第541話 夜の遊文館

 午後に三時間ほど仮眠をとり、夕食を食べてから営業時間終了後の遊文館へ行くことにした。

 終了後とは言っても、実は中には入れる。

 表玄関は開かないけれど、外から入って来ることができるのは『図書スペースに直接飛べる子供達』だけだ。


 ……つまり、夜遊びもできてしまう。

 だが、大概のお子達は晩ご飯を食べたら昼間遊んだ疲れが出て眠ってしまうものだ。

 昼間に魔法を使っているのであれば、尚更のこと。

 しかし……それでも、家にいたくない、いられない子供も……いる。

 そういう子達は夏場ならば外に出ていることができても、冬は行き場がない。


 俺がこの町に来てから……片手で足りるほどではあるが何人かの子供が、冬に外に出て凍死している。

 親がいるのに、家があるのに、家の外で。


 ミトカが昔この町から出たのは、雪が降る直前だった。

 運悪く、出てすぐに雪に見舞われ、崖崩れに遭ってしまったが……戻ってきたひとりから事情を聞いた自警団が、冬の夜回りを強化したほどだ。


『家にいられないから、外に出るしかなかった』とそいつが語ったから。

 命からがら戻ったそいつは、当時まだ成人になっていなかった。

 今、二十五歳か二十六歳くらいだろう。

 なのに、そいつの親たちは……医師の所に迎えにも来なかったらしい。


 皇国の人達は、子供を大切にする。

 だが勿論、全ての人がそうという訳ではない。

 中には、命がけで産んだ子供を放り出して行方をくらます親もいる。

 他人に預けてまったく関心を持たない親も、家には置いてはおくもののまったく面倒をみない親もいるのだ。


 今のシュリィイーレでは少ないかもしれないが、それでも十数人は『居場所のない子供』がいるらしい。

 自警団が把握している『家にいられない子供達』のだいたいが、十代後半から成人前……だが、もっと小さい子だって、本当は家にいるのがつらい子もいるんじゃないかと思った。


 俺はそういう子達に、一日中遊文館にいてもらっていいと思っている。


 実は遊文館の営業時間が終わった夜間は、ふたつだけ自販機が無料で使える。

 温かいものが出て来るのも、その自販機だけだ。

 そこだけは夜間でも明かりが消えず、イートインスペースで食事ができる。

『夜ここに来れば必ず食事ができて凍えることなく過ごせる』

 逃げ場がなくて、ただ外にいるだけしかできない子達にそういう場所を作りたかった。



 俺の部屋には、夜間の遊文館に誰がどこに何人入ったか小さく灯りが点くように設定した、タブレットくらいの大きさの見取り図がある。

 衛兵隊司令部壁面に作った、隊員達の場所を示すパネルのようなものだ。

 入館証の千年筆がないと飛べないのだから、それが入ってきたら判る……ということだ。


 初めて夜の来訪者があったのはオープンして三日目、大人がふたりエントランスホールに、そして子供が四人図書館内に。

 大人たちも、エントランスホールには夜間でも飛んでくれば入れるが、図書館内へ入る扉は開かない。

 その後大人はもう来なくなったが、子供達は八人から十二人くらいが夜間の遊文館に来るようになった。


 さて……夜間利用方法の説明にでも行こう。

 使い方を教えてやれば、もしかしたらまだ来ていない子達も仲間から聞いて来てくれるようになるかもしれないしな。

 あ、俺だって解んない方がいいかな?

 迷彩をかけて、ちょっとだけ違って見えるようにしておこうか。



 遊文館、到着。

 入ってすぐの本棚近くには、誰もいない。

 この辺は常夜灯のような光だけで、真っ暗ではない。

 イートインスペースで灯りがついている所に……あれ、誰もいないな。

 もしかして、無料で食べられることはまだ知らないのかな?

 いるのは……屋上に三人、一階のこれから書き方教室をやる教室内に八人。

 今日はこれだけみたいだな。


 教室の中に入ると、中は暗い。

 灯りが点けられる筈なんだが。

 眠っているのか?


「なぁ」

 突然声をかけられてびくっとする。

「あ、悪い……脅かすつもりじゃ……見ない顔だけど、どこら辺?」

「……南」


 話しかけてきたそいつは、背は低いが多分成人している。

 適性年齢前で、この中では一番年長者なのかもしれない。

 取り敢えず、そいつに質問してみることにした。


「ここでみんなで寝てるの?」

「ああ、寝ている子が多いけど……みんなあまり食っていないから、眠れないみたいでさ」

「食べ物なら、あるよ」

 俺は自販機を指差す。するとそいつは、金がないから無理、と溜息をつく。

「今、灯りがついている所だけは、お金、要らないよ」

「えっ?」


 俺達の会話に、他の子達も起き上がる。

 やっぱり、眠っていなかったんだな。

 まぁ、まだ陽が落ちてすぐだからね。

 お腹が空いているのを誤魔化して、眠ってしまおうとしていたのかもしれない。


 俺はそいつ等を引き連れる形で、一番近いイートインスペースに行き自販機の前で価格の所を指差す。

「……なんも、書いてない? だって、昼間は銀貨四枚って……」

「夜だけ、お金が要らないんだ。ほら、ここを押すと出て来るよ」


 がこん、と音がして、ほかほかのハンバーガーが出てくる。

 お手ふきも入っているから、すぐに食べられるようにしてある。

 わあっ、と声が上がり、子供達が次々と食事を始める。


「知らなかった……今まで我慢してた」

「どこにも書いてないもんね。あとね、ここの水と果実水も飲めるよ」

「……なんで、知ってるんだ?」

「ここを作った人が、知らない子に教えてあげてって言ってた。夜中ずっと居てもいいし、昼間から居てもいいよって。だけど、昼間はここは水だけしか無料じゃないけど」


 そう、昼間も『子供達だけが入れる場所』で一箇所だけ、無料の自販機がある。

 さっき、みんながいた教室の二階にある自販機だ。

 そこはまだ一度も使われたことのない場所だから、知らなくて当然だ。

 明日の『第一回書き方教室』開催以降から、使ってもらえるようになる。


「明日から……昼間はそこだけ、なのか?」

「うん。昼間は人が多いから、そこだけ……でも、その部屋の奥にね、もうひとつ入れる部屋があるんだ」


 夜間緊急避難してきた子供達のための、簡易ベッドルームだ。

 二段ベッドで十二台ほどあるので、二十四人までは大丈夫。

 昼間でも寝られるように、ここはずっと常夜灯だけを点けている窓のない部屋だ。

 ただ、昼間は手前の部屋に人がいたら、ここの扉は開けられないんだけど。


「な、なんだよ、この建物……なんでこんなものが作られているんだ?」

「……これを作った人、十三歳の時に親が死んだんだ」

「え?」

「すぐにじいちゃんとばあちゃんに引き取られたんだけど……暫くは、夜になると外に出て……家にいられなかったんだって」


 じいちゃん達が嫌だった訳じゃない。

 ただ、それまでの日常がまったく違う物になってしまったことを、あの頃の俺は認められなかった。


 父さんと母さんがいなくなってしまったことはただの夢で、夜になったら迎えに来てくれるんじゃないかって……その時に、夢から覚めるんじゃないかって思って、じいちゃんの家で眠れなかった時期があった。

 何日かして夢じゃなかったと、諦めるしかないと解っていても……時折、夜にじいちゃんの家にいることが、苦しくてつらくて、何日かは外で丸まって眠ってしまったこともあった。


 そんな俺を、じいちゃんとばあちゃんは心配しながらも『説得』も『説教』もしようとはしなかった。

 俺が気の済むまで……夜の外出を止めることもなかった。

 ようやく落ち着いて、ふらふらと夜に出ることがなくなって数年経った頃に隣のおばさんに聞いた。

 夜中に居場所がなくてただ住宅街を歩き続ける俺の後ろから、じいちゃんはずっと付いて来てくれていたらしい。

 連れ戻そうとするのではなく、見守ってくれていたのだろう。


 俺は恵まれていた。

 夜に徘徊しても、怖い思いをせずに済んだ。

 だけど、そういう人がいる子供達ばかりではない。

 色々な理由で夜に出てしまう子供達の、物理的にも精神的にも『避難所』が必要だと思ったから夜間でも使ってもらえるようにした。


「子供の居場所っていうのが作りたかった……って、ことかもね」

 綺麗すぎる理由かもしれない。

 だけど、半分はそれだ。

「居場所、か。だったら、助かるな……親がいない子も何人かいるし、育ての親と合わないやつもいる。本当の親だっていうのに……殴られるやつだっているしな」


 どこの世界でもいるものなんだな、やっぱり。

 外から他人がどうこう言うのは難しいし、逆にその言葉で更に追い詰められる子供だっている。

 その場から『逃げ出す』のは子供にできる唯一の方法だが、それを選べない理由のひとつに行き場がないということもあるだろう。


 立ち向かって強くなれとか克服しろなんていう大人は無責任なだけで、結局何の助けにもなりゃしない。

 具体的な対策を立ててもくれず、助かるための方法も教えてはくれない。

 回避する方法も場所もそのための武器も与えず、したり顔で子供に対して大人もできないような忍耐と早急な精神的、肉体的向上を要求する。


 だから、俺は逃げ場と武器を用意しようと思った。

 夜間の遊文館という逃げ場と、そこで手に入れられる知識という武器。

 知識は誰にも奪えない、最も強い武器だ。


 子供の内からそれを武器だと知ることで、大きく強く研ぎ澄まされていく。

 知識をどう使うか、どう使って欲しいかを繰り返し伝えることが大人がすべきことだと思う。

 まー、こっちの世界では、俺もまだまだ子供扱いされてますけどね。


「ここに来た子達同士で、喧嘩とかはない?」

「そんなことしたら、この町のどこにも居られなくなるからな」

 仲がいい訳じゃないけど、争いはしない……くらいかもな。

 屋上にいる子達は、一階のこの子達とは合わないのかもしれない。

 ふぅむ……屋上にも自販機スペース作ろうか。

 居場所が離れていることも、必要かもしれないよな。


 それにしてもこいつ、面倒見がいいなぁ。

 ……ミトカも、こんな感じだったのかね……


 ちょっと、屋上も覗いてくるか。

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