第613話 お茶会とお願い事
そうして今年も最後の一ヶ月、
うちの食堂は夏場と同じ、お休みは十日に一日というサイクルに戻った。
毎月、一日、十一日、二十一日が定休日である。
食堂お休みの今日は、久し振りにライリクスさんのおうちで父さん、母さんとメイリーンさんも一緒のお茶会である。
……なぜか午前中からだが、十時のおやつタイムと思えば丁度いい。
多分、午後はまたライリクスさんがお仕事モードなのかもしれない。
やれやれ。
ファロアーナちゃんにデレッデレのライリクスさんの姿も、みんなもう見慣れてしまっているから溜息を吐くこともない。
相変わらず、ファロアーナちゃんはローズクオーツのような瞳が可愛らしい。
しっかり首も据わって縦抱っこができるようになったので、視界が広がったせいかいろいろなものに興味津々のようだ。
離乳食作りは、ふたり共すっぱりと諦めたらしく、うちのラインナップがしっかり棚に並べられている。
よかった、これで危険の半分は回避できた訳だ。
ファロアーナちゃんは結構メイリーンさんと仲がいいのか、近付くと手を伸ばして『だぁ、だぁ』と笑顔さえ見せる。
そして、メイリーンさんが指を近づけると握って離さない。
俺もやってみたらノーリアクションで、じーーーーっと見つめられた。
『何、これ?』か『あんた誰?』だろうなぁ。
俺が来る時は、いっつも寝ちゃってたからねぇ、ファロアーナ嬢……
「あら、ファロったら、タクトくんのこと気に入ったみたい」
「え、『何この不審者?』じゃないんですか?」
「嫌だって思うと見もしないし、近寄ると泣いて大変なのにずーっとタクトくんのこと、見ているもの」
目の端でちょっと、ライリクスさんが俺を睨んでいるような気がするのは、気のせいってことにしておこう。
これも、聖魔法効果だろうか。
だが、にこっとした途端に、ぷいっとそっぽ向かれた……地味に傷つく。
女の子は、何歳でも謎だ。
メイリーンさんに慰められるように、すりすりと背中を擦られた。
お茶会のお菓子は、日本式バウムクーヘンです。
ドイツの本場のものだと、ちょっとパサパサ過ぎてしまうのだ。
あれはあれで、スパイス利かせたりしてると美味しいんだよねー。
今回はフォンダンのアイシングとショコラ掛けの二種類で、直径七センチくらいだけど高さ四センチくらいの厚切りタイプを作ってみました。
円筒形のままで、扇形にカットしていないから存在感と見た目ボリュームの割にはふわふわだから食べきれますよ。
【
オーブンがネックでバウムクーヘンは作れなかったから、これについては凄く嬉しい。
そこへ遅れてやって来たのは、ビィクティアムさんだ。
「すまんな。ファイラスがまだ王都から帰らんから、いろいろと書類が溜まってて遅れた」
「……それで南門にまわってくる分が、一向に減らないんですね?」
「あの件が、やっと動きがありそうでな……暫くは戻れないかもしれん」
「食事に耐えられなくなりそうですね、副長官」
「だぁぁっ!」
ファロアーナちゃんの両腕が、ビィクティアムさんに伸びビィクティアムさんもニコニコとその手を握る。
あ、ライリクスさんの眉間にしわが!
なんとファロアーナちゃんの一番のお気に入りが、ビィクティアムさんなのだ。
このお嬢さんは細マッチョさんが好きなのか、制服姿が好きなのか……
どうやらライリクスさんが制服を着た時は無反応だったらしいので、ライリクスさんは筋トレを始めたのだとマリティエラさんがこっそり教えてくれた。
一緒に頑張りましょう!
ライリクスさん!
だが、今日はファロアーナちゃんを抱かずに、珍しく持って来た大きめの袋をテーブルに置く。
あ、うちのトートですね。
保存食、沢山買ってくれているもんなー。
毎度ありー。
「実はな、みんなに少し……協力して欲しいことがある」
ビィクティアムさんが真剣な面持ちで、珍しいことを言うもんだからみんな思わず動きが止まる。
そして、トートバッグから予想外の物が取り出された。
「冬牡蠣油なんだが……」
「「冬牡蠣油っ!」」
ビィクティアムさんの言葉に、思わず俺と母さんが同時に声を上げてしまった。
その場の全員が、俺達の声に一瞬で凍り付いたかのように動きを止める。
父さんは、珍しく大声を上げた母さんに随分と驚いたみたいだ。
「な、なんだ? どうしたんだよ、ミアレッラ? 冬牡蠣油?」
「セラフィラントの冬牡蠣油はねっ、なかなか手に入らない『至高』って言われる調味料なのよっ! それが……こん、こんなに……っ!」
そうだったのかーーっ!
俺は思わず口をついて出てしまっただけだったのだが、海産物が苦手な母さんがこんなに驚く上に興味を示すとは。
父さんは思わず呆れた顔をする。
「おめー、牡蠣は苦手って言ってただろうが」
「そりゃあ、貝のままってのが解っちゃうと見た目が嫌なのよ……それに、あの食感? こう……なんていうか……『ぬっ』……って感じじゃない?」
なんだよ、母さん『ぬ』って。
まぁ、なんとなく解るけどねー。
そういえば、母さんは茄子の食感も嫌いだったなー。
俺が作った茄子の揚げびたしも『ぬ』って言われた気がするー。
至高とか言われてなのか、知っているのか、もうひと組の食いしん坊夫婦が眼をキラキラさせている。
「その、冬牡蠣油が、どうしてこんなにありますの、お兄様?」
「父上から『今年の品評からおまえがやれ』と、押しつけられた」
溜息混じりのビィクティアムさんから、毎年冬牡蠣油の『品評』が行われて優秀者には表彰があるのだそうだ。
そもそも冬の真牡蠣で、セラフィラントのオイスターソース作りの歴史が始まったらしく、その元祖の味を守っている人と、新たな味にチャレンジして素晴らしいものを作った人を毎年表彰するのだそうだ。
だが、真牡蠣は毎年夏の岩牡蠣ほどは多く取れないため、その年に調味料販売許可をする料理人を六人選ぶ。
四人は実績のある料理人、ふたりは必ず料理人になって五年未満の新人から選んで、食品組合と調理師組合の主催で買い付けた真牡蠣を使って行われるものだそうだ。
真牡蠣は勿論、その他の人達も買えるし冬牡蠣油も作ることはできる。
だが『セラフィラントの冬牡蠣油』というブランドで調味料としてその年の物を販売していいのは、毎年選ばれるその六人だけ、ということのようである。
つまり、この六人の作ったオイスターソースだけは、あの領印章が付けられて販売されるのだ。
まぁ、その他の人達は真牡蠣を買えるとはいってもそもそもが高価なので、そんなに沢山は仕入れられないだろうしオイスターソースを何本も作って売るほどは手配できないだろう。
養殖は、未だに魔魚の関係でいろいろ難しいらしいから。
その選ばれし六人の中で、一回目に作った冬牡蠣油を品評するのだそうだ。
彼らが冬から春の終わりまでの間に三回から四回ほど作って販売するものは、その年の冬牡蠣全体の売れ行きにも関わってくるし、翌年以降の料理人としての評判も左右される……らしい。
この格付けってやつは、俺としてはどーでもいいとは思うのだが世間一般では違うのだろう。
「俺が調理ができるようになったからとか、子供もできて次代と確定したからとか言っているが、あの人はこういう『政治や防衛に関わらないこと』を決めるのが苦手だから俺に押しつけただけなんだよ」
ビィクティアムさんがまた、大きく溜息を吐く。
「前回も『全部旨いのにどうしろというんだ!』って、随分悩んでいたからなぁ」
そういえば、セラフィラント公は俺への報奨とか、領印章の時とか、すっごく迷っていたみたいだもんなぁ。
さもありなん。
俺が視た感じ、どのオイスターソースもキラキラだもんなー。
その色合いがちょっとずつ違うって感じだから、選びにくいだろうなぁ。
そして割とビィクティアムさんも、悩むタイプなのである。
だがどうやら、それだけではないみたいだ。
「だったらよぅ、ビィクティアムがちょいっと料理してみて、好きなものとか旨いものってのを選べばいいんじゃねぇのか?」
「そういう訳にもいかないのですよ、ガイハックさん……この品評では、選ぶ基準が『美味しさ』ではないんです」
父さんも、母さんも、メイリーンさんも、そしてグルメ夫婦も首を傾げる。
食べ物で一番評されるのは『美味しさ』なんだろうに、と。
「そもそもの品評の目的は『如何に伝統的であるか』という点と、その『伝統を打ち破っている革新的な作り方』をしているかなので、美味しいのは当たり前のこと、なんです」
なるほど。
審査ポイントが『大元のレシピに何処まで忠実で元祖の味が保たれているか』ってことと『それを守ってはいないが革新的で今後も作り続けるべきである』と判断できるかってことで『どちらも美味しくて当然』であり、美味しくないという判断がされるということではない訳だ。
美味しさなんてものは個人の好みだから『判断基準としては意味がない』……ということなのだろうか。
こういうところ、ホント真面目だねぇ、ビィクティアムさん。
適当に選ぶってこと、しないんだなぁ。
しかし、それではそもそもの伝統的な味とやらを知らない俺達に、何を手伝って欲しいのだろうか?
「ライリクスとマリティエラは、伝統的な冬牡蠣油の味を覚えているだろう?」
「ええ。大好きだもの。絶対に『伝統的』というものと、そうでないもののふたつを買っていたわね!」
「僕も態々、毎年予約してまで買っていましたからね。今年は……しそびれましたが」
それ、春になったら買いに走っていたってことか……
凄いな、食い道楽って。
「料理しなくても、あれを付けて野菜を食べるだけで美味しいのよね」
「昔は冬場の食事事情が酷かったですからねぇ……冬牡蠣油をパンにつけて食べるだけなんてこともしました。硬くてつらかったのを思い出します……」
「でも大概、春に買ってたから、次の冬までもたなかったわよね」
流石、グルメご夫妻……そうか、そうやって元々のオイスターソースの味を知っているから、か。
料理をしないのなら、当然そのものズバリの味を口にしているからよく覚えているってことなのかも。
「それと、タクトとミアレッラさんは『材料に何が使われているか』が、食べれば解るだろう?」
「そうねぇ、だいたいだけど」
はい、完璧に分析できます。
なんなら成分表もキッチリ書けますので、分析解析はお任せください。
……やっぱり、料理人じゃないな、俺。
「ガイハックさんとメイリーンはまだ【調理魔法】の段位が特位でないと聞いたから、味覚調整が俺より料理をした時にされてしまわないと思ってな」
て、こたぁ、ビィクティアムさんの【調理魔法】は、特位になっちゃったってことですかい!
そういえば、ノエレッテさんに窘められちゃうほど料理していたんだっけ。
今年の試験研修生、迅雷の英傑の料理を口にしているのかもしれない……なんと恐れ多いことか。
あれ?
父さんが微妙な表情に……ま、まさかっ!
「
メイリーンさんも、もじもじしてるっ?
「私も……です」
くっ、こっちもかっ!
皆さん成長が早過ぎっ!
だけど、メイリーンさんは母さんとここのところ毎日のように台所できゃいきゃいしてたし、父さんも一緒になって酒のつまみ作りに勤しんでいたもんなぁ。
俺が【
まだ段位だって、やっと二位なのにっ!
「そ、そうですか……そのままの味と、料理の際にどう変わるかっていうのが、一番解りやすいと思ったのだが……」
相当がっかりしたようで、がくーんと肩を落とすビィクティアムさん。
「タクト、あんたが料理したら違いが解るんじゃないのかねぇ?」
母さんの一言にビィクティアムさんが『きゅーーん』て感じの視線を投げてくる。
はい、はい、できますよー。
【調理魔法】持ちさん達はお味の自動調節に頼っちゃって、味見をする度に自分好みに勝手に調整されちゃいますけど、俺にはそーいう技能はまーったくないですからー。
そして見本料理作りが終わったら、ライリクスさんたちとうちで山分けして、料理にも使っていい……とビィクティアムさんからお約束を取り付けた。
ほっほっほっ!
これで堂々と、ガイエスからもらったオイスターソースの料理も出せるぞーー!
さーて、何を作りますかねー。
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