第560話 ライトパーソン
「あらあら、もう少し眠っていても平気よ?」
目を開けるとリオルテさんが微笑んでいて、一瞬自分がどこにいるのか解らなかった。
そーだ、遊文館の控え室に泊まらせてもらったんだった。
「今、エッツィーロが衛兵隊事務所に、昨夜のことの説明にいっているわ。今日の訓練の時間、ちょっと遅らせてもらいに」
「すみません……ありがとうございます」
隧道を歩かせてしまったか……申し訳ないことをしてしまった。
いかん……まだちょっと眠い。
ちょっと何か食べなさいね、と差し出されたのは控え室の自販機に入れたチキンサンドだ。いただきまーす。
「あ、なんか、味が違う……?」
ひと口食べて俺が作ったものでも、母さんが作ったものでもない、ちょっとピリッとした刺激と香味があった。
美味しい……!
リオルテさんがふふふ、と笑い、少し調味料を付け加えたのよ、と見せてくれたのは……おおおっ!
これは『唐辛子味噌』というやつではありませんか! こちらでは『
味噌といっても、俺が作っているような米や豆の味噌を使って作るのではない。
辛茄子を塩で発酵させて作る、ウァラクの調味料のひとつである。
レイエルス侯が集めてくれた調味料の中にも入っていたんだよなー。
「あなたの作った卵黄垂れにね、ちょっとだけ混ぜるととても美味しいの」
「ふぅっごく、美味ふぃでふっ!」
食べながら……というか、頬張ったまま喋ってはいけない。さ行が言えていない。朝っぱらから、食いしん坊過ぎるぞ。でも美味しいのだから仕方ない!
そっかーこういう使い方もいいなぁ。ピリ辛もの、冬場は増やしてもいいかもー。旨ーー!
でも、遊文館のものはお子様用だから、辛さは控えないと。甘口カレーのカレーパンはなかなか人気だが。
そして、食べるとまた、眠気が甦るっていう……ね。
そーだ、アトネストさんは……?
目を覚ましているみたいだけど、まわりの子供達をどうしようか困っているみたいだなぁ。
毛布でもこもこ……あれは、どこに子供がいるか判んないぞ。あ、子供達も起き出した。
開場時間まであと、半刻……一時間くらいだ。子供達は次々に起き出して、無料コーナーで幾つかの食べ物を出してから、奥の『子供部屋』に行く子と移動の方陣で家に帰る子がいる。
ふぅむ……あの子達は、家に帰っても食べるものが少ない子達なのかな。でも、昼間外にいることができない何かがあるってことなのか……?
その辺は衛兵隊と自警団のおじさんたちに、保護者の方を確認してもらうしかないなぁ。
それより、やっとアトネストさんが動けるようになったみたいだから、エントランスへの扉が開く前にちょっとお声がけとお願いをしておかねば。
毛布を片付けてくれているアトネストさんに声をかけると、思っていた以上に疲れていない顔だ。よく眠れたみたいでよかった……う、埃が目に入った……毛布の毛が飛んだかな。
アトネストさんは申し訳なさそうに、少し俯く。
「す、すみません、昨夜は私がもたもたしていて取り残されてしまって……しかも、子供達と一緒に寝ちゃって……書き付け、ありがとうございました」
「いえいえ、子供達に読み聞かせしてくださって、ちっちゃい子達も喜んでいたみたいだし」
「いつも……夜中にいらして……?」
俺が毎日ここに来ているわけではないので、たまに、と答えるとなんだか納得したような顔……あ、夜は成人の儀をすませている年長組が面倒見ていると思ったのかな?
……間違いではないけど……その辺はシークレットということをお願いしておかねば。
「お願いがあるんです。ここの夜に来る子供達のことは、一部の方々しか知りません。この子達のことを話すのは司祭様だけにしてください」
「……はい、解りました」
アトネストさんはすぐに了解してくれたので、ここの子供達が『大人に対して怯えている』と解ってくれているみたいだな。
子供が嫌いという理由で虐待しているなんていう『能動的に子供達を怖がらせている人』って、いたとしても実はそうそう多くはない。
だが、自分達は子供のためだと思ってやっていることが見当違いだったり、ただの大人の自己満足であったりして迷惑って人は……もの凄く多い。
子供のためと思い込むことで残虐性を満たしている人も……中にはいるかもしれないが。
そして意外と多いのが『子供は大人が構ってやらないと駄目』と、本気の善意で思い込んでいる人達の『余計なお世話』といえる行為だ。
確かに子供は大人が守ってやる必要はあるだろうし、支えて成長を見守るのも大人の役目だ。
ただ、そういう人達は『子供が早く大人になること』が良いことだと真剣に思っている人がとても多いと思う。
だから、早く大人にしたがるし大人になれきりない子供の存在が許せないと感じている……ほぼ無自覚に。
善意と慈しみからそう思っているから……誰が何を言っても、子供自身が嫌だと突っぱねても、理解しない上に考えを修正できない。
そして『自分の理解が及ばない感性を持った子供』を、矯正しようとしたり教育しようとして……怖がられていることを知らない。
でも『大人が考えるいいこと』が、全ての子供にとっての『いいこと』ではないってことも、忘れないで欲しいんだよ。
自分達のやり方が通じる子もいるし、いない子もいるって頭で判っていても『子供が自分の善意を理解しない』と腹を立てたり、不快に思ったりする。
……ま、これは、大人同士でもあることだから……一概に子供達だけへのこととは言い切れないのだが……
人っていうのは『自分の成功体験』が、他人にも当て嵌まると思いがちだからね。そんなこと、ほぼ……やや、絶対と言っていいほどないんだけどね。
『善意』としてやったことも『恐怖』になるって、あまり考えないのは……仕方ないんだけど、いつでもその可能性があるということは覚えていて欲しいと思う。
そんで、子供に対して『大人に気をつかえ』『大人のいうことを全て理解して従え』なんて、馬鹿馬鹿しいことを言い出すなっつーの。
大人の方こそ『子供の頃のことを忘れているんだから、思い出して子供を理解するように努めろ』と言いたくなるようなやつがいるのが腹立たしいんだよ!
おっと……いかん、いかん、またしても俺の持論大爆発になってしまった。
だからって俺は、自分の考えに賛同しろとか正しいとは大人達に言う気はないので、俺の考える方法でなるべく子供達に負担がないようにするってだけだがな。
大人の教育は俺のすべきことでもないし、したいことでもない。
アトネストさんは……夜の子供達と昼の子供達を、それぞれどう思っているんだろう。
どちらとも接して、なんか『違う』と感じたりしたんだろうか?
そう思った俺は、不躾だとは思ったが尋ねてみた。
「昼間の子達と夜にいる子供達に本を読んでいる時とか、違いました? 一緒に眠っている時、どう思われました?」
「……特に、は……えっと、立ち上がったりして踏んづけなくってよかったな……くらいしか……」
そうか。
うん。
やっぱり、適任……だなぁ。
夜勤頼んだら、嫌がられるかなぁ。あ、しまった、今日はお休みの日だったよね。
お詫びをしてから、一度控え室に入るとエッツィーロさんが東門詰め所から戻っていて今日の訓練は中止だ、と教えてくれた。
「シュウエルがいたんでな。ちゃんと眠っていない時にやると、かえって良くないから今日の夜はきちんと眠ってまた明日からだと言っておった」
「……はい……ありがとうございます……」
あぅぅ……俺の不手際で、各方面にご迷惑を掛けてしまった……
では、早朝で申し訳ないが時間ができた今のうちに、テルウェスト司祭の所にご相談に行こう。
あと三十分くらいで、遊文館の扉が開くからな。
移動の方陣で教会に辿り着くと、そこはカタエレリエラへの越領門がある部屋。
さて、司祭様のところへ……と思ったら、あっという間にテルウェスト司祭がいらしてくださった。素早い……
「タクト様の目標鋼を、この部屋にして正解でした」
にんまりと笑うテルウェスト司祭にお願い事をすべく、そのままこの部屋で話をさせてもらうことにした。ここなら、他に誰も来ないからね。今はカタエレリエラの越領門も閉鎖しているし。
そして……アトネストさんをたまにでいいから、夜間に遊文館にいてもらえないか、とお願いしてみた。
予想通り、テルウェスト司祭はちょっと困ったような顔をする。
当然なのだ。この世界での神職の方々にとっては『天光の元』で働くことで、神々の恩寵を賜ると信じられているから夜中、
昨夜俺が一晩アトネストさんをお借りしたいといった時に、テルウェスト司祭が一瞬考え込んだのもこのことが原因だろう。
「どうして、アトネストなのでしょうか? 彼はまだあまりに未熟で、魔力量もございませんし」
「まずひとつ目は、アトネストさんが子供達を全く区別していないからです」
「区別……ですか?」
俺は頷く。
アトネストさんは昼に来た子達と夜にいた子達に対して『本当に何も感じていなかった』のだ。
つまりそれは『どちらも変わらない』と、本気で思っているということ。
子供達は、特に『夜に来る子供達』は、この町に多くいる『助けてくれる大人』に対しても『なんとなく』でも嫌だとか怖いと思っている。
でも、アトネストさんに対してはそういう感情がない。
それはアトネストさんが『助けよう』とか『構ってあげよう』なんていう『特別な感情』を持っていないからだ。
「アトネストさんは子供達のことを『可哀相』とか『馴染めないから構ってあげる』なんて、全く思っていないんです」
子供達がアトネストさんの側で安らぐ気持ちを感じられるのは、そういった上から目線の特別扱いをしないからだ。
「昼間にみんなと遊べなくて可哀相とか、夜に家にいられないのは憐れ、なんてことを全く思っていない。同情ではなく自分達の側にいてくれる人だと判っているから、子供達は側にいたがるんです」
そして、親だから、保護者だからという気負いも成長への期待もなく、何も彼等に望んでいないアトネストさんだから、受け取ることに疲れてしまった子供達は安心する。
『この人にとって自分はまわりと違うものではなくて、世界の中に入っている当たり前のものとして扱ってもらえている』と感じているんじゃないかと思う。
可哀相だからと構ってくれている人達は、自分が可哀相でなくなったら手を放すと知っている子もいる。
悪いことをするからと側で見ている人達は、普通になったら見向きもしてくれなくなると知っている子だっている。
だから、側にいてもらうために、見ていてもらうために、そう振る舞っているという子供も中にはいるだろう。
だが大概の『大人から見て、外れてしまっている子』と、夜に遊文館に集まる子達は少し違う。
自分としては普通なのに『特別扱い』されて、その感情や過剰に与えられる『憐れみ』を受け取れと押しつけられている子が多いと思う。
まわりがいい人たちであればあるほど、与えられるものが受け止めきれなくて拒絶してしまうと……『悪い子』にされてしまう。いや、誰からもそう言わなくても、その子自身がそう思い込んでしまう。
それに疲れて、閉じ籠もると更に構われる。そしておそらく『どうして解らないんだ?』と、悲しげに大人達から問われたこともあるだろう。
好意と善意が『恐怖』に変わりやすいのは、この時だと思う。
「……皮肉なものですねぇ……想いすぎると、怖がられてしまうというのも」
司祭様は子供達が好きだからだろう、すっごくしょぼん、とした感じだ。
「加減しようなんて思っていても子供達にはきっと、解っちゃうんですよね。だから、アトネストさんみたいに『本気で何も思っていない人』を安心するんだと思うんです」
「ですが……夜間にずっと起きていて、子供達を見ているというのは……」
「いえいえ。『起きて』いる必要はないんです。できるなら、子供達と『一緒に眠って』あげて欲しいんです」
あ、司祭様がきょとんとしてしまった。
ですよねー、眠ることが『お仕事』ってのも、おかしいんじゃ? って思いますよねー。でも、それが良いんですよー。
「眠る前に本を読んであげるくらいはしてもらえたらありがたいですけど、子供達と一緒に毛布にくるまって眠ってあげて欲しいんです。自分達の側で『安心して眠る人』に、子供達は『安心できる』んじゃないかと思うんですよ」
「……なるほど」
「それと、ふたつ目は……多分、アトネストさんの魔力量の低さが、子供達にとっては心地良いと思います」
「え?」
「夜に来る子供達は、総じて年齢のわりに魔力量が少なめの子が多いんです。魔力流脈の整っていないうちからあまり多いのも危険だと聞きましたが、少なすぎても精神状態が悪くなり鬱がちになる傾向にある……と、セラフィエムスの本に書いてあったのです。そして、大人からの放出魔力が負担になることもある……と」
これに関してはセラフィエムス蔵書でも、成人前の子供は『接する人の魔力が自分より少しだけ多い』場合に一番敬遠するのだという説もあった。
だが『少し』の範囲が五百から千二百くらいとなかなか幅があり、一般的ではなさそうな気もする。だが『絶対にない』とは、いえない説のようだ。
そして自分より圧倒的に多い場合には、やたらまとわりついてくるものの眠るような安らぎというよりは興奮状態になることが多いみたいだ。
父さんとかエイドリングスさんとかがやたらと子供達に『登られていた』のは、子供達があのふたりの魔力量で興奮状態になった可能性はある。
エイドリングスさんって……結構魔力量が多そうなんだよね。畑の世話をしている時に、とんでもないキラキラが視えたりするし。
しかし、自分と同等かそれ以下だと、子供達は安堵感を覚えて眠るのだそうだ。
ただ、この辺は血が繋がっていないとか、加護神による違いなどもあるのであくまで『説』ということだ。
皇国の子供達は少ないと言っても十歳を越えれば七百はあるし、十二、三歳だと千以上はあるので……アトネストさんの方が、かなり低いのである。
この説が合っていそうな可能性は、あるんじゃないかと思うんだ。
「そうでしたか……聖魔法だけが、子供達に安らぎを与えるわけではないのですねぇ……」
司祭様はそう言って小さく息を吐く。
聖魔法って、いろいろあるからね。種類によると思うんですよ、それこそ。
「魔力って、確かに多い方がいいのだと思います。できることも多いしこの国のためにも役立つし、努力の証なのだともいえるでしょう。だけど、少ないからといって、何もできないわけじゃないとも、思うんですよ」
不思議だったんだよね……なんで、魔力量が多い『貴族』であるセラフィエムスが『魔力量の少ない人の有用性』なんてものを研究している本を残していたり、その説を唱えているのか。
初めはビィクティアムさんのことでなのかとも思ったけど、書かれていた本の年代はかなり古いものもあった。
多分……セラフィエムスには代々、稀に極端に魔力量が少ない人が生まれていたのではないだろうか。
そしてそれが毒のせいかもしれないとか、遺伝的なものかもしれないとか、研究されて薬や魔力流脈医療に秀でた家門になったんじゃないかな。
オールラウンダーなのも、その辺に影響されている気がするんだよねー。
もの凄く頑張って何世代も研究を重ねたからこその、積み重ねられたものがあるから……ってやつ。
血統と共に守ってきたのは魔法だけじゃないってことだとなると、あの蔵書量も頷ける。
その『叡智』は、しっかり訳してセラフィラントだけでなく、シュリィイーレのために使わせてもらいますよ。
「わかりました。アトネストに話してみましょう。彼が『夜に教会を離れること』に抵抗がなければ、お受けできるかもしれません」
「ありがとうございます。無理にとは、いいません。だけど……子供達だけでなく、アトネストさんにもいい影響があると思うんですよ」
おそらくアトネストさんには『言葉』か『音』に関する技能か魔法があるだろう。
それをあらゆる場面で使うことに慣れたら、魔力量を増やす手伝いにはなると思うんだ。
このまま適性年齢過ぎても、魔力量千以下だったら……皇国では厳しいと思うからなぁ。
その時、待合室に誰か入ってきたのか、扉が開く音がした。
「おや……アトネストが戻ったようですね。休みなのだから、ゆっくりしてくればいいのに……」
謝りたいって思っちゃったんじゃないかなー、アトネストさん。
それでは、くれぐれもよろしく……と頭を下げ、俺は家に戻った。
そしたら裏庭に集まっていた子供達に『遅いーー!』と怒られてしまった……
はいっ、スミマセンでした!
ではーー、蓄音器体操、第一ぃーー!
********
『アカツキ』
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