第593話 繋がる文字
寒い。
今年は雪の量はそれほどでもないのだが、とにかく寒くて風が強い。
北側はマジでカチンコチンに隧道が固まり、素手で触れたりするとドライアイスにでも触ったかのようにくっついてしまうという。
そして家から馬車道へ降りる階段が、隧道の中であっても凍っているためかなり危ないらしいのだ。
南側は、馬車道と一階の出入口にほぼ段差がない。
だが、北側は山の斜面に添って家々が建てられているから、なるべく斜度がなく造られた馬車道と高低差が出ている。
だから、家や工房の玄関口が道に面しておらず、必ず坂道や階段がある。
北に行けば行くほど馬車通りとの高低差があって、南側の家二階分くらいを上り下りするような所もあるのだ。
そのせいで、錆山へ入るあたりの真北には民家はほぼなくて冬場に稼働しない工房とか、閉めてしまう武器や防具の店舗なんかが多いので大変なのは北東や北西側なのだ。
北東側にはまだ倉庫などがあったり、衛兵隊の大きめ施設があるから道幅が広くて馬車通りに降りやすい。
しかし、北西側は個人経営で自宅一体型の加工工房が多くて、出入りする道幅も環状道路以外は狭い。
その北西地区の各家から馬車通りへの階段で、今年はかなりうっかり凍りつかせてしまって降りられなくなった人が多いらしい。
北側に住む人達は、赤属性の火魔法が使える人達が殆どだ。
加工工房でも、金属や石などを扱うところは特に赤属性の人達が暮らしている。
この町では、火系の魔法はかなり便利だからなー。
いつもの年みたいに、火で溶かしておけば大丈夫と思ったのだろうが、今年の寒波を甘く見てしまっていたのだ。
溶かしたそばからあっという間に凍ってしまい、溶かせば溶かすほど危険な階段や坂道になってしまったのだろう……
自警団の皆さんや、衛兵隊の方々はそういう家々を個別訪問し、移動の方陣鋼と目標鋼の設置をしてもらっているようだ。
この地道で確実な『お宅訪問』の結果……この町に住む千数百人、ほぼ全員に移動の方陣鋼を持たせることに成功したのである。
実際に困るまで『そんなものいらん』って思う人が多いってのは、何処でも一緒のようだ。
そしてこのこともあり、全ての子供達にも『遊文館移動用千年筆』を配ることができたのである。
「そうですかー、それはよかったぁ」
久し振りにシュリィイーレに戻ったビィクティアムさんが、これまた久し振りに自宅にいるというので、お刺身の盛り合わせ持参で色々と相談にのっていただこうかとやって来ました。
そして、聞かせてもらったのが今の話である。
これでちょっとは安心かなー。
「で、おまえの方から来るってことは、うちの蔵書か?」
「それもあるのですが……ちょっと俺が認識違いをしていた部分があったみたいなので、確認していただきたいのと確認が取れたら訂正をしたいのです」
ちょっと怪訝そうな顔のビィクティアムさん。
俺がお願いしたのは、各ご家門で『前・古代文字と古代文字の本の書かれた年代の調査』である。
「書かれた年代?」
ビィクティアムさんに尋ねられ、軽く頷く。
「俺はずっと、前・古代文字から古代文字に『時代と共に』変わっていった、と思っていました。でも、セラフィエムスの蔵書だけでなく、サラレア、ハウルエクセム、レイエルス、それとリンディエンの一部を併せて見ていくと、どの家門もある年代からぱったりと前・古代文字の本がなくなるんです」
「……それは……『信仰が揺らいだ』から、ではないのか?」
「俺もそうかと思いました。だけどそれだと、その後の年代でも『方陣と誓約』にだけ前・古代文字が使われ続けた理由が解らないんです」
そう、信仰が揺らぎ、否定された時代ならば、まずやり玉に挙がるのは『方陣』だと思う。
しかし方陣は少なくはなったものの、前・古代文字の記載が残されたまま使われ続けているものがそれなりに存在している。
「だから、信仰が揺らいだと思われている時期がずれていたということと、前・古代文字と古代文字はかつては『併用されていた』のではないかということです」
セラフィエムス第十二代ご当主の頃に、現代皇国文字の使用が神々に認められて、皇国語は三種の文字を使えるようになった。
皇家だけでなく他の貴族の方々も全員が、現代文字ができたのは『古代文字はその時代に神々を裏切ってしまったために読むことができなくなった文字で、今一度神々に認められる文字が必要だったからだ』……と思っていたはずだ。
だが、おそらく違う。
古代文字が読めなくなったのは『時代の移り変わりで、文字の書き方が多様になり過ぎたために混乱した』からということと『統一するために取り入れた現代皇国文字の方が使いやすかった』からだと思う。
日本でもあったよね、明治の時だったかな?
変体仮名は一部を除き使用しませんって決めたことが。
その後の時代では、あっという間に『昔のもの』が読めなくなっていった。
「古代文字は、話し言葉とはまったく別の『書き言葉用』として作られていたものだと思います。だから、話し言葉をそのまま文字にできる現代皇国文字が必要になった。理由は多分、その頃に皇国に移民として入って来る人が多くいたから」
きっと、リューシィグール大陸に何かあったと思われるのはその頃じゃないかと思うんだよね。
増えたのは『移民』であり『避難民』ではないかと思う。
全く言語体系が違う人に『話し言葉』を理解してもらうためにも、現代皇国文字が必要だったんじゃないかな。
「……では、どうして前・古代文字は、なくならずに残ったんだ? 古代文字が、書き言葉として契約にだって使えただろうに……」
「前・古代文字は『元々神々との会話や誓約のための言葉だった』からです」
「なんだと……?」
引き続き俺の立てた仮説として、ビィクティアムさんには聞いてもらう。
「前・古代文字はそもそも『古代文字と同じ時代の文字』で、古代文字は人々同士で使う文字、前・古代文字は人が神と話す……というか、意志を伝え合うための文字だと思うのです」
「同じ時代に存在した、と? ならばどうして前・古代文字の本や神典……あ……」
ビィクティアムさんも気付いたと思う。
『前・古代文字のものは魔法と歴史、そして誓約に関することが書かれているもの』ばかりだということに。
そして、ビィクティアムさんは、確認するように呟く。
「前・古代文字で書かれていたものは、神典・神話・生命の書などの魔法と技能の書・医術書という神々の創った人というものに関する書。そして、この国の貴族達と従者達の継がれるべき魔法に関すること……」
「そうなんです。全て神々からの恩寵や、その知識の本ばかりです。前・古代文字で神々から与えられて、そのまま写したものと、内容を別の人に伝えるために古代文字に訳していたものがあった……と考えると、同じ内容で微妙に間違って写されていると思えるものが古代文字の方にだけあるのも納得なんです。前・古代文字の方は『神々がご覧になって間違っているところを直してしまわれる』のですから」
……多分。
この世界には姿は見えなくても、会話ができなくても神々がいる。
その神々が、唯一人々との双方向コミュニケーション方法として用意したものが『前・古代文字』なのだ。
となると、神様ってのは人型じゃないとか、俺達が捉えられない形で存在しているものってのもありか。
そして、この世界の何処ででも見ている……ってことかなー?
まぁ、全ての宇宙は仮想現実じゃないか、なんて理論だってあるからなー。
そのシミュレーションの中で生きているとか、知的生命体は自分達の世界と似て非なるものを作り出すものだ、なんてのもあるから言いだしたらキリがない。
そーいうことはおいといて、ここには神様が居る。
それでいいと思うんだよねー。
「神々との、文字……だから、人の文字と区別していたということか」
ビィクティアムさんの呟きに会話に引き戻されて、はい、と頷く。
「未だに方陣として、その文字は生きています。もしも、信仰が揺らいだ時代にその文字を否定して『古代文字』とか『現代文字』が作られたというならば、その方陣に描き込まれていた『前・古代文字』をまず完全になくすんじゃないか……と思うんです。でも、なくなってはいない。だから『前・古代文字は信仰が揺らいだ後に神々が人との対話をすること』を目的として人にくださったものじゃないかと考えました。まだ、俺ひとりが勝手にそう思っている『妄想』の段階ですけど」
ビィクティアムさんは考え込んで動かない。
ということは、続けろ……ってことでいいっすかね?
「俺の妄想仮説では、前・古代文字が神々から与えられる前、人々は文字を持たなかった。あったとしても言葉と同じでバラバラで、それは大地とも神々とも結ばれていないものだった。だから……人々は神の存在を疑った。魔法があり、その恩恵があったにも拘わらず。そして、もしかしたら、その時に『星の数ほどいた神々』は、この大地を離れて『空から見守る』だけにしたのではないでしょうか。夜空の星が神々の瞳……というのは、そのことかな、と」
これは神典の前の、俺が中二病的妄想で描いた『創世前の物語』だ。
なんで、こんなことを思いついてしまったのかは判らないし、今ここでビィクティアムさんに話そうと思ったのも理由が解らない。
……だけど……言うべきことじゃないか、と思ってしまったから。
神様に『伝言を頼まれた』のかもしれない……ってことで。
「この世界に残ってくださったのはきっと、元々この大地を創ってくれた神々だけ。そして荒れてしまった大地を調え、もう一度人々にやり直す機会をくださった。その上、神々は人がどうして『
「その神々からいただいた文字で初めに書かれたのが……神典、か」
「だと、思うんです。そしてその神典には『信仰が揺らぐ前の世界』が書かれ、神話で『信仰が揺らいでいた時でも神々を信じて戦った者達』の物語を綴った。人々は、その時に初めて『文字』を得た。暫くは人の数も少なかったから、文字も言葉と共に『そのままの形』で伝わっていったが、やがて人の数が多くなると乱れ始めた。そして徐々に『神々に伝わらない文字』になっていくことを恐れ、神への文字と人が使う文字を分けた。そして、特定の儀式や魔法を形として表す方陣や神々との『約束』にのみ使われていたのが『前・古代文字』で、人と人との契約や神々に奏上しない『人が楽しむための本』など書くために使われた書き言葉文字が『古代文字』」
「ならば、どうしてそんなにも大切だった『神々に奏上する文字』が読めなくなったんだ?」
「……おそらく……ですが、前・古代文字はそもそも『音』がなかったんじゃないか、と思うんですよね」
そう。
意味は判るが、発音はできなかった。
そもそもが『書けるけど読めない、意味だけが解る文字』だったんじゃないかなーと……『神様語』は、人の声帯じゃ出せない音なんじゃないかなーと思う訳ですよ。
だから俺が提案した形になった『神の言葉は近しいものの声で聞こえる』ってのでもオッケーが出たのは『意味が解ったら人の言葉にしていいよ』って……神様達が納得してくれてたのかもしれない。
自動翻訳さんが示した近似値音、明らかに『無理』ってのは俺だけじゃないと思うんだ。
だから、初めから人は前・古代文字を『読めない』まま『理解だけしていた』が、音を当て嵌めてなんとか発音していこうとしたから……乱れ始めたんじゃないかと。
「そうか……神々の使われている言葉が、人と同じ音であるとは……限らないものな」
「微妙な、人には息遣いにしか聞こえないような音でさえ違いがあって、それが違うだけで音の意味が変わってしまうのかもしれませんよね。だから、なるべく揺らがない『文字』をくださったんだと思うのですが……」
「人は自分達の『音』に、神々の言葉を合わせようとしてしまったのか……確かにそれだと、全く違う訳が突然出てきても仕方ないな」
ビィクティアムさんの溜息は、前・古代文字と古代文字の相関性をずっと探ってきたセラフィエムスならでは……だろう。
特に、第十三代から第三十代までは、かなり苦労されているみたいだし。
現代文字が急速に普及してしまったが故に、残すことが大変だった時代だよね……
「古代文字が前・古代文字と一緒に使われていた時には、古代文字では神々との契約ができていたのか?」
「おそらく『古代文字』『現代文字』では、神々との契約・誓約はできないです。できるのは『この国でこのようにいたします』というお伺いを立てて神々から承認がもらえる『奏上』……まででしょう。それも、まだ前・古代文字が正しく理解されていた頃に、古代文字と現代文字を神々に認めていただけていたから、できていることだと思います」
「今後、その全てが、別の文字になってしまったとしたら……?」
「神々とは、何も繋がれなくなっちゃうかもしれないですね。特に、名前が新しい文字になってしまったら、魔法さえ使えなくなるかもしれないです」
ここまで言えば、ビィクティアムさんは気付くはず。
名前の文字でどの魔法が使えているか……が。
「神斎術を行使できる条件が……聖称、か……」
そうだと思いまーす。
「ビィクティアムさん、俺は今の『妄想仮説』を、今後各ご家門の蔵書などと照らし合わせて『前・古代文字』で書き上げるつもりです。できあがったら……陛下に届けていただけませんか? そして、神々に奏上していただきたいのです」
「……!」
「俺の考えがある程度正しいとなったら、奏上の儀の後『正しかった部分』だけが残るはずです。そしてもしも、ほぼ間違っていないとしたら、この国だけが創世からの魔法を保っていられるのは、細々とではあるけれど『正しい文字』が残っているからというのが理由のひとつになるでしょう。血統だけではなく、他にも護らなくちゃいけないものがあるということになります。でも、文字も血統と同じで、いつ、どうなるか解りません。そして、魔法を失うということは……神々と繋がる文字を失うということは、大地の全てを魔獣にくれてやることと同義です」
ビィクティアムさんが力強く頷いてくれた。
「解った。まだ『可能性がある』という段階だろうと、ただの妄想だろうと構わん。この国を、大地を護るために必要かもしれないことであるのならば、試してみよう」
「ありがとうございます」
「もし違っていたとしても……神々に奏上差し上げたものが消えるだけだろうからな。いや……書き直していただけるのかな?」
それはそれで凹むなー。
だけど、この仮説は『さほど間違っていない』という、確信がある。
だって俺には『神詞操作』なんて技能があるんだから。
その技能をもらった時に俺が『操作』したのは、シュリィイーレ教会秘密部屋の極大方陣にあった『前・古代文字』だ。
あの時から、神様は教えてくれていたんだよ『前・古代文字』は『神詞』……つまり『神々の言葉』である、と。
「しかし……確かに前・古代文字がおまえの言うような『神々との文字』であるとしたら……名前……か」
実は、中二病的思いつきが、ない訳ではないのだ。
しかし、ビィクティアムさんの聖称の時のように、俺がうっかり口にすることで……決まっちゃいそうな気が……しなくもなくもないというか、ないといいなというか、むにゃむにゃむにゃ。
「神々との契約の文字というのならば『神約文字』というのはどうだ?」
笑顔のビィクティアムさんから飛び出した名前は、俺の頭の中にあったものと一致した。
そーか、神様ったら、ビィクティアムさんにも伝言を入れたか!
にっこにこで『いいだろ?』みたいなビィクティアムさんに、俺はただ『然るべく』としか言いようがなかったのである。
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