第542話 夜間対応
夜の屋上庭園というのも、なかなか風情があっていいものだ。
夜間の硝子ドームは、外の景色が見えるだけで外から中を見ることはできない。
外に灯りは漏れないが、中は街灯のようなものが幾つかと、歩道沿いに足元をほんのり照らす灯りがある。
昼間は芝生の上とか低木に登るなんてこともできるのだが、夜間は歩道だけしか入れないようにしている。
歩道沿いのベンチは、使ってもらえるけどね。
実はこのベンチにも仕掛けがある。
クッションは付いているが、態とフラットに作ってある座面は長居防止というわけではない。
その下に前に引っ張り出せる幅三十センチくらいのクッション付き板が仕込んであり、これを引っ張り出すと寝台列車のシングルくらいの幅になるのだ。
公園で寝るってのはなかなか勇気が要るが、この変形をすると『簡易結界』が発動してこのベンチそのものが、視認できなくなる。
これは『錯視の方陣』の応用バージョンで、魔力を感知させないのではなく視覚を妨害する『迷彩』を施している。
勿論、魔力感知はできるのでここに『何かある、誰かいる』ことは解るが『誰がいる、何がある』かは特定できないというものだ。
ベンチの状態を元に戻したら、離れた瞬間にその魔法は切れる。
時間限定で、夜だけ発動できて限定条件を満たしている間だけ稼働する『境界指定型・視認妨害の方陣』だ。
忘れてた……今度、魔法師組合に登録にいかねば。
あ、いたいた。
随分、小さい子だな……十歳くらいか?
俺の姿を見つけると明らかに怯えたように、そしてベンチに近付くと端の方に寄って小刻みに震えている。
もしかしたら、暴力を振るわれたことがあるのかもしれない。
親か、兄弟か……自分より、年上の誰かに。
その子が逃げ出さない距離で近付くのを止めて声をかけ、両手を開いて何も持っていないと見せる。
ゆっくりと柔らかめの声を心がけながら。
「ごめん、寒そうだったからさ。そのままで横になっていたら、この中でも風邪を引くんじゃないかな」
「……」
「えっと……その長いすの、座面……座るところの手前をちょっとだけ前に引っ張ってみて」
その子は半信半疑だろうけど、多分『年上のいうことに逆らったらぶたれる』ってモードになっているのかもしれない。
怯えながらもいう通りにしてくれた。
くっそー、こんな子供に何やってくれてんだ、周りのやつら!
かこん、と軽く引っ張り出せた板に驚くも、その子はその上に乗って少しだけ微笑んだ。
よかった、まだ笑えてる。
「その板が出せるのは夜だけなんだけど、全部の横長椅子に付いているから使ってね」
「……うん」
「それと、板を出したら……真ん中の割れ目の所を、ちょっとだけ力を入れて押し込んでみて」
三人掛け程度の長さの椅子なので、目安としてみっつに座面を区切っている。
こうすると意外と、人って『区切りがひとり分なんだな』って無意識に思うらしいから。
で、その区切りの真ん中は伸び代部分の板をひっぱり出した時だけ、ちょっと強めに押し込むと上に開く扉になっている。
板がある時は押し込めないし、座っただけでは開かないようにしてあるのだ。
そして中には、毛布が入れてある。
当然、この中に入れた物は浄化されるので取り出す時はいつも綺麗だ。
「もーふ……」
「夜は使っていいからね。だけど、朝になったらもう一度開けて、中にしまってね。そしたら毛布はまた綺麗になって、夜に使えるから」
「うんっ」
「……お腹、空いてない?」
「ちょっとだけ」
俺は持っていたおむすびをふたつ、一番その子から遠いベンチの端に置いて、どうぞ、と言うと戸惑っていたがゆっくり近寄って……食べてくれた。
スゲー勢いで。
つまり、結構、空腹だったってことだな。
もっと持ってくればよかった。
やっぱ自販機、必要だな……どの辺に置いたらいいかなぁ……昼間は使えない方がいいしなぁ。
隠しブースでも作るか?
いや、待てよ……この子は『怖くてひとりで居る』んだ。
自販機の側に誰かひとりでもいたら、きっと近付けないだろう。
屋上にはかなり離れた位置に、ぽつんぽつんと子供が点在している。
全員、そういう子達なのかもしれない。
ならば、飲み物や食べ物の供給方法も……変えた方がよさそうだな。
……ベンチひとつひとつのこの収納ボックスに、転送の方陣を仕掛けておけば毛布を取り出したりしまったりする時に食べ物に気付くか?
ここでボックスの開け閉めができる時は『視認妨害』が働いているから、食べているところを見られることもない。
試してみるか。
他に上手い方法が思いついたら、変更すればいい。
トイレは……離れてはいるけど、ひとつひとつ独立しているから大丈夫……だよな?
ベンチ変形による『視認妨害』は、一度発動したら発動させた本人だけは、そのまま離れてもベンチの存在を認識できる。
片付けずにいたとしても半刻間……だいたい一時間ほどは状態がキープされるから、トイレ時間とか他の自販機に行くくらいは大丈夫。
組み込んである探知の方陣の魔力キープが、だいたい時間的にこのくらいまでなのだ。
キープ時間が終了した時にベンチの上に発動させた人がいなければ、出しっぱなしの毛布はボックスに戻り引っ張り出した板も元の状態になって魔法は終了する。
他の場所にいる子供達の所にも行って、同じように説明をした。
中には、ここにいても怒られないか凄く心配している子がいたので、大丈夫だよ、とだけは伝えておいた。
館内に戻った時に……昼間もいていいか、と一階の子達にも聞かれたので、構わない、とは言ったけど……そういう子がここにいるってことを、衛兵隊と自警団、それと医師の方々には伝えておいた方がいいだろう。
家にいなくなった子供達が、何処に行っているかを把握している信頼できる大人は必要だ。
夜間に具合が悪くなった時が問題だが……屋上にはナースコール的なものを各ベンチに付けておくか。
館内はあちこちに非常ボタンを作ったけど、屋上は柱やブースがなくて少なめだったから丁度いいかも。
夜間は、俺の所に繋がるか……町で開業している夜間医の方に相談させてもらおう。
いや、いっそ夜間はベンチに座ったら『治癒の方陣』が発動するようにしちゃうか?
屋上のベンチだけでなく、全部の椅子に……仕込むのは大変かなー……でも、一度描いておけば、簡単に発動できるよな。
そしたら昼間でも誰かに暴力を振るわれて逃げてきた子とか、応急処置ができたりしないか?
その上で、大人を呼ぶかどうかは子供達次第……にしたら、怖くてナースコールできない子でも命に関わる状態ではなくなって慌てずに済むかもしれない。
……この辺も、相談しておくべきだなー。
まぁ……俺の魔法じゃなくて方陣だから、簡単に許可が下りそうだけどな。
できる限り、夜間に大人は入れたくないんだが……どうしても必要な時は……あるよなぁ。
そして翌朝、昨夜は遊文館夜回りでちょっと夜更かししてしまったが、なんとか四時間ほどは眠った。
試作法具で魔力流脈が正位置だからか、回復が早い……気がする。
気のせいかもしれないが。
しかし、あの試作法具をつけてから、母さんからも父さんからもナナレイア先生からも顔色が悪いとか、怠そうとか言われなくなった。順調に回復していると思いたい。
神務士トリオは如何だろうか……今度、聞きに行ってみよう。
まずは、昨日の夜間見回りのことと、その対応策を衛兵隊と自警団のおじさん達にお知らせしたい。
雪の隧道はまだ半分ほどしかできていないので、遊文館に行けば今日のご担当の方々がいてくれるはず。
朝食が済んで割と早めに遊文館に行ったら、もう随分と多くの人達が来ていた。
雪でどこにも出られないから、ここに来てくれているのかもしれない。
お子様達も遊んでいる子達もいるし、ヒューエルテ神官の手習いを受けている子もいる。
教室じゃなくて、十人座れる大机でやっているのは珍しいけど……ああ、神務士さん達もいるからか。
ここの教室の中は、講師の他は子供達しか入れないものな。
えーと……お話しできそうな人達は来ているかなぁ?
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