第566話 音の記録
「そうだよ、タクトくんっ!」
突然リンゲルスさんが思い出したように声を上げ、俺の両肩を掴む。
「『楽譜の書き方教室』をやるって、本当かい?」
「ええ……今年は無理ですから、来年の春以降ですけど……?」
「それも、子供だけなのかっ?」
「……皆さん、書けるようになっていらっしゃるじゃないですか」
俺の付け焼き刃知識だけでは難しかったのだが、あちらの世界の楽譜の書き方ハウツー本などを見つつなんとか皆さんに音符などの音楽記号をお教えした。
元々『カンコピ』できる聴覚の技能や、記憶ができる魔法をお持ちの皆様なので、それを楽譜として書き綴ることはできているのである。
だからその楽譜をもらって、俺が【複写魔法】を使って不銹鋼プレートに転写するだけで今は新曲の音源水晶が作れるようになっている。
「そうだけどー……君が楽譜に起こしたものと、僕らの起こしたものでは……なんとなく違うんだよ」
「私達が書くと、同じ曲の筈なのに他の人が書いたものはなんだか違う演奏って感じがするのよ!」
「それは多分、皆さんと俺とでは『聞く位置』と『聞き分けられる音』に違いがあるからで……個人差ってことだと思うんですが」
「そうなんだよなぁ。僕らは自分の演奏する位置で聞くと、全体を書ききれないんだ……」
リンゲルスさんの溜息の理由は、まさにその通りなのだ。
音楽家の皆さんは『演奏者の位置』で音楽を聞きそれを記憶しているから、どうしても強く感じる音や自分の演奏している音に引っ張られる。
そのせいで、全体をひとつの音楽として楽譜を完成させることが苦手なのは仕方ないのだ。
だが、俺は『観客の位置』で『演奏の全体』を聞いて、それを楽譜にしているから『彼らが最も聞き取って欲しい音楽』に近いものになっているのである。
だからといって彼らが観客として聞くと、そこには『自分の音』がない状態の音楽になる。
それを……楽譜にして残したいとは、思わないだろう。
なので、同じ曲の楽譜を書いたとしても、微妙に違うものができあがる。
しかし、演奏者全員の書いた楽譜をひとつに合わせると……俺が書き起こしたものよりずっと『彼らの演奏』になるのだ。
音の厚みといい、細かい演奏の癖といい、全部が『楽譜』になっているその楽団だけの唯一無二の『音楽』になる。
現在、この世界では作曲者が残した『オリジナルの楽譜』は何処にもない。
残念なことに、その時代には『音の記号や文字』がなかったから。
魔法と技能を持った者達だけが受け継いで守り続けてきている音楽は、本当にオリジナルと同じかを後世の誰も知ることはない。
作曲者の作ったものと寸分違わぬものが残っていないことは嘆くべきことなのか、その変遷まで見越して作曲者が後世まで『完成しない音楽』を楽しませてくれるために作ったのかは俺達には解らない。
だけど、俺としてはなるべくその時の音楽を正確に記せる、演奏者ではなく観客の位置で『楽譜を書ける者』を増やしたかったのも……事実だ。
残りにくい『音の記録』が筆記されていたら、その読み方が残されていたら、演奏者がいなくなってしまった音楽でさえ再生できるようになるだろう。
そしてそのためには『聞き手にもそれなりの音の知識』が必要である。
楽譜に使われる文字や記号の知識だけでなく、楽器の知識、いろいろな音を聞いておくということも重要なポイントになる。
それは楽器の音だけではない。
あらゆる音、だ。
多くの人の声、いろいろな素材の物品が出す音、川のせせらぎや風が渡る自然音。
その点では、俺にはかなりの『音』の体験があるせいで、聴覚系の技能や魔法がないにも拘わらず楽譜に多くの音を反映できている。
特に……電子音、機械音などの多様な人工音や、動物の鳴き声や虫の声という、こちらの世界ではちょっとハードルが高いものまで知っているからである。
ここの世界の方々も『虫の声』は、聞こえないか雑音としての認識な気がするんだよなー。
前に鈴虫の声を音源水晶で聞いていた時、父さんは聞こえないって言ってたし母さんとマリティエラさんは雑音がしてるって言ってた。
あちらでも、虫の声を聞ける人種は少なかったもんなぁ……
俺が、たいした音楽知識もないのに楽譜に起こせるのは【音響魔法】だけの恩恵ではない。
音を言語として認識できる【言語魔法】、全ての言語を書き記せる【文字魔法】、そして解析できる『神詞操作』があるからだ。
だから俺が書き記せる限りの『音の素材』を記号化、文字化しておこうとは思う。
何と何をどの音階で組み合わせ、どの楽器を使うとその音になるか……という『音の化学式』みたいなやつだ。
発音記号のように別の文字を作り出すより、音符と音楽記号を使って書く。
曲を奏でる楽譜とは違う、特定の音の『式』と『律』を書いておく方が解りやすいんじゃないかと思って。
それで『音楽を作る時に適切な音』を組み合わせてもらえるように、いや、音楽を作るのでなくても知識としてその音を知っているというだけでも、獲得できる魔法や技能は変わるはず。
そしたら作曲者とか音楽家だけでなく、楽器を作る人も開発する人も増えるような気がするんだよね。
あちらの世界にあったものと同じものを、俺はこの世界で作るつもりはない。
だって今まさに、誰かが開発している途中かもしれないじゃん?
俺が今すぐ欲しいのなら作るかもしれないけど、そうじゃないなら作るのは俺でなくていいんだよ。
それに、こっちでの楽器の進化はあっちのものと全く違うかもしれないから、それを待つのもいいと思う。
「それでね、タクトくん! 新曲がいくつかあるから、また音源水晶の作成を頼むよ!」
「はい。あー……でも、春になっちゃってもいいですか?」
「それは構わないけど……珍しいね、君がそんなに時間をとるなんて」
「ちょっと、身体と魔力の均衡が悪くてですね……今、医師様に少し魔法を抑えて、身体作りをするようにと言われているのです」
うわ、めっちゃ吃驚された。なんで?
「それって『健康診断』っていうので解ったの?」
「まぁ……そう、ですね」
ナナレイア先生の検査も受けたし、シュウエルさんに診てもらった事前診断で確定ってことだから、そうだよな。
一般的な健診と、それに引っかかって受けた再検査って感じだったもんな。
「ほらぁ! やっぱり健康そうに見えたからって、そういうことはあるんですよーっ!」
「そうだぞ! リンゲルスもちゃんと受けておけ!」
「だ、だってぇっ、もし悪いって言われたら怖いじゃないかぁぁ!」
ははぁ、リンゲルスさんは、不摂生しているのかなぁ?
そういう人ほど必要なのですよー?
俺みたいにねっ!
「リシュリューさんみたいに辛茄子が駄目なんて言われたら、生きていけないだろぉぉぉっ?」
この人も激辛さんかーー。
胃壁が荒れていないといいですね!
健診は受けましょう!
美味しいものを食べ続けるためにも、絶対に必要ですよっ!
てか、リシュリューさん、辛いもの制限令が出ちゃっているのか……道理で、自販機から辛口咖哩がいつもよりなくならない訳だ。
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