第601話 お休みの日は休みましょう

「おはようございまーーす」

 まずは元気なご挨拶から。

 挨拶というものは、人の心を開きやすくする第一の鍵である。

 お願い事をしたい時は、特に必要な最初の一歩といえよう。


 扉を開けてくださったのは、マリティエラさん。

 一時期授乳と夜中の子守で寝不足気味だったお疲れなどすっかりなくなった、相も変わらず『綺麗なお姉様』である。


「あら、いらっしゃい、タクトくん。どうしたのかしら、朝早くから?」

「すみません、マリティエラさん。実は、ライリクスさんにお願いがありまして」


 俺は事情を掻い摘んでお知らせする。

 マリティエラさんは、ちょっと溜息をつきつつ静かにね、と俺を招き入れる。

 ファロアーナちゃんが寝ているのだろうか?

 え、足音も?


 そーっと中に入って、これまた、すすすー……と開いた扉はライリクスさんのお部屋のようだ。

 右手奥、窓際にデスクがあって書斎のようになっている。

 俺にそっと、付いて来て、と囁いたマリティエラさんが、ライリクスさんに近付く。

 その後を足音を立てずにそろりそろり……デスクで寝てるって訳じゃないよね?


「ライ、ファロは眠ったわ」

「そうですか、もう少しだけ……ふおぁあっ?」


 おはよーございまーす。

 てへっ。


 マリティエラさんの言葉に振り返ったライリクスさんが、お姉様の後ろにいる俺にめっちゃ驚いたようで頓狂な声が出た。

 ライリクスさんが慌ててばばっと隠すようにしたのは、どうやらお仕事関連の書類ですな。

 あ、内容は見ないですから大丈夫ですよー。


「なんで、タクトくんが……」

「あなたに、聞きたいことがあるんですって」


 そうマリティエラさんに水を向けられて、俺が衛兵隊修練場の構造と付与されている魔法を教えて欲しいとお願いしたら……ちょっと照れ隠しのような渋い顔になった。


「そういう施設のことは、副長官に全部……」

「ファイラスさんは今、王都で戻りが明後日の予定なのです。ビィクティアムさんも、ご領地にお戻りですし……図面や魔法の詳細を知っている方がいないんです」

「僕は今、休暇中なんですよ」

「……今、仕事していらっしゃったじゃないですか?」


 育休中なのに、在宅ワークしてましたよねー?

 いろいろ気になっちゃって、仕方ないんでしょう?

 もしかしてぇ、『移動の方陣』使って南門事務所と行き来していらっしゃるのではないですかぁ?

 マリティエラさんがクスクス笑って、そうなのよ、とライリクスさんに寄り添う。


「この人ったら、いっつもお兄様のことを働き過ぎとか、もっと休むべきとか言うくせに、自分もこうなの。今回だって聞いちゃったら、気になってしまって黙って休んでいることなんかできないくせに」


 ワーカホリックは、お貴族様の直系であるほど強い特徴なのだろうか……

 いや、セインさんは違うから、そうとも言えないか。


 こういう休みだって言っても頑張ってくれちゃってる方がいてくれるから、仕事ってまわるんだよなぁ……だけど、表立って『いいこと』とは言えないよね。

 他の人が休みでも気を遣うようになっちゃったり、休みイコール在宅ワークなんてのが常態化するのは健全とは言い難い。

 まー……ライリクスさんは統括だから、ある程度しゃーないのかなー。


「……し、仕方、ないですねぇ……修練場は、そろそろ大幅な修繕を検討しているので【付与魔法】自体が、全体的に弱まってしまうのは想定していたのですよ。だから、あれほど気を付けるようにと、言っておいたのに……」


 皇国の建物が石造りなのは、石が最も魔力と魔法の保持力が高いからである。

 だが、それでも半永久的という訳にはいかないし耐用年数もある。

 修練施設はなんと、もう二千年ほど前のものらしく大規模な修繕が計画されているのだという。


「その時に、タクトくんにしっかりと全部【付与魔法】をお願いするつもりだったのですが、近年の大雪や今年は気温の低下が早かったことで、負荷が大きくなって魔法が例年より早く弱くなったのでしょう。この時期に長官も副長官もいないのは想定外でしたが……まぁ……あの関連では……あ、タクトくん、なんとかなりそうですか?」

「では、応急措置的に一番外側の外壁にだけ、温熱効果のある付与をしても平気ですか?」


 図面がさっと出てきた……机の上に置かれていたってことは、本当に来年すぐにでも計画されていたことだったのかもしれない。

 この町の建物も、結構全体的に古いからなぁ。

 これから暫くは教会や組合事務所なんかも、修繕対象なのかもしれないね。


 そっか……ファイラスさんが王都に行っているのは、その手続き関連か。

 春になったら動き出すんだな……で、ファイラスさんが苦手な書類関連を、ライリクスさんがコソコソサポートしているってことか。

 副官のランタートさんが、試験研修生担当になっているからなぁ、今年。


 そういえば、遊文館着工の時に石工師組合のドライアンスさんが『今年中でよかった』……みたいなことを言っていたよな。

 来年は、かなりの量の石材を使う予定があったのかもしれないし、人手の問題があったのかも。

 ナイスタイミングだったぞ、俺!


 見せてもらった設計図は、やはりこの官舎の建物と一緒で壁が独立二重構造になっている。

 ならば外側だけをこの設計図上で設定してしまえば、中に付与された魔法には影響が出ないだろう。


「突然のお願いですみませんね、タクトくん。ちゃんと魔法師組合には指名依頼の手続き入れておきますから」

「ありがとうございます! では、この図面、お借りしていきますねっ」


 立ち上がりかけて、一旦止まる。

「ライリクスさん、育休中の『お仕事』はお子さんとお母さんと一緒に行うもの、ですよ? 衛兵隊のことは、衛兵隊の事務所内でなんとかしてくれるはずですから、ね!」

「……はい、そうですね。つい……気になってしまうのですよねぇ」

「じゃあ……離乳食作りでもやってみる、とか?」

「それはダメよ、タクトくんっ!」

 間、髪を入れずといった具合の、マリティエラさんからの制止の叫び。

「食材が、可哀相」


 マリティエラさんの言葉に、ライリクスさんは目を伏せてぐうの音も出ないということですか?

 ……なるほど、既にトライしてエラーを引き起こしていらした、と。

 このご夫婦、仕事は一流だが家事はからっきしなのですな。

 簡易調理魔具、完全敗北か……


 まぁ、直系のお貴族様というものは、そんなものなのかもしれない。

 ビィクティアムさんがあんなに料理上手になったのは、ミラクルなんだなぁ、やっぱり。

 でも、家事なんて……掃除も洗濯も【洗浄魔法】とか【浄化魔法】でいいし、炊事はしないし……本当に子守り特化?

 仕事もしたくなるってもんかぁ……


 そして修練場に戻って図面を確認しつつ『一番外側の防犯魔法に干渉しないギリギリの内側』と『中の【付与魔法】を無効化してしまわないギリギリの内側』の範囲に適温キープの魔法を付与。

 図面が読めてよかった……ありがとう、ヴェルテムス師匠!

 お陰で範囲指定がきちんとできます!


 今までの電熱的に使っていた黄属性系の熱ではなく、緑属性の【烹爨ほうさん魔法】ベースの熱制御にしてみました。

 触っても温かさは感じないけど、内も外も一定温度に保てます。

 こっちの方が、付与が楽だ……素材との相性がいいからかもしれない。

 緑属性って金属はイマイチだけど、石とは親和性があるんだよなー。

 ちょっと不思議。


 付与が終わった途端に、凍り付いてしまっていた全ての扉と窓が動かせるようになって皆さんから殊の外喜ばれた。

 どうも付与が弱くなると、うっかり火系魔法と加熱系の魔法で直接溶かしてしまった雪があっという間に凍り、大惨事になることがよくあったらしい。

 その時は物理的になんとかしていたようで、温度キープできないって大変なんだなーと、改めて思った。


 あ、【烹爨ほうさん魔法】……魔法師組合に登録しておかなきゃ。

 緑系だから、上位でも問題あるまい。

 あくまで、煮炊きの上位、という判断で!


 トレーニング明けのランチは、皆様からの感謝のメニュー。

 俺の愛するイノブタの生姜焼きっ!

 ……生姜焼きなのに、トマト味。

 いや、生姜もたくさん入ってはいるのだが、初めてのコラボだな赤茄子は。


「美味しい……! 予想外に合う」

「そうかっ? よかったーー。俺の生まれた町では、赤茄子入りが当たり前だったんだけど、シュリィイーレでは全然なかったからさー」


 作ってくださったのはスタイアルムさんだ。

 元々料理が得意で、確かルシェルスのご出身。

 やはり赤茄子料理は、ふんだんに採れる南側の地域が多いんだなぁ。

 お野菜の産地一覧とか……欲しいなー。

 作ろっかなー。


「タクトくん、食事中……?」

「終わりましたよ。リエンティナさん。何か?」

「今、教会からお使いの方が来て……一緒に教会まで来て欲しいって」


 んんん?

 なんか、あったのかな?

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