母さんや【調理魔法】保持組は『同じ人が同じ素材で作ったもの』なのに、味が違うというのが不思議なようだった。

 調味料が違っても【調理魔法】組の作った料理は、補整が入って自動調味しちゃって『同じ料理は同じ味』に仕上がるからだよねー。


「全部同じ料理で同じ人が作ってこんなに変わるというのは、僕も初めてですねぇ……実に面白いです」

「本当ね……これ、凄く美味しいわ。私、こっちの少し味が濃いのが好きだわ」


 そしてグルメ夫婦が言うには、牡蠣の味が濃くなる四回目の冬牡蠣油がとにかく旨いという情報を得た。

 ビィクティアムさんがぴくっと動いたので、買ってきてくれるかも……

 いや、ガイエスに頼んじゃおうかなぁ、予約……


 グルメ夫婦が気に入ったのは、ライリクスさんはナンプラータイプ入りでマリティエラさんは長期醗酵魚醬入り。

 メイリーンさんも、そのままだとマリティエラさんと同じものが美味しいと思うみたいだけど、料理をしたものだとベルレアードさんのオイスターソースがいいと言う。

 父さんは大蒜なしで水飴ときび砂糖使用のもの、ビィクティアムさんは蔗糖しゃとうのものとベルレアードさんのものと迷っている感じだ。


 そして、俺と母さんの意見はベルレアードさんのもので一致した。

「んんー、これかぁ、確かに旨いんだが……」

 父さんが少し、そのままのものを匙で掬い取ってから呟く。

「あらやだ、これはねぇ『料理をするには一番』なのよ。ねぇ、タクト?」

「うん、そうだね。俺も料理で使いたいって思うのは、これだなー」


 ビィクティアムさんが迷っていたのは、そのまま食べた時に美味しいと感じる方と、料理をした時にいいと思ったものが違ったからだろう。

 皆さんの裁定ができたところで、データを公開。


「なるほどな……これは、いい指針だが、加護色も書いてあるな。これが偏っていたら、旨いと感じるものが違う……と言っていなかったか?」

「『美味しさ』という主観的なものは変わります。だけど、いつもいつも、加護神によって左右される訳ではありません。魔力の均衡が保たれていなければ、足りない物が美味しく感じるのです。そして、これが解っていれば他の足りない加護色を補って調理して、美味しくて身体にいいものができますよ」


「その加護色は、おまえにしか見えないだろうが」

「いえいえ、食品栄養学の教科書に書いたじゃないですか。日常よく使う代表的なものを『色分け』した一覧表。アレを参考にして、食材を組み合わせてくれればいいのですよ」


 ビィクティアムさんが、かなり吃驚した顔をしているが……試験研修生調理実習用に、今年の改訂版をお手伝いしましたよー。

 あれ?

 ライリクスさんも?


「タクトくん、加護色だなんて、一言も……」

「書いたらそればっかり食べようとする、変に信心深い人達がいるから伏せていたのです。満遍なく、沢山食べるってのは、加護神に拘らなくてもやって欲しいことですからね」

 なぜ、頭を抱えるのだ。


「あれが、そんな重要なものだったとは、思いもよらなかった」

「加護が見えるってどれほど凄いことか、タクトくんは自覚がなさ過ぎますよ?」

「ビィクティアムさんだって成長が感じられたりするし、ライリクスさんは隠し事が視えるじゃないですか。それだって『加護が視えている』んだから、変わらないですよ」


「あのなぁ……加護としての魔眼や感知があったとしてもだ、それがどの神々の恩寵かとか、そうそうはっきりは解らないものなんだぞ?」

「タクトくん、君の魔眼、もしかしたら『神眼』になっているんじゃないですか?」

「そうだとしたら、神話の英傑そのものじゃないか」


 ……初めからそうです、とは言えん。

「まぁ、今更、おまえの魔眼が神眼でも驚きはしないがなぁ。タクトは昔っから、変によく視えていやがったから」

「そぉねぇ、負担にならないなら、どっちでもいいわよねぇ?」


 さすが、父さんと母さんは鷹揚である。

 メイリーンさんも、このふたりとそういうところがよく似ているので気が合うんだろう。

 こくこく、と頷きながらイノブタ野菜炒めを完食している。


 ビィクティアムさんとライリクスさんは俺……というより、俺達家族に呆れ顔だ。

 すみませんね、聖属性なんかにはイマイチ鈍感な上に、拘りのない家族で。


 お茶会が審議会になってしまったのですが、うちでは魚醬なしオイスターソース四本をいただきました。

 ナンプラータイプはライリクスさん、そして魚醬タイプはメイリーンさんとマリティエラさんで半分こするようです。

 ……ご領主様の分は、なくていいのかな?


「その冬牡蠣油を使って、何か作ってくれればその方がいいと思う。今日でなくてもいいから、そのうち頼めるか?」

「はいっ!」


 それならば、喜んでっ!

 あ、グルメ夫婦がこっちを見ている……ハイハイ、大丈夫ですよ、皆様にも作りますって。

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