第576話 ベストエンカウント
「んっまぁぁぁぁぁっ!」
そう、イートインスペースの硝子に張り付かんばかりにして覗き込んでいたのは、マダム・ベルローデアである。
実はマダム・ベルローデアはなんとなんと、自警団に参加していらっしゃるのだ。
だから『大人ご遠慮ください期間』の今でも、来てもらうことのできるID持ちなのである。
背が低めでちょっと小太りさんなのに、運動能力抜群で槍の名手……そして騎士位までお持ちなのだという。
……薙刀とかも、似合いそうだ。
「まぁ、まぁ、まぁっ! その絵は、あぁたがお描きになったのっ?」
「いえ……俺じゃなくって、こっちのオーデルトが描いたものです」
「んんっまっ! そぅなのね!」
マダム・ベルローデアは、くりんっ、と軽快なステップでオーデルトに向き合うとあの独特の『圧』で詰め寄る。
「この絵は、とってもお上手だわっ!」
おっ、流石マダム・ベルローデア。
そうなんだよ、上手いんだ。
そしてとっても……実物が想像できるデフォルメなのだ。
俺の背筋が、ぞわっとするくらいに。
「あぁた、とぉっても素晴らしい『作画技能』ですっ」
マダム・ベルローデアは、褒めるのと自信をつけさせるのが上手い気がする。
褒めてくれる時に変に回りくどい言い方をせずに、手放しで『いいわ!』って言ってくれるのはめちゃくちゃ嬉しいよね。
しかも、マダム・ベルローデアは『心にもないこと』を口にしないタイプだと思う。
誤魔化すようなことや曖昧なことを言って相手を傷つけないように立ち回るのではなく、相手が傷つきそうだと思ったら『言わない』ことを選べる人だ。
でも、本当に言わないと駄目となったら、しっかりと冷静に言葉かけられる人だと思う。
そういう意味で、俺はマダム・ベルローデアの評価をとても信頼している。
オーデルトもちょっと照れくさそうにして、口元もニヨニヨしているぞ。
嬉しいよね。
凄く、解るよ。
そんなオーデルトの心に、ぐいぐいと入り込むマダム・ベルローデアのトークが続く。
どんどん……ニヨってきているぞ、オーデルト。
そんな良い気分になっているオーデルトに、マダム・ベルローデアが一言。
「虫以外も見てみたいですわねっ!」
あ、オーデルトが途端にスン、てなった。
どうやらこいつは『好きなもの』『興味のあるもの』しか練習していないらしい。
まー、そんなものだよな。
今まで『仕事』じゃなかったんだもん。
俺だって仕事になってからは好きな書体ばっかりってわけじゃなく、そんなに好きじゃないものだって書いていたもん。
だけど書いているうちに楽しいポイントとか見つかったりすることもあるんで、なんとも思っていないものでもチャレンジした方がいい気がするんだよなー。
まあ、天才さん達とかだと『好きを極めれば唯一無二の武器になる!』とは言いますが、武器を研ぎ澄ましていても食えなくなったらだーれもその武器を知ることすらないわけで。
その辺をどう折り合いつけて『生きていく』か……ってのも、仕事にはあるもんなぁ……
いかん、黄昏れてしまった。
「お……俺、好きじゃないものは……下手、だし」
「まぁま、よろしいのですよっ? お好きなものが上手、というのは大切ですわっ。ですが、この虫達がとまっている木や植物、土の様子をちょーーっと描けたら……なんだかもぉっと、虫が素敵に見えませんことっ?」
「虫のとまっている、木?」
「ええ、ええ! この羽で虫が飛んでいるところの空は青空なのかしら? 風はあるのかしら? 虫たちの好物の木や草も一緒に描けたら、子供達が夏になって虫を探したりしたくなると思いませんかっ!」
おおー、一切否定もせず苦言も呈さず、別のものにも興味を向けたぞ。
「『作画技能』で描く『絵』は、簡単に見えますわ。ですから、皆さん楽に描いているとお思いなのですよねぇ」
「……うん、いつも、もっと描き込んだ方がいいとか、中途半端だって言われる。そんな絵、誰でも描けるって」
オーデルトが、大人の人と普通に話しているじゃないか。
そうか、自分より大きくて威圧的に感じる大人が怖いだけか。
マダム・ベルローデアはガンガン詰め寄っては来るけど、急に身体に触れてきたり『視界の外』から来ることもない。
背が低めのこと、柔らかいフォルム……そういう『視覚要素』でも、オーデルトは恐怖感を感じにくいんだ。
「そぉなのですよね……わたくしも、若い頃はよく言われましたわぁ」
「絵を、描くんですかっ?」
だよな、吃驚するよな。
「ほほほほほーっ、あたくし、結構得意ですのよーー!」
「そうなんだよ、オーデルト! ベルローデアさんは、すっごく可愛くて素敵な絵を描くんだ!」
思わずそう言ってしまった俺を、マダム・ベルローデアがちょっと不思議そうに振り返る。
あ……割り込んじゃって、ごめんなさい……?
「あたくし……名前を言いましたかしら?」
あーーーー!
ついっ! つい、うっかりっ!
「えっ、えっと、絵本の受賞の時にっ! 見ていたんですよっ!」
「あらまっ、そうでしたのねぇぇ! 見ててくれたなんて、嬉しいですわっ! ほほほほほーっ」
あっぶねぇぇ……そーだった、俺、今はレェリィだった。
「絵本……って、槻の葉の首飾りのっ? あの、ベルローデアさんっ?」
「まぁま、お読みくださったのかしらぁ?」
「俺、投票した! おば……じゃないや、ベルローデアさんの本が一番好きって!」
意外だぞ、オーデルトがあの手のキャラグッズ的プリチー路線が好きだとは思わなかった。
「あらあらあらっ! なーんてありがたいことっ! あぁたの絵はちょっと描き方を工夫したら、あたくしの描くものに近いですわねぇ」
今だぞ、今、言うんだ、オーデルト!
オーデルトの口元が何かを言いたくて、唇を動かしているが声が出ていない。
頑張れっ!
「あっ……あのっ、俺っ……ほ、他の絵も描け……よ、ように、なるかな?」
「ええ、勿論!」
即答、そしてマダムの自信満々な笑顔。
「教えて、もらえませんか……っ!」
思わずガッツポーズ……まではできなかったが、テーブルの下で拳を握り締め、よっしゃ! と叫んでしまいそうだった。
この出会いは……最高なんじゃないのか?
オーデルトのやる気鼓舞と、子供としか関わらなくてすむ環境優先で『講師に応募』なんて提案をしたが、こいつだってまだ『誰かに認められて習いたい』んだ。
マダム・ベルローデアがにっこりと微笑み、よろしいですわよっ、といつもの口調。
初めて、オーデルトの心からの笑顔を見た気がする。
大人を頼れるようになれれば……一歩、前進かもしれないよな。
「いいなぁ……俺も習いたいなぁ」
ぼそっと呟いた俺の声を、マダム・ベルローデアは聞き逃さずにあらあらあら、と笑顔を向けてくる。
「あぁたも? あぁたもですの?」
めっちゃ嬉しそう……あ、そーか、大人も『頼られたい』んだな。
絵画講師だってやりたいと思っている人はいるのかもしれないけど、応募してまでは……とか、応募して採用されなかったら……とか、いろいろ考えちゃえば積極的にやりたいって人は出にくい。
そして積極的に教えたいと思っていても、それを生業にしたいわけでもないし、今まで教えたことがないならやっぱりハードルが高いと感じる。
未知のことに挑むのは、大人であればあるほど躊躇するものだよな。
だけど、みんな子供達の力になりたいって、どっかで思ってくれているんだ。
「ほほほほほっ、あぁたもどんな絵がお好きなのか、描いてみてくださるっ?」
えっ?
えー……じゃ、じゃあ……ちょっとだけー。
魚、は、シュリィイーレの子供が見たことがある方が変だし、家とか建物とかは【複写魔法】で設計図が描けるだけだし……
森の、木と……牙兎は難しいか?
いやでも、耳とか特徴的だから解ってもらえるかもっ!
「レェリィ……それ……何?」
オーデルトが、なんだか可哀相なものを見るような目つきで俺を見る。
憐れまれるほど、下手なのかっ?
「ふぅぅぅんっんっ! よろしいっ、お任せなさいっ、レェリィくんっ! これほどともなれば、逆に闘志が湧きますわねっ!」
マダム・ベルローデアの中に何かを奮い立たせるほどなの……?
あ、マダムの目が『キラーン!』ってした。
「……! そうですねっ! 大丈夫だぞ、レェリィ! 今は何を描いたか判んなくても、これから上手くなれるからなっ! ベルローデアさんに一緒に習おうな!」
なるほど、オーデルトの『頼られたい欲』も満たせる『弟弟子』の位置なんすね、
ふたりのキラキラ視線に見守られ、うん、と無表情で頷いた。
盛り上がって再会を約束するふたりを見つつ、俺は誓った。
これを機会に『作画技能』を手に入れてやるっ!
必ず!
おうちに戻りましてちょっと溜息……いや、いや、絵の件で落ち込んでいるわけではない。
ちょっと……疲れちゃっているだけだ。
うん、そうそう、それだけっ。
お腹が空いたので何かを食べたい……が、夕食までもうちょっとあるなー……包み焼きリエッツァのミニサイズを作ろうっと!
おむすびサイズでいろいろな具材のバージョンを作り、部屋に戻って一息つく。
あ、そうだ、これ、どの味が好きかガイエスにも聞こう。
この小さめリエッツァは、遊文館でも手軽に食べてもらえる低価格帯商品にできるはずだ。
……大人サイズは……年長組向けに作るか?
いや、小さいものをいくつか買ってもらう方がいいかな。
その方が食べやすいもんな。
具が野菜オンリーでもチーズを入れて作れば、肉があまり得意じゃない子達でも蛋白質補給になるかもしれない。
それにしても……全然何を描いたか解らない……とか……少しは描けるようになったと思っていたのに……
いやいや、絵のことはいいんだよっ、違うからっ!
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